最終話
「──乃葉、菜乃葉」
めるの声で、私は起き上がります。
部屋のカーテンから陽の光が差し込み、朝だということがわかります。
動こうとしたら、後頭部がズキッと痛み、私は顔を歪めます。
「だ、大丈夫?」
めるが心配そうに私を見て言います。
「う、うん」
「もぉ、心配かけないでよ。菜乃葉ってば突然倒れちゃうんだから」
な、なんだ、夢……か。気持ちの悪い、夢だった。
それもそうだ、あんな汚くてキモいおじさんがめるの親なわけがない。なんでちょっと考えればすぐ分かることなのにあんなに信じてしまったのでしょう。やっぱり、私は愚かしい人間です。
「身体……イタっ……」
私は背中や肩、首にも痛みがあることに気づきました。
「そりゃ、こんなゴミの上で寝てたんだもの」
「へっ……?」
言われ、周囲を見渡すと、そこは昨日見た、ゴミが山積みにされためるの部屋でした。
私の顔から血の気が引いていくのがわかります。
そこに追い討ちをかけるように、扉が開いて、例の汚いおじさんがやってきました。
「菜乃葉ちゃん、具合はどうだい? 昨日突然倒れて、びっくりしちゃったよ」
「……い、イヤ……」
聞きたくない。私は耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑りました。
それでもおじさんの声は、耳に入り込んできます。
「ストローがあんなにショックだったなんて。でも安心して、僕もストローは口に含んだけど、正真正銘めるの物だから」
「だからやめてよぉ!!」
私は叫んで、おじさんを黙らせます。
おかしいって、おかしいおかしいおかしいおかしい。
「め、めるっ……ご、ごめん……わ、わた、私がストーカーしてたから……お、怒ったんだよね……?」
すると、めるは笑顔で首を横に振ります。
「違うけど」
「だ、だったら……な、なに……? なにが目的なの……?」
「目的って?」
「私がめるのケータイにGPS入れてつけ回して盗撮したりしたから怒ってるんでしょ!? だからもうやめて──」
「なるほどねぇ」
めるはそう言って、薄ら笑みを浮かべます。
私は何が? と頭が混乱しました。
「菜乃葉さぁ、そんなんで逃げ切れると思ったら愚かよ?」
「逃げ切れ……? ……え?」
「菜乃葉、これ見て」
めるはケータイの画面を私に見せてきました。
そこには屋上の床らしき場所で眠る私の口にめるが指を突っ込んでいる写真が写っていました。めるは横にスライドして次の写真にいきます。
そこにはとある部屋で自撮りをするめるが写っていました。
「ここって……」
薄暗い部屋で、黒いビニールが散乱した部屋。
「そう、菜乃葉の部屋」
「どど、どうやって……」
「私さ、鍵の複製が得意なんだよね。ほら」
そう言ってめるは無数の鍵のついたキーホルダーを見せてきました。
そのうちの一本を手に取ります。
「これが屋上の鍵でしょ。こっちが菜乃葉の家の鍵。それでこれがぁ、菜乃葉の部屋のぉ」
めるはにやにやと笑いながら、私が持っている鍵とそっくりの鍵を見せてきました。
めるがにやにやと笑うときは、悪意を持っているときです。いくら愚かな私でも、それくらいはわかります。
私はめるの顔なんて見れずに、俯いて震えていました。
「じゃ、じゃあ、私の部屋から物を盗んでたのって、め、めるってこと?」
「そうだけど」
「な、なんで……」
「でもお互い様じゃない?」
私は何も言えません。
「じゃあ、次の写真ね」
そう言って、めるはまたケータイの画面をスライドさせます。
そこには、門に囲まれた立派な建造物と、◯◯刑務所と書かれた看板を背に自撮りをするめるが写っていました。
「ここって……」
「そうそう。菜乃葉の中学の頃の担任、村山賢一が捕まってる刑務所。本人に聞いてきたの、過去に菜乃葉と何があったのかって。私も事件の事は知っていたわ。同じ県で同じ歳の子が、教師とヤってパクられただなんて、ちょっとすごいもの」
「ち、違っ……わ、私は……」
「彼、とってもいい人ね。菜乃葉のこと恨んだりしてないって。むしろ謝っていたわ」
「…………」
「なんで菜乃葉がそんなにお金を待ってるか不思議だったの。あれ、全て慰謝料だったのね」
「…………」
「私としては、菜乃葉が処女じゃなくて残念、ってくらいだから気にしてないわ」
「…………」
「じゃあ次」
めるは再び、ケータイの画面をスライドさせます。
「…………っ!?」
そこに写っていたのは、暴力を振るわれたと思えるようなアザだらけのひかりちゃんの生首と、それを横に自撮りをするめるでした。
「あのとき菜乃葉とひかりが屋上で話してたこと、全部聞いてたのよね。それで、あとでひかりにそのこと問い詰めたら、散々菜乃葉の悪口言うもんだから殺しちゃった」
「……こ、殺すって……」
「おかげでこの家も、臭いがこびりついちゃって」
「…………」
「菜乃葉ぁ? ビビっちゃった?」
「…………」
「泣かないで、菜乃葉ぁ」
めるはぎゅっと、私の顔を抱きしめてきます。
私は恐怖のあまり、指一本動かせません。
「好きなんだよ。菜乃葉が。好きだから知りたいし、好きだから同じことをしたい。好きだから菜乃葉のことを傷つける奴がいたら、許せない。全部全部、菜乃葉のことが好きだからだよ」
めるの言葉が頭の中に入っては消えていきます。
全身に力が入らないのです。
初めて、めるという存在に恐怖を抱きました。
めるは女神なんかじゃなくて、ひかりちゃんが言うように悪魔でした。
「────なーんて、冗談よ?」
「……え?」
私はめるから離れ、めるの顔を見ます。
めるは恍惚な笑みを浮かべて私を見つめ返していましたが、立ち上がると、部屋の隅に置いてあったビデオカメラを手に取りました。
そんなものが置いてあったなんて今まで気づかず、私が呆気に取られていると、めるはそのカメラを操作しながら言います。
「ふふ、よく撮れてるわ」
「…………え、な……な……なに?」
「全部冗談よ」
「は……? えっ……?」
めるはにこっと笑うと、カメラを再生させます。カメラから私とめるの話声が聞こえてきます。それを見て、めるは「うひひひ」と笑いました。
「あ、おじさん、これ出演料よ。ありがとう」
そう言って、めるはお金をおじさんに渡します。
「5千円か。そっちの子は毎回必ず1万円くれるよ?」
「ごめんなさい。あの子は愚かなの、お金の計算もできないのよ。相場はこれくらい」
「そうかい。それなら5千円で」
おじさんはお金を受け取ると、満足そうに笑顔を浮かべて部屋から出ていきました。
「あぁ、こんな簡単に言いくるめられるなんてやっぱり彼も愚かしいわ。でもかわいくはないわね。ねぇ? そう思わない?」
「え、えっ……、あ、あの……め、める?」
戸惑っていると、突然めるが私に抱きついてきました。
「ああっ! でもやっぱり、菜乃葉が一番いいわぁ! 愚かしい! なんでもかんでも信じるし、騙されてくれるからっ、イタズラし甲斐があるのよ! たぶん、ムラケンも菜乃葉のいじめられっ子っぽいところが好きだったのよ。ムラケンにどんなことされたの? お尻とかいじられたでしょ?」
……さ、されたけど。いくらめるに頼まれたって痛かったからもうやらないです。はい。……じゃなくて。
「め、める、ど、どういうこと……?」
「あ、ああ、ごめんなさい」
めるは私から離れて謝ってきました。
そして、説明をしてくれました。
「私、菜乃葉がストーカーしてるの、結構早い段階で気づいてたのよ」
「えっ……そうなの? いつから?」
「うーん? でもよく学校帰り、変装して同じ電車に乗り合わせてたでしょ? バレないわけがないじゃない」
「…………」
バレてないつもりだったのが、より一層恥ずかしいです。
「でも、まさか私の好きな子が私にGPSを仕込んでストーカーまがいなことしてるなんて思えないし、思いたくないでしょ?」
「う……ご、ごめん」
「それで、賭けてみたの」
「賭ける?」
私が小首を傾げると、めるはゆっくりと頷きます。
「私と菜乃葉が付き合ったとき。菜乃葉、私のことショッピングモールまで追いかけてきたでしょ? GPSを使わないと見つけられないような所まで逃げて、見つかったらストーカー。見つけてもらえなかったらシロって」
「……まんまと見つかったわけか……」
「そうね。でも、そのおかげで付き合えたし、菜乃葉のことストーキングしてるときは素直に楽しかったわ。一応、菜乃葉の部屋にもカメラを仕込んでいたんだけれど、物がなくなっているときの菜乃葉の慌てっぷりったら……。学校で会ったときに抱きしめてやりたいくらいかわいかったわ」
「……ひ、酷いよぅ……」
めるはクスッと笑います。
そして、ピシッと人差し指を立てます。
「でも、一つ気づけたことがあるの」
「な、なに?」
「家が嫌なら遠くに家でも借りて、一緒に暮らしましょうよ」
「えっ……」
「菜乃葉は家族と一回距離を置いてみたほうがいいと思うのよ。お金は、まぁ、菜乃葉に頼ることになるのだけれど。……どうしたの? そんなボケっとして」
めるに言われ、私は自分が呆気に取られていることを知ります。
でも、思ったのです。それめっちゃいいじゃん、て。というか、なんで今までそれを思いつかなかったのでしょう。
「や、やる! それしたい! あっ、で、でも……」
私は部屋を見渡します。
正直、この汚部屋を作り出せるような人間とは一緒には暮らせないかもしれないです。
すると、めるは私の視線に気づき、私の思考を読んだように喋り出します。
「あー、安心して。これも菜乃葉をビビらせるための演出だから」
私は少し安心し、ホッと息を吐きました。
「じゃ、じゃあ、今から家に置いてある荷物取ってくる!」
私は鼻息を荒くし、息巻いて言います。
「今から!?」
「だ、だって、ぜ、善は急げって言うし……!」
「そ、それはそうだけど。夏休みとか、時間できたらにしない?」
「しない! え、えっと……! 部屋が決まるまではここに住みたいんだけど……! い、いいよね?」
「エンジンかかった菜乃葉、強引すぎない? ストーカー始めたときもこんな感じだったのかもね」
「じゃ、じゃあ! 荷物取ってくる!」
「お母さんにはちゃんと言いなさいよ!?」
「わかった!」
私は走りながらそう言って、めるのマンションを後にしました。
希望に満ち溢れた、新生活が始まりそうな予感です。
まるで、希望に満ちた入学式の日、みたいでした。
☆☆☆
「──やぁ」
めるのマンションを出たところで、声をかけられました。
あの汚いおじさんでした。
はっきり言って、邪魔しないでほしいのですが。私は気分がいいので、仕方なく相手をすることにしました。
「あ、あの、なんですか?」
「ほら、前に言ってたでしょ? 5万円分の価値があるもの、あげるって」
「え、は、はあ」
言っていたような、言っていないような、はっきり言ってめるとの会話以外は記憶から速やかに消去するようできているので。
おじさんは黒いビニール袋を私に手渡します。
私はそれを受け取りました。
昔、ムラケンと一緒にボーリングに行ったことがあるのですが、その時に持った9ポンドのボールと同じくらいの重さでした。
「ほら、5万円」
おじさんは手のひらをゆらゆらと左右に揺らし、私をニヤニヤとした表情で見ます。
私はその袋をそっと開け、膝から崩れ落ちました。
辺り一面に真っ赤が広がり、私はひかりちゃんの暗い瞳と、目が合うのでした。
愚かしいストーカーは手を噛まれる 坂本ず @Morita0711
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