菓葬

僕が若かった頃は

菓葬

 市内広報の正午のチャイムを聞いて暫く経った。午後の起床が当たり前だった冬休みに比べると、だいぶ体も正の方向に追いついてきたと思う。ここ一ヶ月は学年末試験やら部活動の大会やらで忙しかったので睡眠も満足に取れなかったのに、と、不思議にすら感じる。

 ただ、両親がいない昼時というのもやはり非日常なだけに少しだけ不気味で、そのリビングに微かに聞こえる飼い犬の寝息に内包される普遍さが、この気味悪さから守ってくれているようでどこか心強かった。普段はしないメガネの縁が視界を遮っているのも、その非日常を嫌に彩っていた。テレビはぼーっと情けなく動画サイトのメニューを映し出しているし、もう十分暖かい3月下旬の部屋には、未だにファンヒーターが無機質な熱気を吐いていた。見ないなら消せも、寒くないなら止めろも、今、今の僕には全く関係のないことだと思うと、わずかな罪悪感と大量の背徳感に襲われるようで、どこか心地よかった。

 しかし、その背徳感もすぐに例の「見ないなら消せ」に近しいような感覚に襲われて消えてしまう。それは春休み特有の気怠さからなのか、リビングの隅に固められた僕の今までの残骸のせいなのかは分からない。もう一度、ビーズで構成された大きいクッションに身を委ねた。

 そろそろ手をつけないといけない。ただ、あの紙袋があそこに佇むことを望んでいるとしたら、それはそれで申し訳ない。人の口腔に、食道に、胃袋に、その他諸々の臓物に流れていくことを使命として生まれてきたものたちは、僕が思い立ったその瞬間から全く違う場所に入れられ、並べられ、還っていくのだ。もう一度だけその紙袋を見つめた。彼らが浴びるはずだった僕の賛辞は、全くもって彼らに無関係なファストフード店の紙袋にすっかり遮られて、そのまま息もせずに死んでゆくのだ。惨めだ、と呟きたかったけれど、僕が知っている、話したことのある人の手で創られた者たちが持つ不可視の熱量の前では、口を噤むしかなかった。

 それから僕は無意識に軍手とマスクをして、自宅に隣接している祖父母の家の仏壇まで蝋燭と点火棒を借りに行って、二人が扱っている畑まで出た。紙袋は存外重くて、その感覚は僕の体内で、改めて幸福へと端正に変換されていった。

 

 そこに重量があるということは、つまりはバレンタインデーに受け取った菓子の数が多いということだ。僕がそれだけ、他人に認識をされているということだ。その事実は考えるまでもなく幸福でしかないけれど、例えば三徹した夜の花火大会だったり、サンタの正体を知った後のクリスマスだったり、────多分全然違うのだろうけど、そういう言語にならない、したくない感覚はずっと僕の中にあった。もちろんそれが僕に対しての莫大な好意の表現であるという確証があればそれはありがたいことこの上ないのに、そんなものはないし、第一受け取って二週間はそんなことは気にしてはいない。その夜に特別に思惑を巡らせない僕の口に入って、中身の詰まったお礼のメッセージを全員に送信できれば良かったのだけれど、それを見つめて、手作りという名前をした膨大なエネルギーを感じれば感じるほど億劫になって、「これからおいしくいただく」というよくわからない予定のメッセージを送った。そのまま冷蔵庫のチルドに入れておいて、父親に肉とチーズを入れるスペースが無くなる、と嘆かれ、母と姉には苦笑いをされ、ではこうなるのも必然であろう。実際は必然なわけがないのだけれど、ただ、自分にそう言い聞かせた。

 例えばそれが市販のもので、ただ僕が食べ忘れていて、賞味期限もとうに過ぎました、だけでは、おそらく僕は生ゴミとして廃棄していた。僕がこうしなかったのは、紙袋の中の手作りの菓子を眺めるたびに渡してくれた人たちの名前も顔も鮮明に思い出せてしまい、その膨大な熱量を、精神を前にしてしまうと、そう処理してしまうのが、殺人だとすら感じてしまうのだ。チルドから取り出した、ひどく冷えたものたちを紙袋の底に並べていた感触を思い出して、僕はこれから本格的に“生きにくい人”としての片鱗を露わにしていくのだろうと思うと、少しだけ憂鬱になる。


 畑の柔い土を踏むたびに、今の場所は踏んだらいけない場所だったのだな、と少し悔いながら、なんとか隅の方まで来た。祖父母は二人とも七十過ぎなのにも関わらずこの広い畑を耕しているのだからすごいものだ。

 僕は紙袋をひっくり返して、黒い土の上に全てを並べた。その半分ほどがチョコレートなので、あの日の鞄の中のせいなのか、はたまた紙袋の中で過ごしていたうちにそうなったのか、溶けに溶け切っていて、華やかなトッピングもほとんど落ちてしまっていた。改めて眺めると、チョコレート以外の多くの焼き菓子もどこかの過程で変形してしまったようで、居た堪れなかった。柔いものもあることを考慮すると、軍手をしてきて正解だったのかもしれない。

 倉庫に唯一見当たったスコップは、幼い頃に使ったものとは思えないほどに錆びていて、案の定土に突き刺して力を加えただけで、柄と面のちょうど境目でぐにゃりと綺麗な直角に曲がってしまった。なんとか使えないことはなかったので、そのまま使い続けることにした。

 土に十五センチほどの深さの穴を空けて、一つ目の袋を開けた。くっついていたので、袋を破って振って落とした。乗っていたであろうドライフルーツに導かれるように、自然に落下した。土に落ちる鈍い音がした。蟻が数匹蠢いていた。

 そこから一つずつ、ひどく業務的に、丁寧に並べていった。いくつかの包装に自身の名が書いてあることに初めて気づいて、右においてあるスコップで腹を刺したくなった。祖母が僕がここにくる少し前まで畑仕事をしていたのをふと思い出して、誰かに見られているような感覚に急に襲われた。

 湿った春風に身を委ねているうちに僕は全ての処理を終えてしまい、その全てを土で覆わせた。直角に曲がったスコップが、土の表面を固めるのにちょうど良かった。

 そうして蝋燭を土に立てて、借りてきた点火棒を握って、人差し指に力を込めた。うまいこと火が点いて、純白の艶やかな面に、その先端から蝋がゆっくりと滴っていく様が美しかった。しかし、二十秒もしないうちに火は消えてしまって、献灯というにはあまりにも見窄らしくなってしまったので、もう一度点けた。しかしまた間もなく風に吹かれて消えてしまった。それを何度か繰り返していると、六回目ほどに消えた時、ついにやっと馬鹿馬鹿しくなったので、蝋燭も倒してそこに一緒に埋めておいた。

 既に仏壇からこれらを借りたことなどは忘れて、僕は片付けに入った。OPPの袋も、丁寧なクラフト紙も全部まとめて元の紙袋に詰め込んで、出来るだけ小さくした。それと点火棒をポケットに入れて、畑を後にした。スコップは置きはなしにしてしまった。

 

 その前、どうにか焼いて処理をする、ということも考えた。生ゴミとして捨てたり、土に埋めることにはない、不可逆的の極地にあるような結果が、僕を救ってくれると思った。それを燃やす炎でしか、人の手作りの熱量には敵わないと思っていたけれど、こうやって実際に埋葬してみるとそうでもないのだ。

 僕はとうに小さくなった紙袋をゴミ箱に捨てて、軍手を外して、洗面所に向かった。水道から流れる液体が、軍手のせいで湿度の高くなった手を洗い流し始めた途端、鴻大なカタルシスに近しいものが僕を覆って軽く目眩がした。そのまま一分ほど、ずっとそれに両手を晒していた。

 道具を片付けに玄関まで出ようとすると、ドアの前の姿見の中の眼鏡とマスクをした男とふと目が合って、軍手を結ぶ手を少しだけ止めてみた。

 

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菓葬 僕が若かった頃は @Arami_108

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