7月第4週 摘心という作業を行い、人間を思う

『エトナ ロッソ

 2021

 テヌータ デッレ テッレ ネーレ』


 イタリア北部バローロでモダンな造りで一世を風靡した「バローロ・ボーイズ」マルク デ グラツィア氏が、シチリア・エトナ山で自ら経営するワイナリーである。

 今回はこちらのスタンダードなワインを開けてみよう。


 ルビーレッドの明るい色合い、甘酸っぱいイチゴのような風味を感じる。

 味わいには、ちょっと温度が低かったからか、タンニンの渋さが始めに来たが、ブドウの持つベリー系の甘酸っぱさやスパイシーさ、樽由来なのかスモーキーさもある。


 明るい陽気なシチリアの若者というよりも、どこか影のあるシチリアマフィアを彷彿させる。


『鶏のシチリア風ローストもどき』


 なんだか肉を食べたくなったので、チキンを焼いてみることにした。

 本来であれば鶏1羽丸ごとだと良かったのだが、思いつきですぐに手に入らなかったので、大きめのもも肉で作ることにした。


 レシピはこちらから使わせてもらった。

 https://chefgohan.gnavi.co.jp/detail/5005


 材料は色々と必要であるが、作り方はそれほど手間ではない。

 ナスの代わりにズッキーニにしたが、これもありだと思う。


 調理は省略して実食。


 鶏から出る脂とブイヨンがうまく混ざり合い、旨みの洪水となっている。

 レシピとは違いオーブンを使わなかったので、表面の皮がパリッとせずにジューシーだ。

 だが、これもまた美味い。


 では、ワインと合わせよう。


 赤ワインの持つタンニンが鶏の脂を吸収し、鮮やかな赤い果実を表に出してくる。

 料理の味わいに新たなソースが加わったかのように旨みを引き立てる。

 

 エトナ火山の情熱的なワインとシチリア風の味付けの肉、この組み合わせはお互いをよく引き立て合っている。

 

 ブドウにとっても似たことが言えるだろう。

 情熱的な真夏の太陽、過ぎた光は死の危険を招くが、ある程度はより良い実を作るためには必要不可欠な相棒となる。


☆☆☆


 前回は梅雨という雨季、そしてこの時期に発生する厄介な病気について語ったと思う。

 今回はその後について語ろうと思う。


 やった!


 ついに梅雨が明けた。

 長いジメジメベトベトした厄介な雨季が終わった。

 いつまで続くのかわからない不安定な天候であったが、終わるとこれまでが嘘のように青空が続いていく。

 

 今年の梅雨は長いと感じていたが、気象庁の発表によると多少の前後はあるが合計の日数は平年並みだったようだ。

 ブドウの病気との戦いをしていると、精神を削れられる程の消耗戦で長くは感じていた。

 だが、晴天が続けばヤツラとの戦争は一旦休戦だ。


 こうなれば、次の作業を始める合図だと僕は思う。

 摘心と呼ばれる作業を行う。

 この作業は人ぞれぞれタイミングがやや異なるが、目的は同じだ。


 この摘心と呼ばれる作業は、ブドウの伸びた枝の先端を一定の長さで切りそろえてあげる作業である。

 こうすることで、樹の成長に使われていた栄養を実に使わせてやろうということである。

 例えるならば、若い夫婦が生まれたばかりの子供のために養育費を投資していくようなものだ……ケッ!


 さて、摘心を行うために畑にやってくると棚下は暗く影が濃くなっている。

 梅雨時の雨を吸収し、日が出てきたことでブドウの木が元気すぎるぐらいに成長しているからだ。


 このまま放置しておくと、日当たりが悪く風通しも悪く湿気がこもるのでブドウの実の成長に全く良いことはない。

 つまりは、子供を放置して夜な夜な遊び歩く虐待親、ネグレクト状態となっている。

 この虐待状態を強制的に矯正してあげることで、親たちは心を入れ替えて子どもたちに尽くすようになるわけだ。

 

 ザクザクと容赦なく先端を切り詰めていくわけだが、畑を明るくしてあげるために短く切りすぎても良くない。

 短く切りすぎてしまうと光合成をする力を失い、実に行く栄養が足りなくなるからだ。

 つまり、税金を搾り取りすぎて自分たちだけが生きることが精一杯の世帯が増えて少子化が進む社会の縮図となる。


 さらに、タイミングが早すぎても良いことはない。

 早く切りすぎると、梅雨の大量の雨を吸収し、また枝が伸びてくるからだ。

 またもう一度やり直すことになる。

 他にも理由があり、生食用の大粒ぶどうなら良いのだが、ワイン用ブドウでは粒が大きくなりすぎて水っぽくなってしまう。

 わかりやすくいえば、子供を甘やかし過ぎてはロクな大人にならないのである。


 こういった理由から摘心という作業を行うが、もう一つついでに作業を行う。

 以前にも行った副梢という脇芽も取ってやる。

 

 先端を切り詰めると今度はこの副梢が勢力を拡大してきて、また棚下が真っ暗になってしまうからだ。

 つまり、浮気心が芽生えて泥沼不倫に走るようなものだ。

 僕から見れば暇人としか思えないが、せっかく子供のために積み立てた養育費を愛人に貢いで家庭崩壊を招くことになる。


 さて、ブドウの畑を管理して観察していると人間という生き物とどこか似ていると思う。

 このどこか滑稽で手のかかる子供のようなブドウたちとの格闘の日々も、この摘心が終われば、収穫まではほぼやることは終了だ。

 後は、防除(農薬の散布)と草刈りぐらい、突発的な何かが起こらない限りは収穫を待つのみとなる。

 情熱的な太陽のもとで、良いブドウが出来上がるのをじっと見守る。

 

 例えるなら、独り立ちした子どもたちが立派な成人となった孫を連れてきてくれるのを待つ、おじいちゃんおばあちゃんの気分なのだろうか?

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