第7話 キハル嬢の物騒なたくらみ

 あらためてじっくり眺めてみれば、それは美しい剣だった。

 ぬらぬらと黒い艶を湛えた鞘には流星を思わせる細かな銀細工が施され、酒場の暗い明かりでもきらりと瞬く。刀身はサンガの腕ほども長く、鍔は大きく広げた銀灰の翼、柄の根本には凍てついた朝を思わせる宝玉がひたりと埋め込まれてじっと機を窺っているように見えた。握りに施された彫刻はもちろん滑り止めの意味合いもあろうが、鈍色に渦巻く水流のうねりには間違いなく魔導回路が仕込まれており、サンガの力を引きずり出し食い散らかしたのは、まさにこの剣に違いなかった。

「こんな危ないもの」

 サンガが非難がましい声を上げると、すぐそばに肩を並べたいかつい男が朗らかに笑って言った。

「いやいや、いまはただの鈍器だよ」

「いまは?」

「まあちょっと見てな」

 男はマストラというらしい。若い者に鞘を握らせ、柄を握って剣を抜こうとしてみせるが、剣は鞘におさまったままびくともしない。

「な?」

 なにが「な?」だ。渋面をつくってはっきりと疑ってみせるサンガに、男はひとつ提案する。

「なら俺が柄を握っているから、俺ごと引っ張ってみな」

「そんなことしなくても」

「じゃあ自分で試してみたらどうだ」

「いや……」

 あんな思いは二度とごめんだった。己の身体の主導権が奪われる恐怖、取り返しのつかない破壊の痕に己の身の破滅を重ね合わせて頭がまっしろになった。そして何より認めがたかったのは、力の出口となった右腕の先に、快楽の手触りがじんと残っていたことだ。

 この剣は魔力のみならず、サンガに開かれたあらゆる可能性を暴こうとする。誘惑はあまりにも強く、しかし彼自身の尊厳がこれを抑え込んだ。心身をよく鍛え、魔力の行使にも長け、力ある者の自由を知っているからこそ、制御の効かないものが最も恐ろしい。もはや指一本たりとも触れたくはなかった。

 男は剣の柄を握ったまま、サンガが抱えやすいように脇のしたを空けて構えている。店内の喧騒もずいぶん落ち着いて、皆がこちらを窺っている気配がする。どういうつもりでいるのか、卓に頬杖をついてジョッキに手を添えたキハルの表情からは何も読み取れなかった。

「引っ張ればいいんですね」

「おう、思いっきりやれ。リンカ、しっかり持っとけよ」

 サンガはマストラの太い胸周りに背後から腕を回した。汗と脂と埃、それから木屑のにおいが襟元からたちのぼる。サンガたち武官とは違う形で身体を張って働く男のにおいにいくらか顔をしかめながら、地面から引き抜く勢いで思い切り引っ張った。

「いででででで!」

 手加減していないのに剣が抜けるどころかマストラの腕が抜けそうな有様で、サンガは首をのばして前をのぞきこんだ。男の両手はしっかりと柄を握ったまま、腕はぴんと伸びて青筋が立っている。とても演技とは思えない。

「もうやめましょう、僕もう離しますよ」

 鞘を持つリンカの掛け声で、サンガはふっと力を抜いた。抱えられていたほうはサンガの胸に寄りかかって肩をさすっている。

「ちなみに」

 キハルがおもむろに剣の鞘をつかみ、無造作に柄へ手を伸ばした。

「ちょっ」

 サンガの制止も間に合わず、彼女はすらりと抜刀する。青みがかった細身の刀身が目覚めた獣のようにぎらりと光ったが、しんと静まったまま何も起こらない。

 どっと肩の力の抜けたサンガに、抱えられたままの男が再び「な?」と振り返る。

「どういうことだと思う」

 一度抜いた剣を鞘におさめながらキハルが問う。サンガは詫びつつ男を解放し、居並ぶ面々と剣を見比べながら思案した。

 腕力の差ではない。留め金が掛けられていたわけでもない。皆、思い思いに飲み食いしながらおとなしくサンガの答えを待っている。なかでもやはりキハルの容姿は目立つ。育ちのためか、装いのためか。

 明らかに違うのは。

「髪の色、魔導係数の違いですか」

「正解」

 キハルは少し眉を上げてみせながら口元を綻ばせた。彼女の髪の色は淡く、他の者たちは黒に茶に藍に赤、いろどりこそ違えどいずれも暗い色をしている。それが答えだ。

「魔導係数なんて言葉、よく知ってたね」

「魔導工学の基礎は訓練過程の必修科目です」

「そうか」

 サンガはむっと口を尖らせるがキハルは気にする様子もない。

 ただ得物を振り回すだけなら誰にでもできるが、腕力に魔術的な威力を上乗せするならば魔導工学の知識は必須だ。髪の色に表される魔力の保有量はそのまま出力の大きさに比例し、武器をはじめとするさまざまな道具にも同様の能力差がある。人と物とにかかわらず、魔術を扱う際の性能をあらわすのが魔導係数で、最終的な出力量の理論値は人がもつ係数と道具の係数の乗算で導き出される。つまり、双方の係数が高ければその威力は爆発的に向上するのだ。

 生来最高級の魔導回路をもち、訓練によってその性能をさらに上げたサンガが全力を出せば、並の武器なら耐えきれずに融解してしまう。その力は一騎当千とも言われ、扱いを誤れば待つのは周囲を巻き込む破滅のみ。故にすぐれた魔術血統を誇る名家の子女は、皇国のさだめるところにより厳しく教育され、力の制御を叩き込まれるのだ。

 キハルも当然その一人だが、進路の系統が分かれた先は関わり合う機会が激減するので、サンガがどういう教育を受けてきたのか、本当に知らないのだった。

「こういう剣なんだよ。一度に流せる魔力量が大きくなければ回路が開かない。回路が開かなければ封印されたまま、梃子でも動かないし魔導機構も発動しない。使い手を選ぶんだ」

 彼女は目を伏せて剣の鞘を撫でる。

「でもね、おかしいんですよ」

 話の続きをアナンと名乗る初老の男が引き取った。彼が首にかけた眼鏡の銀鎖がしゃらりと揺れる。

「それこそ勉強なさったならご存知でしょう。魔力にせよ武力にせよ、力は大きければ大きいほど取り扱いに注意せよ。これはあなたがた武官だけでなく、私ども物を作る人間にも当てはまる」

 鍔の細工をなぞる指は用心深く、表情は険しい。

「逆ならわかるんですがね。この剣、もともと持つ力の強い人間にのみ振るうことができて、そのうえ入力が一定値を超えるといっそう増幅するようにできてるんですよ。力の弱い人間のことは一切助けずに。だからね、あなたの抱いた恐れは正しいんです」

 アナンは魔導回路技師で、武器だけでなく工具や調理器具などの日用品に通す回路の効率を上げることで、わずかな魔力しかもたない者でも楽に扱えるよう改良するのが主な生業だ。

 だから、この剣をキハルに見せられたときはぎょっと身を引いたという。

「我々のような下々は寄り付くこともできないが、起こしたら最後。凶悪な魔物みたいなものです」

「ならなんで俺に使わせたんですか」

 話の辻褄が合わない。

 サンガが不信感も露わに投げかけると、キハルがにやりと笑った。

「アナンの見立てはいま聞いたとおり。しかし実際のところは誰にもわからない。だからきみ実験に付き合ってもらったのさ」

「実験て」

 サンガは頭を抱えた。くらくらするのはさきほど一気飲みした酒のせいばかりではあるまい。

「わしのほうでちょちょいと細工はしましたがね。勝手なことをして申し訳なかったとは思いますが」

 表向きは謝罪を口にしながら、アナンはほくほくと愉しそうだ。

(いかれてる)

 ふらりとよろめいたままサンガが踵を返そうとすると、左右にいた者たちが「まあまあまあ」と引き留めた。

「話は最後まで聞くもんだよ」

「もうたくさんなんですが」

「ここからが重要なんだよ」

 勧められた腰掛けにどっかと腰を下ろす。

「そこまで言うなら聞かせてもらおうじゃないですか」

「その意気だ、いい顔になってきたぞ」

 彼らの言う「いい顔」というのは酔っ払い顔のことで、サンガの目はじとりと据わって口はへの字、艶のある頬にほんのりと赤みがさして、本人が動かないのをいいことに何人かが突いたり撫でたりした。そういうちょっかいがひと通り落ち着いたところを見計らって、マストラがサンガの肩に手を置き、間近で目を覗き込みながらゆっくりと言った。

「キハル嬢はな、俺たちの仕事を作ってるんだ」

 サンガの顔に影がかかり、呼気はそれなりに酒臭い。人のことは言えないが、どう見ても酔っ払いの赤ら顔だ。

 だが、その目は真剣だった。あれだけやいやい騒いでいた他の客たちも、嘘みたいに静まり返っている。

 戸惑ってキハルに目を向けると、彼女はにこりともせずに肩をすくめた。

 これまでの皇子たちの小競り合いに、市民も少なからず巻き込まれている。ただ、できるだけ穏やかな日々を望む者は本国に残り、四つの公国に散った者たちは思うところがあってついてきている。自分の身は自分で守る、あるいはこの状況を商売として利用できるような技を持っている。そういう気概の者ばかりで築かれた各都市、特にアドナは好戦的な度合いが顕著だった。危険が迫るとかえって目が冴えるような種類の人間がごろごろいて、一見なんの変哲もない街並みにも有事に備えた罠と防御の術が張り巡らされている。

 とはいえ、腕っぷしばかりで対抗できるわけでもない。魔力には魔力で対抗せねばならないが、魔術のみで防壁を築くには膨大な出力が必要だ。一方、物体に回路を張り巡らせて効率よく配分すれば、わずかな魔力量でもそれなりの機能をもたせることができる。だからこそ人々は道具に頼ったし、技術者と職人が手を携えて日夜研鑽を重ねてきたのだ。

 上空から襲いかかってくるユラは特に厄介だったので、空の護りとして都市にまるごと天蓋を被せる、その発想は理解できる。ただ、そのあとがまずかった。

 新たな開発に規制がかかり、高出力の道具の使用が制限され、おもに鉱物・魔力資源の流通にも制限が加えられたのだ。

「要は、お上が護ってやるからお前達は余計なことすんな、ってわけだよ。俺達の食い扶持やなんかは知らん顔でな」

 いまはただの酔っ払いだが、マストラもアナンもリンカも、酒場に集まっているほぼすべての者が腕のいい職人や一線の技術者、あるいはその見習いや弟子たちだ。彼らは生きがいも仕事も取り上げられてしまったのである。

「そうしたらもう私の出番だろ」

 満を持してキハルが口を開いた。相変わらず頬杖はついたまま、口元に笑み、瞳には危険な輝きが宿っている。

「私はいわゆるお上のほうの人間で、父の仕事柄ここにいるみんなとも家族同然で育ってきた。あんまり腹が立ったんで、こちらの判断で街を作り変えてやることにしたのさ」

 壊したものは誰かが直さねばならない。そこに新たな仕事が生まれるのだ。

 キハルは立場を最大限に利用して、危険な橋を渡っている。

 あんまり乱暴な話なので、すっかり酔いがさめてしまった。やはり悪事の片棒を担がされていることに変わりはないと思ったが、サンガにはもう、なにが悪かわからなくなっていた。

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