第12話「夏彦④」


「荷物をまとめろ、國代」

「なんだ。藪から棒に」

 國代が間借りしている部屋に入るなり、堺は煙草に火を点ける。

「他の仲間はみんな逃がした。残りはお前だけだ」堺の事務所は弱小だ。退魔師とはいえ縦社会、権力に逆らえば簡単に潰されてしまう。國代は堺の考えを察して大きくため息をついた。

 彼はこれから他の仲間と同じく、名を変え、各地を転々としながら次の居場所を探すことになる。定住地が見付かる頃にはほとぼりも冷めているだろうが、大変なことに変わりはない。

 しかし國代も議員に従うつもりはないらしく、諦めて現実を受け入れることにしたようだ。

「この子はどうするんだ?」

「夏彦と一緒に連れて行くわけにはいかない」

 死んだと伝えた手前、背負っていくには荷が重すぎる。落ち着いた頃に打ち明けられればそれが一番いい。國代も同意して紫煙を燻らせた。

「確かに。分かった、保管しておこう」

「変なことに使うなよ」

「おいおい、俺は退魔師だが変態じゃあないぞ」

 冗談に悪態をつき、國代は金庫からガラス瓶を出してくる。

「こっちは堺が持っていろ。一箇所に纏めとくのは良くない」

 瓶の中には、冬美の魂を封印した札が封印されていた。堺は躊躇いがちに問う。

「保存可能期間は?」

「紙が劣化するまで」

 受け取った瓶は想像以上に重かった。白衣を脱ぐ國代の背中に、堺は最後の言葉を注ぐ。

「頼んだ」

「任せろ」

 國代の即答に微笑み、彼は静かに部屋を出た。



 数日後。

 國代が去った上階を片付け終えた堺がデスクを叩く。

「くそ、後手後手だ」

 議員側が堺の事務所が入っている建物の権利書を抑えたらしく、退去手続きができない。逃げても家賃を永遠搾り取る算段か。払い続けるにしろ無視するにしろ、リスクが大きすぎる。

 かと言ってノルマを達成するのは不可能だ。そう簡単に妖怪が見つかるわけもない。同業者で足の引っ張り合いになるのは目に見えている。

 つまり。

「この総力戦とやらに強制参加させるつもりか」

 通達は1枚の便箋の上で簡潔に踊る。有無を言わさぬ圧力を持って。

 こうなるであろうことは予想していた。だから前もって仲間を逃がした。その上で夏彦と逃げるつもりでいたのだが。

 文字通り逃げ遅れた堺は、腹を括って直談判に向かう。総力戦の本拠地、夏彦に力を与えたあの会社に。


 せめて夏彦だけは逃がす三段を整えなければ。


 作戦の指揮を取るのは、退魔師に指示を出す議員秘書。当人が顔を出すことは滅多にない。堺も一度会ったことがある程度だ。

 しかしこの秘書は違う。何度も何度も会合で嫌味を言われた。

「やあ、やっと来たのかね」

 部屋に通されるなり、ガタイの良い男が不敵に笑う。堺は頭を下げる間に呼吸を整えた。

「……作戦参加の返答は今日でしたよね?実はおりいって相談し…」

「ああ、君のところからはもう貰ったよ」

 申し出を遮ってまで飛んできた言葉に、堺は固まる。

「は…?」

「志木夏彦」

 堪えきれず満面の笑みで、秘書は言った。

「知らなかったのかね?まったく、

 堺の手が固く握られる。言い訳は出来ない。縛り付けてでも側においておくべきだったのだろう。だが、退魔師の仕事には夏彦に聞かせたくない話が多すぎた。冬美のことも、その一つだ。

「まったく、君は本当に後悔が好きだねえ。彼はもう戦地に出た後だよ。外側から順に廻っているはずだ」

「今はどこに…?」

「さあねえ。知らないよ」

 意地悪な口調がどこまでも憎たらしい。言葉をなくした堺に、秘書は楽しげにとどめをさす。

「なにも知らせて行かないだなんて、信用されていなかったんだな」





 雪が舞う。


 またこの季節が来てしまった。

 白の中に浮かぶ、冬美の笑顔を思い出す。

 幼い頃はころころと笑っていた妹も。最後は淋しそうに微笑むばかりで。

 だけど上総と一緒にいるときだけは、本当に嬉しそうに笑うものだから。

「俺も嬉しかったんだ」

 白い息が空に昇る。灰色の空は全てを吸い込むように。

「堺さんには悪いことをしたな」

 何も言わずに出てきてしまった。出会ってから1年半。散々世話になっておきながら、満足に礼も言えなかった。せめてどこかに書き残していけたらいいんだけど。

 司令部は端から攻めて、真ん中に追い込む作戦だ。

 妖怪も馬鹿ではない。犠牲が出ないよう一旦全て引かせたらしく、神社に残るのは強力な結界と少数精鋭だけ。

 秋に堺のところを出てから今日で3ヶ月になる。年越しも境内で戦闘中だった。

 そしてとうとう今日が最終戦。

 上総がいなくなり、見つかったあの神社で。


 夏彦は堺に貰った眼帯をそっと抑える。これをしていれば不思議と左目は痛まなかった。そういう術を施してくれたのかもしれない。

 見上げた先にある社は古く、異様な気を放っていた。中に妖怪の気配がないにも関わらず。

 振り向けば朱い鳥居が並ぶ階段。恐らくもう戻ることは出来ない。

「道案内の礼、しそびれてたからな」

 買ってきたいなり寿司を賽銭箱の側に置く。あの狐が見つけてくれるよう、形だけでも祈りを捧げた。

「だけど悪いな。これはこれ、それはそれだ」

 ついでに学ランの内ポケットからメモを出して堺宛に礼を連ねる。伝わらないかもしれない。それでもどこかに残しておきたかったから。

 大した事は書けなかったけれど、心は落ち着いた。夏彦は息を吐いて立ち上がり、袖から札を引き出す。

「仇、取らせてもらうぞ」



 **



 周囲の社の壊された結界を直して戻ったのが、攻防がはじまって1日を過ぎた頃。

「僕は夏彦とは戦えない」

 黒蜜から報告を聞いた上総は、それでも麓を見下ろした。

「でも、夏彦に妖怪の話をしたのは僕だから」

「死ぬ気?」

「夏彦にその気があるなら」

「……上総」

 黒蜜の隣に三毛猫が歩いてくる。こちらは眷属ではあるようだが尻尾は一つ。上総には声が聞こえなかった。立ち上がるも引き止められて、焦る上総に黒蜜は言った。

「それは多分無理だよ」

「……え?」

「今、この子から聞いた」


 数分ほど前。

 札に力を込める。

 緑色の光がの男の顔に直撃した。光に引き寄せられた札が風を起こす。全てを巻き込み、切り刻む。葉と枝と、不思議な色の血液が舞った。

 目が霞む。もう札も残り少ない。補給に行きたいのに、出口が見つからない。見付かるのは仲間の死体ばかりだ。

 追い詰めたつもりが、おびき寄せられていたわけか。夏彦は苦笑する。恐らく、自分が最後の生き残りだろうと理解しながら。

 妖怪達が集まってくる。逃げ場はない。助けも来ない。なんのために戦うのだろう。

 上総は戻らない。

 冬美も戻らない。

 家族も。友達も。なにもない。

 自分の働きで堺が楽になれるのならそれでいいと思っていたけれど、恐らく口車に乗せられただけで堺に恩恵はないだろう。

 妖怪達は口々に言った。

 あいつが仲間を祓った。仇討ちだ。許せない。追い詰めろ。痛めつけろ。殺せ。

 おかしい。仇討ちに来たのは自分の筈だったのに。

 このまま死んでいいのか?どいつが上総の仇だ?

 分からない。なにも分からない。

 全てを巻き込んだらいいのか。

 このまま大人しく逝くべきなのかすら。

 感情が札に籠もる。それは周囲を巻き込んで炎上した。木々と同じ、鮮やかな緑色の炎で。


 上総が炎を確認したのはそれから十分後の事だった。木の上から様子を確認する。妖怪に囲まれる1人のニンゲンが見えた。あれが夏彦か。

 上総と夏彦が別れてから3年が過ぎている。

 最初に化けた当時と変わらない姿とは違い、夏彦は高校2年生になっていた。学ランを着ているせいもあって印象が違う。

「待ってくれ」

「ん?あんた、九尾んとこの坊主か…」

「もう、勝負はついてるよ」

 間に入ると、張り詰めた空気が若干緩んだ。

「しかしこいつは何体も祓った」

「分かってる。でも後は任せてくれないか?」

 自分が怯めばまた争いになる。真っ直ぐに仲間の目を見据えると、何体か目を泳がせた。

「情報を引き出してこいって…じいちゃんの指示で」

「……そうか。敵の本拠地が見つかるならその方が…」

「うん、でもあんまり期待はしないで」

「まあ、もう死にかけだしな」

 これで終わりか、呆気なかったな。と、妖怪たちは引いてくれた。上総は周囲の気配がなくなるのも待たずに夏彦に駆け寄る。

「夏彦…」

「上総…どう、して…」

 地に伏していた夏彦から力ない問いが返ってくる。上総は唇を噛み締めて、顔を歪める夏彦に真実を教えた。

 目の前で狐の姿に変身した上総を見て、夏彦は言いようのない複雑な顔になる。

「ごめん夏彦」

「いつ…から…」

「夏彦達と出会った時には、もう今の僕だった」

 変身して、夏彦を抱え起こす間にも、夏彦は苦しそうに眉を顰めた。それが怪我からくるものでも、怒りからくるものだとしても、上総にとっては同じこと。それでもきちんと話さなければならない。本当のことを。

 震える上総に背中を預けた夏彦は、咳の合間に小さく問う。

「……元の上総は…」

「ここで亡くなっていた。この山で」

「お前達が…殺したのか?」

 鋭い眼差しを受けて、上総は首を振って否定した。夏彦はため息で殺意を払うと、遠い目を空に向ける。

「なら…あの母親か」

「……会ったの?」

 上総はどきりとした。少し考えれば、そうであってもおかしくないと思えるのに。今の今まで思い付かなかったのが不思議だ。

 夏彦は瞬きで肯定する。会ったのなら、気付いた筈だ。上総が異様さに気づいたのは北に赴いてからだったけれど。

「僕はあれがニンゲンの家族のあり方だと思っていたよ」

「あれってどんなだよ…」

「会話なんてなかった。ずっと気味悪いって言われてた。金は渡すから黙ってろって」

 押し黙った夏彦を前に、上総は改めて思う。やはり、あのニンゲンはおかしかったのだと。

 夏彦は悔しそうに腕で目を覆う。黒い制服が眼帯の白を強調した。上総はその上に答えを落とす。夏彦が求めた真相を。

「僕は狐。ニンゲンを学ぶために人里に降りたばかりだった。上総のフリをするうちに、狐であることを忘れて、君達と出会った」

 夏彦が上総を見る。その眼差しから色んな色が抜けていくように感じて、上総は焦りを覚えた。

 夏彦は相槌の後、短く呟く。

「おかしな夢の話は…」

「じいちゃんが見せていたんだ。僕が思い出せるように」

 思い出す。夏彦は口の中で繰り返した。

「そうか…つまり、お前は、自分から…」

 笑いが漏れた。苦しげに、次第に薄れて咳込んでも、夏彦は笑い続ける。

「そうか…俺が間違ってたのか…」

(間違って?違う…夏彦はただ、取り戻したかっただけだ)

「冬美は死んだよ…お前を追い掛けてるうちに…妖怪に、取り殺されて…」

(守りたかっただけだ…)

「全部無駄だった…俺の空回りだ。笑ってくれよ、なあ…上総」

 夏彦は息を吸い上げる。綺麗じゃない。今にも咳き込みそうな音がした。

(息が…もう、駄目なのか…こんな状態のまま…夏彦は…死ぬのか?)

「いいや、そうじゃない」

 呟いて、上総は言われた通り精一杯笑ってみせる。

「僕は、上総と冬美を奪った悪い狐だよ」

 ボロボロの夏彦を見下ろして。震える歯を食いしばりながら。夏彦の目は霞んでいる筈だから。きっと大丈夫。

 目を見開いた夏彦が、細めた瞳を閉じるまでの数秒間。上総はそれ以上声を出すことが出来なかった。

 夏彦は深く息を吐き、右手を持ち上げる。

「………そうか、なら…」

 なにも持っていない。血だらけの掌。夏彦は上総の胸にそれを当てた。

「これを喰らえ」

 光が溢れた。綺麗な、新緑のような光が夏彦の掌から上総の中へと吸収されていく。

 全てを吸い込んだ上総は、夏彦がなにをしたのか理解した。彼は自分のを託したのだ。手に入れた退魔の力の全てを。

「せいぜい苦しめ…馬鹿野郎…」

 こと切れる寸前、夏彦の口元が確かに動いた。「ありがとう」と。声もなく。

「それはこっちの台詞だよ…夏彦…」


 最後まで、僕のことを気遣って…

 優しい優しい、僕の友達

 絶対に無駄にはしない

 許すものか。こんな終わり方


 力と一緒に想いも流れてきた

 夏彦はただ守りたかっただけだ

 大切なものを

 平穏な日常を

 優しい人達を


 死んでしまった人間が生き返ることはない。分かっているからこそやるせなかった。

 夏彦はもう動かない。だけど夏彦は確かに生きていた。夏彦として。上総の記憶に確かに刻まれた。

「君に悪役は似合わない」

 上総が生きている限り、繋いでいける筈だ。

「僕は守るよ。君の力も。君の力で。僕が守りたいものを。僕が思うように」

 せめてその優しいだけでも。失ってはいけない。

 夏彦の亡骸が塵になっていく。退魔の力を手に入れた影響か。上総に全てを渡してしまった反動かは分からない。指先まですっかり風に巻かれてしまった彼を見送って、上総は強く誓った。

「例え何かを壊してでも」

 やり遂げる。妖怪として生きる自分になら、出来るはずだ。

 夏彦の望んだ平和な世界にすることが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る