子爵令嬢かく語りき

山吹弓美

子爵令嬢かく語りき

 時は春。

 場所は王立学園、卒業記念舞踏会の開かれている大広間。学園より旅立つ者、それを見送る者、その保護者たちがさわさわと言葉をかわしております。


「お前との婚約を、今ここで破棄させてもらう!」


 その中央で高らかにのたもうたのは、この国の王太子殿下。卒業後、婚約者との結婚式を控えているはずの殿下の横には、どう見てもこの場にいる誰よりも幼い表情の娘がベッタリと寄り添っておられます。

 あれは学内にて悪名高き、今年度に入学したばかりの男爵家の令嬢ですわ。殿下や私より二歳年下、ということになります。

 彼女は王太子以外にも外務大臣の長男、陸軍司令官の次男、王室直属大魔術師の一人息子を自分の周囲に侍らせておりますの。お国の転覆でも図っておられるのでしょうかという感じですので、周囲の皆様からの視線はとにかく冷たいものですわ。当人たちは、まるで気にしていないようですけれど。

 というか、気にしてくださいませ皆様方。

 この国、一夫一妻制なんですよ。王族の方々はその血を未来に残すために愛妾を持つことを認められておりますけれど、男爵令嬢が権力者のご子息ばかり侍らせておられるのはいけませんわよね。大体、王太子殿下も含めて皆様、婚約者がおられるのですよ。


「はあ」


 そうして、王太子殿下のアホンダラ……失礼、愚かな宣言を聞いて立ち尽くしておられるのは、王太子の婚約者である公爵家のご令嬢、といいますかわたくしがお仕えしているお嬢様でございます。わたくしは、そのそばで控えております。

 ちなみにわたくしは子爵家の娘でございまして、学園内では下位貴族クラスに在籍しております。お嬢様と同い年ですので、これで卒業ということになりますわね。この後はお嬢様の侍女としてお仕えし、王宮に上がることになっていたのですが……ねえ。


「我が恋人たる男爵令嬢に対する様々な暴言、蛮行! 許せるものではない、王太子の名において断罪する!」


「……暴言とはもしかして、王族や高位貴族に対する言葉遣いや態度をたしなめたことでしょうか?」


 ふう、と小さくため息を付いてお嬢様は首を傾げられました。国王陛下がお選びになった婚約者がいるのに、恋人……でございますか。そういうお方は身近な貴族家に嫁入りさせておきまして、その上で正妃を迎えてから愛妾として側に置くものらしいですが。

 それはともかくとして、お嬢様に対し反論したのは、王太子ではなく彼を取り巻く皆様がたでございました。


「教科書や文房具を破棄したでしょう?」


 自身も頭脳明晰であるらしい外務大臣のご子息は、黒縁のメガネを指先でいじりながらお嬢様を睨みつけられました。


「彼女は、お前が主催するお茶会への参加を拒まれたと聞く! 仲間はずれはみっともないぞ!」


 軍の司令官を父に持つ大柄な青年は、体格に見合った大声を張り上げられました。


「中庭の噴水に、彼女を突き飛ばしたそうじゃないですか。びしょ濡れの彼女、見ていられませんでしたよ」


 魔術師たる父親譲りのローブを愛用する青年は、その裾を閃かせながら軽く頭を振っておられます。


 ……いやあんたら、証拠あんのかよ証拠。うちのお嬢様が、そんなしょーもないことするわけないだろ。


 こほん、失礼いたしました。貴族の娘が、はしたない言葉遣いなど。いえ、口になど出しておりませんが。

 ああ、わたくしが口を挟まないのは高位貴族の方々に対して許されないことであるからですが、お嬢様のご指示でもございます。

 下手に口を挟むな、と意訳すればそうなるご指示です。わたくしの役どころはそこではない、とお嬢様が仰せになりましたので、淡々と出番を待っているところなのですよ。


「……あれはもってきているわね?」


 お嬢様が、ちらりとわたくしに視線と言葉をくださいました。出番でございますね?

 わたくしは小さく頷いて返答に代えると、お嬢様のお顔がわずかにほころびました。わかりました。このわたくしにおまかせくださいませ、お嬢様。


「失礼ながら、王太子殿下。発言をお許しいただけますか」


「なんだ、侍女の分際で」


 ざわり。

 王太子の発言に、周囲で見物人と化している貴族子女たちの中からざわめきが起きました。

 確かにわたくし、お嬢様の侍女でございますがこれでもれっきとした貴族令嬢なのですよ。それも、王太子殿下の腕の中にいる令嬢より、生家の格が上の。

 ただわたくし、三女ですのよね、お陰様で嫁ぎ先を見つけるのが少々難しく、ちょうど寄り親である公爵家にお生まれになったお嬢様と同い年だったことで側に仕えさせていただくことになったのですが。


「まあいい。少しくらいなら構わんぞ」


「では、おそれながら」


 王太子殿下のお許しを頂いてわたくし、にっこりと微笑んでみました。いえ、うっかり殺気が溢れているのを誤魔化そうと思ったのですが……王太子ほか馬鹿、失礼、どうしようもない皆様方一同、一歩引かれましたわね。

 まあ、さっさとお仕事を終わらせましょうか。


「わたくしのお嬢様が、いくら婚約者を横取りしようとした愚かな者への対処であっても、わざわざご自身のお手を汚すことはございません」


「は」


「また、わたくしや他のお付きの者につきましても、お嬢様よりそのような些末なことに手を出さぬようにとお命じいただいております。それ故、やはり直接には何もしてはおりません」


「馬鹿な!」


 ああ、どうしてこういう顔と身分しか良いところのないご子息がたって、仰ることがどなたも似たりよったりなのでございましょうね。

 ええ、他の貴族のご子息でもこういう方、いらっしゃるのですよ時々。公爵家のお嬢様にお仕えしているわたくしを通じて公爵家と繋がりを持ちたい愚かな方々が気軽に声をかけてこられるので、きちんとお断りしたらだいたい返事がこんな感じですの。


「どうせ、そいつの命令で嘘をつけと言われているんだろう! 王太子が命ずる、真実を話せ!」


「ですから、真実をお話ししております。王太子殿下どころか、国王陛下の命であっても同じことしかお話しできませんわ」


 うふふ、殺気を抑える必要もございませんわね。いえ、行動には移しませんから大丈夫ですよ、皆様。ですから、そこまであからさまにガクガク震えなくてもようございます。


「例えば、お茶会のお誘いについてですが……二度ほど、お嬢様のご指示により招待状をお送りしました。ですが、いずれも王太子殿下や他の皆様との交流に忙しいということでお断りのお返事をいただきました。二度目は招待状を、目の前で真っ二つに引き裂いてくださいましたわね」


「は?」


「そんなことお、してないですう!」


 まあまあ、皆様目を丸くなさって。その中で男爵家の小娘、じゃなくて令嬢が身体をくねくね揺らしながら語尾を伸ばして反論してこられますが、正直気持ち悪いですね。わざとらしすぎて。


「ご心配なさらず。お返事のお手紙に関しましては、こちらに永久保存申し上げておりますので」


 そう言ってわたくしは、きれいな額縁に入った返事の手紙と取り出しました。当然封筒もセットでございます。

 いやもう、とにかく悪筆甚だしいことこの上ない。とても読みにくくて、大変に困ったものでございました。皆で必死に読み取り書き取り、最終的に先程わたくしが王太子殿下にお伝えした内容であろうということだけはどうにか判明いたしまして。


「きゃあああああ! 何してんのよあんたっ!」


 あらまあはしたない。お手紙を記された御本人、どたどたと走って額縁を奪いに参りましたわ。片手のひらを突き出して、お嬢様から離れるようにするりといなして差し上げましたら、ずるりと転びました。あらまあはしたない、二度目。


「二度目の行為に関しましては、監視魔眼の映像が保存してございます。学園長先生の許可をいただきまして、複製がこちらに」


 わたくしの他にも、お嬢様の付き人はおります。その一人を招いて、彼女が持っている監視魔眼の映像を再生させていただきました。ほら、凄まじいお顔でびりびりと招待状を破いておられるそこの小娘、こほん、殿下のご愛人のお姿がばっちりと。


「教科書や文房具の破棄に、噴水に彼女を突き飛ばした……とのことですが、監視魔眼の映像にはそのような記録は全くない、とのことです」


「そんなもの、お前が消させたんだろうが!」


「殿下。学園の警備に関しましては、王家より専門部隊が派遣されております。よもや、彼らの王家への忠誠をお疑いになる、と?」


 王太子殿下の『お前』は、わたくしではなくお嬢様のこと。ああもう、お許しが出たならお仕置きをして差し上げるところなのですが、あいにくお嬢様が正論で反論なさいましたのでわたくしの出番ではありませんわね。

 この学園、王族や貴族や大商人など国にとって重要な家々の子女が通っております。そのため警備は厳重で、国王陛下が専門家との相談の上直々に編成した警備部隊が学園を守ってくださっているのです。

 彼らは総じて陛下に忠誠を誓っている、とよくよく聞いております。ですので、今の殿下のご発言……警備部隊の方々が公爵家にへつらった、などということは断じてございません。もしあれば大事件、部隊の皆様に罰が与えられることは間違いございませんもの。


「お嬢様。そろそろ」


「そうね。別に、舞踏会を欠席したところですでに学園は卒業していますもの、問題ないわね」


 わたくしがお声がけさせていただくと、お嬢様も笑って頷かれました。これ以上、くだらない三文芝居にお付き合いする必要はありませんものね。


「それではわたくし、こちら失礼いたしますわ。参りましょう」


「はい」


「ま、待て!」


 ああもう、お嬢様とともにさっさと退場したいのに何を仰るのでしょうか、この馬鹿殿下は。


「婚約破棄については、父に話を通しましてお答え申し上げます。殿下におかれましても、国王陛下とよくお話なさってくださいな」


 ほら、お嬢様ももう、呆れ顔を隠すこともなさっておられないではないですか。

 馬鹿殿下とお嬢様の婚約は、王家と公爵家の間に取り交わされた契約と申しても過言ではございません。それを一方的に破棄される、と殿下がおっしゃったのです。

 お嬢様は公爵家ご当主たる父君にこの話を伝え、王家のご当主即ち国王陛下との交渉に臨んでいただかなくてはならないのです。馬鹿王子殿下にかまっている暇など全くございません。


「それでは皆様。面白くもない出し物で場をお騒がせして失礼いたしました。わたくしどもは退場いたしますので、宴をお楽しみくださいませ」


 お嬢様と共にわたくしもカーテシーでご挨拶し、他の付き人たちとともにその場を後にいたしました。馬鹿殿下御一行は何やら呆然とこちらを伺っておりますが、ほんっとうに知ったことではありませんからね。


 その後、でございますか。

 もちろん、王太子殿下の有責で婚約は破棄となりましたわ。ああ、王太子でなくなったそうですので冗談抜きに馬鹿王子殿下、なのですが。

 当の殿下は王籍こそ抜かれなかったものの、王家領のひとつである小さな領地の代官を命ぜられたとか。かの方とご一緒にお嬢様を非難された皆様も同行されたそうですから、寂しくないのではありませんかしらね。

 男爵家の小娘、でなくてご令嬢はお家を勘当になられたとか。学園も退学されて、どこかの修道院で下働きをされているそうですわ。

 わたくしのお嬢様はその後、良き縁を得ました。実はとてもお気の強いお嬢様と相性の良い、お優しい旦那様でございます。

 ……わたくしも、お嬢様の付き人の一人と結ばれましてね。夫婦揃って公爵家に、お嬢様とその旦那様に誠心誠意お仕えしております。


 ふふ。

 馬鹿殿下も、せめて順序と体裁だけでもきちんと整えておけばあの小娘と、それなりに結ばれたのではありませんかね。

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