第5話 言い訳

「父同士はそういうつもりでいたらしいが、私はあくまできみの意志を尊重するつもりでいたよ」

「そういうつもりとは」

 戸口を塞いで夕闇を背負う偉丈夫はどこからか花の香りをまとって戻ってきた。物いいたげに突き出した唇、大荷物のせいで肩は怒り気味で、こちらを見下ろして猫背にもなっているはずなのに、上着を脱いで襯衣のみになると体格のよさがさらに際立つ。

 キハルは上から下まで惚れ惚れと眺め回し、感心してううむと唸った。

 サンガの立ち姿は美しい。背嚢の重量をうまく体重にのせて長い両腕でバランスをとり、支える両脚は肩幅に開いてまっすぐに伸びて芯が通っている。静止した状態でも、彼が動けること、かなりの使い手であることが見て取れた。力の流れに無駄がなく、実に理にかなっている。

 何を隠そう、キハルはこうした〈用の美〉に目がないのであった。

「キハル嬢?」

 その一言で均衡が崩れ、キハルはぱちりと瞬きして我に返った。不機嫌を示そうと力の入っていたサンガの眉間が一転、気遣わしげに開いたのを見て、思わず頬が緩む。

 しみじみと思った。

「きみは本当にいい男だな」

「なんの話です」

 カルディナス邸に滞在する間、サンガはキハルの兄トウマの部屋を使うことになった。キハルには兄が二人いるが、いずれも商才豊かな男ですこし前からコンカルに拠点を移している。

 キハルはサンガを案内して二階に上がると右に折れ、みっつめの扉の前で足を止めた。

 ならぶ扉はいずれも飴色に磨き上げられ、それぞれに違う植物の意匠で縁取られている。トウマの部屋の扉にあしらわれているのは藤、キハルがサンガを招き入れると、内装も淡い藤色でまとめられ、寝台と物入れ、衣装箪笥に書き物机、家具は深い色合いで揃えてある。全体的に装飾が少なく端正なところが、トウマの性質をよく映している。

 キハルにとっては見慣れた部屋だったが決して広くはないので、サンガのような大男がいると遠近感が狂った。カルディナスの家系にこんな大きな男はいないし、父も二人の兄もどちらかといえば痩せ型で学者肌だ。首を巡らせて部屋中を検める様子は、未知の領域に迷い込んだ獣のよう。キハルはこの獣を手懐けるつもりでいる。信頼を得るには、塩梅をみて手の内を明かしていかねばならないだろう。

「気に入ってもらえたかな」

「はい。ああいえ、」

「ならよかった」

 待遇を喜んでいる場合ではないと思ったのか言葉を継ごうとするサンガを、キハルはあえて遮った。これを言ったら嫌われるだろうなあと思いつつ、腕を組んでドア枠に肩を預ける。

「ほんらい、きみはここまでしなくても良かったんだ。私が護衛を必要としているのは事実だし、娘を早く片付けてしまいたい私の父と、息子の将来を案じるきみの父上の企てが発端ではあるがね。護衛するにも交流するにも、泊まり込む必要はない。ただ、私としてはきみに貼り付いてもらったほうが都合がよくてね。こうなるよう誘導したふしは多分にあるから、そこは先に伝えておく」

 どういう言い方がよいか、実はずいぶん悩んだ。案の定、サンガの表情が曇る。

「いいようにのせられたというわけですか」

「きみの父上が案じているのはそこだろうな。このさき他人からいいようにされないために、ここらで手を打っておこうというわけだ」

「いっそ言わないでほしかった」

 サンガが身を捩ると背嚢にぶら下げた装備ががらごろと音を立てた。キハルは声をあげて笑い、多少は弁解するつもりで続ける。

「言わなければ言わないだけ疑念が募るだろう。騙し討ちのようなことをして悪かったが、こう見えてきみとは仲良くやっていきたいんだ」

「じゃああの落雷の件はお互いなかったことに」

「そうはいかない」

 即座に却下すると、まるで礫を食らったときのようにサンガの目鼻がぎゅっと寄った。

(かわいいやつだな)

 弟がいたらこんなかんじだろうか。そう思うくらいには、キハルはサンガを気に入りはじめている。仲良くやっていきたい、というのは心からの言葉だった。

 ならひとつ、解いておかねばならない誤解があった。

「そうだな、あの件に関してはきみにも解説が必要だね。このままでは巻き込まれ損だろう」

「解説してもらえば損でなくなるんでしょうか」

「さあねえ」

 それはサンガの受け止め方次第だ。ただ、彼にもわかってもらえたらいい、と願う気持ちもある。

「というわけで、お疲れのところ悪いが、荷物を置いたら食事も兼ねてすこし外に出よう」

「どこへ」

「酒場へ」

 しれっと答えた途端、サンガが目を剥いた。

「若い娘が酒場だと?」

「きみは私の保護者か」

 間髪入れずに突っ込むも、サンガはまるで解せない顔をしている。彼の女性観がなんとなくつかめた気がして、ふとキハルのいたずら心が頭をもたげた。

「ちなみに私の部屋はこの隣だよ」

「えっ」

「支度ができたら下りてきてくれ」

 絶句しているサンガを置き去りにして部屋を出る。部屋が隣り合っているのは本当で、キハルが茉莉花の扉を開けて自室に入ると、物音に気づいたらしいサンガが叫ぶ声が聞こえた。

「私も人のことは言えないが」

 姉が二人いてあの調子とは、なかなか偏った青春を過ごしたようだ。

 男物の上着に腕を通しながら、キハルはくすくすと笑った。

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