End of games

Slick

第1話

【主人公の手記:世界滅亡まであと三日】

『今朝は珍しく、何の異変もない。街の方での暴動も、最近はめっきり途絶えたように思われる。食料の配給は、とうの昔に止まった。

発電した電気は最後までつかな? 親にも迷惑だけは掛けたくない。

今日が俺の、最期の日なんだから。』



……いつからだろう。日記の日付けを、世界滅亡までの日数で数えるようになったのは。

いつからだろう、自分が自分だと思えなくなったのは。

あぁそうだ。事の始まりは、およそ一年前だった。

それは俺が、高校に上がったばかりの頃。全世界に緊急ニュースが流れた。


『大型隕石が軌道を変え、地球に接近中。推定では約一年後に、地球と衝突する可能性が極めて高い。その場合、人類は確実に滅亡するという計算に』


……最初のうちは、誰も信じようとしなかった。信じられるはずがなかった。

しかしニュースは本当で。

そして言うまでもなく……世界は大混乱に陥った。

隕石の衝突による滅亡。映画とかでよく見るような、本当にベタな展開。だけどそんなものでも実際に起こってみると……人間は思った以上に脆かった。

世界の至る所で暴動が起き、無法がまかり通った。警察機関や軍隊ですらまともに機能せず、政治家の暗殺が続発。映画とかだと核兵器なんかで小惑星を破壊するオチなのだろうが、現実にはそんな余裕など無かった。

そして俺も、以前は『生き延びる』のに必死だったのだ。


□ □ □ □


そのニュースから、はや一年の時が経って。

そして今日は、小惑星の衝突予測日の、ちょうど三日前だ。

世界は今や――若干落ち着いていた。

と言うより、死ぬような人間も殺すような人間も、もうあらかた命を絶ったのだ。

今生き残っているのは、死ぬのが怖いからと惰性で生きてる人間だけだった。




「ちょっと行ってくる」


家を出ようとして、居間の母にそう声を掛けた。


「どこに?」疲れきった声が応じる。「まだ物騒だし、あんまり外は出歩かないほうがいいんじゃない?」

「何を今更。もう死んでるようなもんだろ」

「……それもそうね」


こんな会話が、普通になっていた。

家を出ると、空気には微かに硝煙の匂いがする。いつまで経っても消えないこの匂いが、嫌いだった。

車道の真ん中を歩いても、もう誰にも注意されることはない。この道は、数キロ先の海へ続いている。

左手に見えてきたのは小さな公民館だった。そういえば昔は、あそこで炊き出しなんかもやっていたな。


そしてその日に、自分が嫌いになったのだったっけ……。


□ □ □ □


……あの日は確か、曇り空だったと思う。

灰色の雲に、灰色の煙が立ち上っていた。

炊き出しと水の配給があったので、俺は母親に頼まれ、バケツを抱えて公民館に来ていたのだった。そこには大勢の人間が来ていた。

その列に並ぶ途中で、中学の頃の友人と出くわした。もちろん学校なんて閉鎖されていたし、ずっと会ってさえいなかったからひどく懐かしく感じた。そして俺たちは、今考えれば能天気にもペチャクチャと色々話し合った。

そんなときだった。列の後ろで、ひときわ大きな騒ぎが起こったのは。

人混みの合間から覗いて見えたのは、大柄な一人の男だった。その手には角材が握られている。男は気が触れていたのか、大声で何事か喚きながら列に乱入してきたのだ。

そして奴は、列の前方へと押し入った。つまり、俺たちに迫ってきた。


「オイ貴様らァ、邪魔だぁ!」


男の角材が振り下ろされた直後、隣でドサッと何かがくずおれる音がした。

友人が殴り殺されたのだ、ということを理解するのには、一瞬の時間を要した。


「――お前も、コイツの仲間かァ!」


その男が今度は俺に目をやり、再び角材を振り上げる。

その瞬間。

俺はポケットから、護身用と親に無断で持ち出していたナイフを引き抜いて――男の胸に突き刺した。

腐ったリンゴに、果物ナイフを突き立てたような。気持ち的にも手応え的にもそんな感触だった。

男の体が痙攣し、その手から角材が滑り落ちる。

俺はナイフを引き抜かず、倒れた男から視線を外すと、無表情に炊き出しの米と水とを受け取った。

――そしてその時も、それからも、何も感じることはなかった。


□ □ □ □


そんな自分が、嫌だった。

正当防衛とはいえ、躊躇なく人を殺してしまえるような自分が。

そしてそのことに、罪悪感を一切覚えていない自分が。

滅亡が近づくにつれ、そんなことが当たり前になっていった。それに、俺は慣れてしまった。

あれ? 俺ってこんな奴だったっけ?

あるときそんな疑問が、ふと浮かんだ。

誰だか忘れたが、古代ギリシャの哲学者の言葉に、こんなものがあるらしい。

『私は、悪を為すことがいけないと分かっている。しかし現実には、悪を為してしまう自分がいる。これでは悪を為すことを否定する自分と、肯定する自分とがいることになり、私が二人いることになる。これは、私であるはずがない』

その後、この哲学者は自殺したそうだ。

初めて聞いたときは俺も何のこっちゃと思ったが、今なら成程よく分かる。

滅亡が近づくにつれ、自分が段々と自分でなくなっていくような感覚が。自分自身の中に冷酷な自分を発見する感覚は……ゾッとするほどに恐ろしかった。


『こんなの、俺じゃない』


だから俺も、その哲学者を追うことにしたのだった。


□ □ □ □


道路を歩き続けること小一時間、俺は見晴らしの良い崖に出た。

眼下では、逆巻く海が岩に砕けている。

昔はここで、サスペンスドラマのラストシーンが多く撮影されたらしい。まぁそれ抜きでも眺めは素晴らしいし、風光明媚と言えなくもない。

だが世界滅亡のニュース以来、ここは別の意味で有名になっていた。

曰く〝自殺の名所〟。

まぁ『名所』と言っても差し支えないだろう。

腕時計を見ると、昼の十一時。

まぁそう急ぐこともない。実行は午後にして、一旦そこら辺を散策することにしよう。


あのニュース以来、こういった場所にはある種の産業が生まれている。

俺はすぐに小さなテント式の売店を見つけ、入ってみた。

長机のカウンターには、ちまちまとした小さい袋が並べられている。それぞれには値札が貼ってあり、どうやら『無事に死ねるように』というお守りのようだ。……いやお守りなんだから、守られちゃダメだろ。笑えないブラックジョークだ。


「兄ちゃん、なんか買ってくかい?」


店番の老人が、声を掛けてきた。

俺は半笑いを浮かべ、そのお守りを一つ手に取る。

老人がレジを打つ間、俺は浮かんだ疑問を口に出した。


「……そういえば、他にも自殺に来てる人はいないんですか?」

「なんだって?」


老人が顔を上げる。


「――いえ、他に来てる人はいないのかなと思って。『世界滅亡三日前』なんて、響き的にいかにも自殺する人が多そうじゃないですか。……若いカップルとかは特に」

「そんなことを考えている余裕があるなら、お前さんはまだまだじゃな」そう言うと、老人はそのお守りを投げて寄こした。「ホラ、これでスッキリきっぱり死んでこい!」

「ハハ」


俺は老人に背を向けて――、もう一度、振り返った。


「もう一つだけ、聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「あなた自身は自殺したいと思ったことはないのですか?」


老人はすぐに口を開きかけたが、一度閉じると、しばらく頭を整理するように目も閉じた。

再び老人が口を開いたとき、彼は言葉を選んでいるように見えた。


「――ワシはもう、死んでいるのと同じだ」


返ってきたのは、家を出たときに俺自身が言った言葉。


「……だからこそ最後の時まで、誰かの役に立とうとしてここに?」

「そういうことだ」

「皮肉ですね」俺は言った。「その方法が自殺のアテンドだなんて」

「自殺しに来た当のお前さんが言えんだろう?」

「……ですね」


その後、俺たちはひとしきり喋った。老人は俺に、小瓶のオレンジジュースを奢ってくれた。ぬるかったが、死ぬ前に飲むそれは最高に美味かった。


□ □ □ □


崖の縁には長いロープが張ってあった。と言ってもただのお飾りで、足首くらいまでしか高さは無かったが。

下を覗くと、遥かな眼下に粗い岩肌が見える。波に洗われる黒いそれは、先人たちの荘厳な墓場に見えた。

なのにいざ崖から飛び降りようとすると、やはり恐怖が先立って。

馬鹿なことだと俺は一人、自嘲する。他人は殺せておいて自分自身は殺せないのか、と。

そんなことを考えながらも、俺は崖の縁を行ったり来たりしていた。


「……俺、情けねぇな」


そんな呟きが、漏れる。

――今まで、何人殺した?

炊き出しの公民館は始まりに過ぎなかった。

それから二週間くらい後には、酔っぱらった男が家に押し入ってこようとしたのでフライパンで殴り殺した。親は留守中だった。

隣町のスーパーで賞味期限切れの缶詰を争い、主婦を刺したこともある。

――あの時はみんな、生きるのに必死だった。

瀕死で恵みを乞うホームレスを、見殺しにした。路上で襲ってきた野良犬を蹴り殺した。

――そしていずれの時も、ほとんど何も感じなかった。

多少良心の呵責を覚えることはあっても、生きるためだと自分に言い聞かせて。

でももうその必要はない。喜ばしいことだ、だろう?

It's time to kill myself.

自分を殺さないと。自分を殺してみせないと。

崖の縁に一歩踏み出す。

ここから飛び降りる、ただそれだけのこと。


――その時だった。


少し遠くで、小さな足音が聞こえたのは。

そちらの方を振り向いて、俺は驚く。

そこに立っていたのは幼い少女だった。歳は五才か、六才くらい。

少女も俺と同じように、崖の縁に立っていた。汚れたピンク色のジャンパーに身を包み、フルフルと震えながらも崖から飛び降りようとしているように見える。

その小さな姿を見たとき……不意に克明なイメージが、俺の頭を駆け抜けた。

――蒼い宙を舞う、少女の華奢な身体が。

――無残にも岩肌に叩きつけられる、その小さな生命を。

――ズタズタに引き裂けた血肉が、打ち寄せる黒い波に洗われ海に溶けてゆく……。

瞬間、俺は走り出していた。その衝動を抑えられなかった。

少女の足が地面を蹴る。

小さな身体が、前につんのめった。

その瞬間俺は少女の背後にすべり込み――

そして、俺は少女を。


崖からこちら側へ、力の限りに引き戻した。


□ □ □ □


勢いを付けすぎた弾みで俺は派手に尻もちをつく。正直、尾てい骨が滅茶苦茶に痛い。

だが俺はしっかりと、少女の小さな身体を抱きかかえていた。

腕の中の少女が、閉じていた両目を恐る恐る開く。


「……あなたは、だれ?」


かすれた声がそう尋ねる。

俺は、何も答えられなかった。

少女の大きな目に涙が浮かんだ。


「なんで……なんで、なんでなんでなんで!」


その瞳から大粒の雫が零れ落ちる。

少女が腕の中で身をよじった。


「私は、死にたいの! やめて! 止めないで! 早く死なせて!」


だが俺は腕にますます力を籠め、少女を一層きつく抱きしめた。どうしても、放すことが出来なかった。


「お父さんは死んだ! お母さんも死んだの! 悪い人に殺されたの! 私は……私はもう、生きていたくない!」


俺の胸に顔の埋まった少女の声は、かなりくぐもっていた。

俺は、と言えば少女の頭をひたすら、さすっていることしかできなかった。


□ □ □ □


暫くすると少女は泣き疲れたようで、小さくすぅすぅと寝息を立て始めた。

俺は腕を緩め、少女を見下ろす。涙の跡が残るその寝顔を、そっとハンカチで拭ってやった。

……見過ごせ、なかった。

あの場で見て見ぬふりをする自分なんて――どうしても許すことができなくて。

結局俺は、そんな程度の奴なのかもしれない。根性なしの、ちっぽけな臆病者。冷酷さを装っただけの弱虫で。

でも……でもそれだって、別にいいんじゃないか?

今の俺にあったのは、ただ――。




少女を抱えて売店に戻ると、店番の老人は全て納得したような顔で俺を迎えてくれた。


「……出来ませんでした」


俺がそうとだけ言うと、老人は無言で頷いた。そして親切にも二つのパイプ椅子を引き出してくれた。

片方に眠っている少女を座らせ、俺はもう片方に腰掛ける。


「一つ、良いことを教えてやろう」老人がそう言った。「お前さんみたいな奴は、意外と多かったりするぞ?」


そう言うと、老人は飲み物を持ってくると言ってテントを出て行った。


「――あ、そうだ」


俺はふと思い出すと、ズボンのポケットをまさぐる。

そして取り出したのは、手帳に綴られたあの日記だった。

同じポケットからボールペンも取り出すと、今朝自分が書いたページをめくる。

そして文の最後にこう書き足した。


【同日追記:20XX年 〇月△日】

『ただ生きていたい。何というか……そう、今なら思える気がする』     


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