第13話「夏彦⑤」


 堺が前線に追いついたのは全てが終わった後だった。導かれるように辿り着いた先で、夏彦を抱える少年を見据える。

 あれが人間でないことはすぐに分かった。怒りで前が見えなくなりそうな彼を、嗄れた声が呼び止める。

「待ちなさい」

 振り向いた先には老人がいた。いや、これも人間ではない。しかし、あの子供と違って敵う気はしなかった。

 肩の力を抜いた堺を見て、狐面の老人は言葉を繋げる。

「あの子等は友人同士だ。悪いようにはしない。見守ってはくれないか」

「友人…?」

 堺は色素の薄い髪の少年を振り返り、混乱する頭から記憶を呼び起こした。

「あれは、もしや…上総か?」

「……知っていたのか」

「話に聞いていただけだ」

「上総はわしの弟子だ」

「……そうか」

「怒らぬのか」

「怒ってどうなる」

 座り込み、顔を覆って堺は続ける。

「夏彦をあんなにしたのは、俺達人間だよ」

 震える声が懺悔した。九尾もまた、堺の姿を見て力を抜く。

「こちらも悪いことをした。交渉が上手く行っていれば大事にはならなかったろうに」

「あんたらは仲間を守っただけだろう。はは、おかしな話だ。人間より妖怪のほうが話が通じるだなんて」

 嘲笑が空に抜ける。舞い散る白が夏彦の学生帽に積もっていた。

「取引がしたい」

 九尾は帽子を拾い上げ、覚悟と共に顔を上げた堺の前に袂から出したものを示す。

「これを渡してはくれんか。戦利品だとでも言ってな」

 手に落とされたのは涼やかな音。付属の朱い飾り紐が目に鮮やかに映る。

「鈴…?」

「それで一旦抗争は終わるだろう」

「それは、つまり」

「そいつは、わしが直接出向くための楔じゃよ」

「成る程。人間は愚かだな」

 鈴を議員に渡すだけで、この九尾は制圧することができる。元より人間に勝ち目などなかったのだ。

 立ち上がった堺を見て、九尾は微笑む。

「あなたの身の安全は保証しよう」

「それは助かるよ」

 戦の結末を見届けるのは自分だ。巻き込まれた同胞たちの無念と共に。同時に九尾と協力関係になるリスクを考えはじめた自分に嫌気が差した。

 それでも。

「まだ死ぬわけにはいかないんだ」

 懐の小瓶をそっと撫で、堺は踵を返した。



 **



 甘い匂いがする。

 宴の声がする。

 憎き退魔師を退けたと、妖怪達が騒いでいた。

 楽しげに、ざまあみろと囃し立てる。

 それはそうだ。

 退魔師には沢山仲間を殺されたのだから。

 彼等が喜ぶのは仕方のないことだ。


 赤い鳥居を見下ろして、上総は拳を握りしめる。

 彼等からは絶対に見えない山の中腹、鳥居の上に座る上総を下から見上げるものがあった。

「じいちゃん」

 降りようと身を捻る上総を制し、九尾はすぐに鳥居の上に来る。瞬きする間の出来事に驚くものも多いが、上総は既に慣れていた。

「ご苦労だったな」

「ごめん。勝手にじいちゃんの名前使って…」

「よいよい。結果、被害も少なく済んだ」

 詳しいことは知らないけれど、人間側にも聡い人は居たようで、事態の収拾に一役かってくれたらしい。じいちゃんも一枚噛んでいる。下で騒いでいる妖怪たちは、勿論知らないことだけど。

「それで、どうする気だ」

 その瞬間、上総は全てを見透かされたのが分かった。上総から夏彦に変化した弟子を見て、九尾は複雑な顔をする。

 学ランの懐から1枚だけ札を抜き取り、下から見られて騒ぎが起きる前に上総に戻った。

 夏彦から受け継いだ力は強大だった。尻尾が2つになっていて驚愕したほどだ。夏彦の姿を取れば、退魔の術も使えるらしい。

 上総の姿で札を弄びながら、2尾の狐は応える。

「僕はどちらにもつかないよ」

 妖怪と人間。

 どちらにつくかを選ばなければならない風潮が、仲間内に流れていた。

 妖怪側につくと言えば人間と争わなければならないし、人間側につくと言えば二度と妖怪には戻れない。2つに1つ。一度でも抗争が過激化してしまった今、選択肢はそれしかなかった。今は均衡を保てていても、なにが切欠でまた争いはじめるか分からない。人間と妖怪の関係はそれくらい危ういものとなってしまったから。

「そう言うと思って、既に手配してある」

「手配?」

 九尾としては戦争なんてしたくない。それが本音だ。しかし、血の気の多い妖怪達を纏めるには多少の犠牲は仕方がないと目を瞑ることもある。

 犠牲になるのは勿論、妖怪ではなく人間。

 妖怪同士で仲間割れをするのが一番愚かだ。

 驚く上総に、九尾は落ち着いた調子で助言する。

「中立派の元へ行け」

「中立って…九尾のじいちゃんと均衡を保てる妖怪なんてそうそういないんじゃない?」

「座敷童子」

「……あ」

 派閥が増えれば争いも増える。だからこそ今の段階で中立を保てるのは力のある妖怪だけだ。

「人の側で暮らす彼女だ。妖怪とも人間とも選べはせん。そういった輩は一定数おるよ」

 九尾の言葉を聞いて、上総は肩の力を抜く。争うことだけが全てではないと、分かってくれる妖怪も少なからず居ると分かったから。

 九尾は上総の心情を察してか、頭を撫でながら続ける。

「わしも彼女とは出来れば争いたくない。彼女が心変わりせん限りは、反抗する妖怪どもを抑えておく努力はするつもりだ」

 心変わり…つまり、座敷童子が人間側に転がらぬよう見張り、誘導することまで求められているのかもしれない。再び緊張した上総に、九尾は困ったように付け加えた。

「中立派には力の弱い妖怪や、温和な妖怪、戦えない者等も含まれている。無理に戦に巻き込みたくはないからな。直々に頼んだのだよ」

 守るために。夏彦がやりたかったことだ。どこまで見透かされているんだろう。どこまで配慮されているんだろう。上総は恵まれた境遇に胸が痛くなる。

「お前は彼女の手伝いをしろ。そうすれば尻尾もそのうち増える」

 複雑に歪めた顔を頷かせた上総を見て、九尾はやっと笑顔になった。

「わかった」

 夏彦から力を受け継いだ事で出来ることは増えた。少しでも力になれるよう頑張る他ない。

 立ち上がる上総の頭に、九尾は尻尾から取り出した学生帽を被せる。

「彼の帽子だ」

「拾っておいてくれたの…?」

 少しぶかぶかのそれを頭から外し、大事そうに抱えた上総は掠れた声で言った。

「ありがとう、じいちゃん」

 理解してくれて。応援してくれて。なにもかも与えてもらった。


 だからこそやり遂げなくてはならない。

 なにもできなかった自分を恥じながら。

 全てを流れに任せることしか出来なかった事を悔やみながら。

 力のなさに落胆しながら。

 上総は改めて決意する。

 この灯火を絶やしてはならないと。





 ***



 翌日の夕刻

 上総は通っていた中学校がある駅にいた。

 二駅分歩いて町並みを記憶する。

 この街とはお別れだ。暫く来ることもないだろう。

 だからせめて、最後は夏彦として去ろうと思う。

 切符を買って、改札を潜った。見慣れた線路。だけもいつもとは逆のホームに向かう。目的地は大分遠い。途中、いくつかの神社で休ませてもらわなければ。

 目深にかぶっていた学生帽を持ち上げると、夕陽がやけに眩しく感じた。遠く見える山並みも燃えているようで、しかし風は当たり前に冷たく。羽織っていたコートに袖を通していると、背後に気配が現れた。

「あの…っ!」

 身が竦む。夏彦の境遇はあのあと黒蜜に詳しく聞いて知っていたから、声をかけられることなどないと思っていただけに、上総は恐る恐る振り向いた。

 少し見下ろす位置で、女性が安心したように笑顔を浮かべる。

「ああ、やっぱり…会えて、良かった…」

 慌てて呼び止めたのだろう。切らせた息を整えて、驚くに彼女は言った。

「あなたは覚えていないかもしれないけれど…わたし、あなたに助けてもらった事があるの」

 どくりと、胸が鳴る。夏彦の口元が開いたのを見て、女性は声を弾ませた。

「あなたがまだ中学生だった頃の話よ…随分時間がかかってしまったけれど…お礼を言わせてください」

 学ランを示し、次に深々と頭を下げて。

 彼女は…も話に聞いていた彼女は、満面の笑顔で告げる。

「あの時は、本当にありがとうございました。あなたのおかげで、わたしは今ここにいます」

 胸が痛い。声が詰まる。

 だってその言葉は…夏彦に、聞いてほしかったから。

 上総は全てを飲み込んで、精一杯、夏彦としての笑顔を作った。

「入院していたと聞いていました。退院できて、よかったです」

「はい。おかげさまで」

 クラクションで会話が途切れる。風に舞わぬよう、髪を、帽子を抑える二人の前に電車が滑り込んできた。

 騒音が言葉を奪う。どちらともなく目を合わせ、互いに笑顔を傾かせた。静かになったホームで扉が手招く音がする。夏彦は最後にしっかり彼女の目を見据えた。

「どうかお元気で」

「ありがとう。また、どこかでお会いしましょう」

 柔和に微笑んで、彼女は踵を返す。夏彦は電車に乗り込み、その背中が見えなくなるまで見送った。

 ホームの上も、電車の中も人は疎らで。自分の息使いが酷く耳に触る。自然と歯を食いしばれば、呼吸が乱れた。心臓が痛い。高鳴って、言葉が溢れ出しそうな程に。


 君がしたことは間違ってなんていなかった。

 だって、彼女は笑っていたから。

 間違ってなんていなかったんだよ。夏彦。


 電車のベルが鳴る。

 出発はもうすぐだ。

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まんなかの灯 あさぎそーご @xasagi

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