第4話 父と息子
サンガが所属するのは基本的に縦社会で、相手の位が高ければ、それがたとえ実の父親であっても面会に事前の約束を要する。
同居していた頃なら自然と顔を合わせる機会も少なくなかったが、サンガもいまは家を出て官舎で暮らしているからそうもいかない。とはいえ、アドナ屈指の剣豪イド=フレイヤも末っ子長男はかわいいようで、申し入れればすぐ時間をとってもらえるのがサンガはすこし誇らしい。
キハルと出会った翌日、花の香りの強くなる夕刻。サンガは常時開け放しの門を抜け蔓薔薇のアーチをくぐり、爛漫の花園を横切って生まれ育った邸の扉を叩いた。
「まあ坊っちゃん、ますます凛々しくなられて」
「この間会ってからひと月しか経ってないでしょう」
目を潤ませた老婦人に迎え入れられ、思わず苦笑いをこぼす。サリは、サンガが生まれる前からフレイヤの一切を取り仕切ってきた家事の生き字引のような女性で、サンガたち姉弟にとっては乳母のような存在だ。歳をとってずいぶん丸くなったが、悪さをしてつかまったときに見上げた鬼の形相は、成人してもいまだに夢に見る。
鍛錬場や武器宝物庫を抱え、広い敷地を誇るフレイヤ邸には多くの者が住み込みで働いており、長く勤めていれば家族も同然だ。有事のさいの自衛組織も兼ねているから、料理人から小間使いの少年に至るまでがなんらかの得物や術をつかい、人並み以上に腕の立つ者ばかり。
たとえばサリなら縄を手足のように使う。幼い頃、サリが投げて寄越した縄の先が意志を持つ蛇のように追いかけてきたのをサンガは鮮明に覚えていて、こちらもいまだに夢に見る。
「旦那さまはご自身のお部屋でお待ちですよ」
「早いな」
「サンガ坊っちゃんがお越しになるのを、大っ変、楽しみにしておいででした」
それは言わないほうがよいのでは、と隣を見下ろすと、深い皺を刻んだ満面の笑みがこちらを振り仰ぐ。
「旦那様も私にとってはイド坊っちゃんですからね」
キハルといいサリといい、内心を見透かすのは女性に特有の能力なのだろうか。あまり深くは追わないことにして、すれ違う者たちに適当に返事しながら父のもとへ向かう。
やわらかな長衣に簡素な腰帯を締めたのみ。くつろいだ様子の父と相対するのは実に数ヶ月ぶりで、サンガは隊の真新しい制服で参じたことをすこし後悔した。まるで見せびらかしにきた子どもみたいだ。そういう気持ちもなくはないと自覚して、じわりと耳が熱くなる。
日頃の武装を解いてなお、アドナ公国五大将が一、イド=フレイヤは大きく見えた。薄く開けられた吊り目は加齢のため幾分凪いで見えるが、瞼の奥には鋭い青灰の眼光が潜んでいる。
「息災のようだな。真面目にやってるか」
「はい」
「だろうな。質問を間違った」
太くあたたかな声が豊かに響く。背丈こそサンガが越したものの、肩の厚みや首の太さ、なにより歴戦を経てきた戦士特有の厳しさと余裕がイドを大きく見せていた。それでもやはり、腿の上で組んだ指や爪の形は息子のものとよく似ている。
「任務で、しばらく隊を離れることになりました」
「ほう」
父の声色がわずかに面白がっているような気がしてちらりと顔色を窺ってみたものの、自身に受け継がれた強面の元の持ち主、そう簡単に見破れようはずもない。サンガはひとつ咳払いをして、そのまま話を続けた。
「カルディナス家のキハル嬢の護衛を仰せつかりました。任務上の都合で、その、寝食というか、四六時中行動をともにすることになります。相手は良家のご令嬢なので、ありもしない話を広める輩がいて、ありもしない話が事実より先に父上の耳に入っては、と思い」
「要は」
核心のまわりをうろうろするサンガを、イドは一喝して遮る。
「キハル嬢に手出しするようなことはないから噂が出回っても真に受けるな、ということか。お前は昔からよくわからない気ばかり回すな。それくらいのことで狼狽えるな」
「でも、ひとつ屋根の下で……」
「お前は化石か」
言い放ってから、イドは小刻みに息を吐いた。笑っているのか泣いているのか、サンガには怖くて聞けない。
「官舎にも女の隊員はいるだろうし、父とて独り立ちした息子の色恋に口出しする気はない」
「べつに色恋では」
むやみに慌てるサンガに、父はとうとうしびれを切らした。
「だから狼狽えるなと言っている。それに、もとよりそういう手はずになっているから気にしなくていい」
「は」
しかし、いま明かす予定ではなかった。イドは一瞬瞑目したのち、この際みなまで話してしまえと腹を括った。
「お前は素直すぎる。良く言えばな。素直と真面目が過ぎて、視野が狭い。だからマレトと私で手を回した。くっついたならくっついたで構わん。世情に明るいカルディナスにしっかり揉んでもらえ、見聞を広めてくるといい」
事情を知ったところで小賢しく立ち回る器用さは今の息子には無い。そう思うと情けなかったが、そこがまた可愛くもある。
ただ、この先それでは通用しないだろう。
悄然と頭を垂れるサンガを鼓舞するつもりであとからあれこれ声をかけたが、伝わっているかどうか。数々の敵を退けてきたイドも、息子に関しては苦戦するばかりである。
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