第30話 神さまと橘(5)


 翌週の夕方。

 仕事終わりの奏と下校途中の京子は二人で出かけていた。


「ねえ、神さま」

 奏の隣でふとした顔で京子は言う。

「ん?」

「今日の夜ご飯は何にします?」

 不思議そうに首を傾げ、奏に聞く。


 せっかく隣にいるのだから、神さまが食べたいものを作りたかった。


 京子の言葉に奏は考え込むように腕を組む。


 前回、肉じゃがを要望した時、手間が掛かると言われた記憶があった。

 ならば、なるべく手間が掛からない料理で、僕が食べたい料理――。


「んー、サバの塩焼きとかどうでしょう?」

 作るのは京子のため、敬語口調で返した。

 サバの塩焼きなら、焼だけで切りも煮も揚げもないはず。

「んー、良いですねー。それなら、大根おろしも食べたいですね」

 想像するように目を瞑り、京子は笑みを浮かべる。


 大根おろし――。

 あると大変ありがたいが、大変手間なのではないのか。


「あー、おろしに醤油を垂らして、サバと一緒に食べたい――」

 申し訳ないと思いながらも、奏は想像するように笑みを浮かべる。


「「おいしそう・・・・・・」」


 二人揃って、涎を垂らしそうな笑みを浮かべていた。


 すると、京子は何かに気づいたようにハッとした顔をする。


「神さま、そうと決まればスーパーへレッツゴーですね」

 右手を軽く上げ、京子は張り切った顔で言う。

「おー」

 奏もその流れに乗るように右手を軽く上げた。


 前を歩く京子のその姿。

 どこか姉さんと重なって見えた。


 すると、スーパーへ向かう通り道で康と茶色にすれ違う。


「あ、橘さん、こんにちは」

 笑顔で京子が康に挨拶すると、その隣で茶色が嬉しそうに吠えた。

 その様子だと、どうやら散歩中のようだ。

「こんにちは、京子さん」

 康は笑顔で京子に挨拶する。

「こんにちは、茶色―」

 康に頭を下げると、京子はしゃがんで茶色の頭を撫でた。

 撫でると茶色は気持ちよさそうな顔で小さく鳴く。

「京子ちゃん、実はね――この子の名前が決まったんだよ」

 張り切った顔で康は茶色の頭を撫でる京子に言った。


 この子の名を――。

 ちょうど昨日の夜、そう決めたばかりだ。


「そ、そうなんですか?」

 目を輝かせ、京子は興味津々な顔をする。

 茶色と言う名は、公園の子供たちが見た目で名付けていたのだ。

「うん」

 そう言って康は茶色を抱きかかえた。


 康の言葉がわかるのか、茶色は静かに康の顔を見つめて、その言葉――その名を待っている。


 茶色を降ろし、優しい笑みを向けて康はこう言った。


 ――よろしくな、こくとう。


 茶色の名は――こくとう。

 その名を聞いてこくとうは尻尾を振り、嬉しそうに吠えた。


 こくとうも気に入ってくれたようだ。

 康はほっとした顔で胸をなでおろす。


「よろしくね、こくとうちゃんー」

 降ろされたこくとうに向け、京子は笑顔でそう言った。


 不思議とその名に違和感がない。

 ぴったりの名前だと京子も思った。


「良かったな、こくとう」

 京子の後ろで奏はそう言うと、こくとうは奏向け吠える。

 まるで「ありがとう」と言っているような、奏にはそう聞こえた。

「なあ――神さま」

 康は気がついたような顔で奏に言う。

 奏の横で京子が無邪気な顔でこくとうを撫でていた。

「どうしたんです、橘さん?」

 さっきの雰囲気と少し違う。どうしたのだろうか。

「――ありがとう。君が事故の真実を話してくれなかったら、今も暗い生活を送っていただろう」

 笑みを浮かべ、康はそう言うとゆっくりと頭を下げた。


 桜木奏。いや、神さまか。

 本当にありがとう。


 君のおかげで私はもう一度、歩み始めることが出来た。

 一人ではなく、こくとうと共に。


「僕は僕の出来ることをしただけですよ」

 康の言葉に奏はそう言って、小さく礼する。

「本当にありがとう――神さま」

 笑顔でそう言うと、康とこくとうは散歩へと戻って行った。

 その光景に奏は安堵したように大きく息を吐く。


 康とこくとうを二人は見送っていた。


「ねえ、神さま」

 すると、何か思いつめたような顔で京子は言う。

「ん? どうしたん、きょう?」

「橘さんは前に進めたのでしょうか――?」

 息を吐くように京子は奏に聞いた。


 前に進めたか。

 歩き始めることができたのか――。


 京子が言いたいことはそう言うことだろう。奏は理解する。


「進めたと思うよ。――こくとうと一緒に」


 もう橘さんは一人ではない。

 その隣にはこくとうがいるのだ。


 だから、もう大丈夫だ。

 奏はさっきの光景を思い出して、そう確信する。


「つまり、誰かと一緒に――と言うことですか?」

 他のことに当てはめているような、そんな言い方を京子はする。


 誰かと一緒に――。

 そうだ、その通りだよ、きょう。


「うん、そういうことなるね」

 京子の言葉を肯定するように奏はゆっくりと頷いた。

「その・・・・・・私もです」

 そう言うと恥ずかしそうに京子は俯く。


 誰かと一緒に――。

 京子もそうだったのだ。


「きょうも?」

 はて、何のことか。奏はわからず、首を傾げた。

「はい、私もなんです。私も神さまが一緒にいてくれたことで、前へ進むことが出来るようになりました・・・・・・」

 奏を見つめて、京子は恥ずかしそうに言う。

 顔を赤くした京子に見つめられ、奏は不思議と緊張していた。

「あー、それは僕も一緒かな」

 京子の言葉に奏は納得したように頷き、笑顔を返す。


 姉さんたちを失ったことで、僕らの時間は止まった。


 あまりの悲しみに、しばらく動かない、そう思っていたはずなのに。

 しかし、止まっていたその時間は再び動き始めた。


 ――京子のおかげで。


 彼女と共にいるだけで、僕の人生はより良いものとなっていた。


「――神さま」

 京子は深呼吸をすると、奏の名を呼ぶ。

「ん?」

 奏は不思議そうな顔をする。そんな深呼吸してどうしたのだろうか。


 少し張り切った顔で京子はその右手で奏の左手を掴んだ。

 突然京子に手を掴まれ奏は焦るが、表面に出さないよう冷静を装う。


「そのー、これからもよろしくお願いします」

 静かな笑顔を向け、京子はそう言った。

 彼女の笑顔が癒しのように心地良く感じる。


 これが共に生きると言うことか――。

 奏は実感した。


「よろしく。これからも、この先も――」

 奏は京子の言葉に笑顔で答える。


 これからも、この先も。

 きっと僕らは二人で生きていくだろう。

 

 かつての姉さんたちがそうであったように――。

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万屋さくらぎの桜木さん 桜木 澪 @mio_sakuragi

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