第11話「夏彦③」


 夕陽がやけに赤かった。

 事務所で書類を整理する夏彦に、入り口に立った堺は告げる。

「冬美ちゃんが…」

 最後まで言われなくとも、夏彦には分かった。自分の頭が真っ白になるのも。

 堺はなにか言いかけて、口をつぐむ。そして短く言い直した。

「すまない」

「堺さんのせいじゃないです。俺なんて、なにもしてやれなかった」

「そんなことはない」

「あいつは…」

 慰めを遮って、夏彦は呟く。

「あいつはただ、上総に会いたかっただけなのに」

 ソファに座り、俯いたまま。夏彦は静かに泣いた。

 堺は黙って事務所を出た。階段を一つ上り、窓を開け。ビルの合間、遠く見える狭い空を見上げて煙草に火を灯す。

「呪いの正体は言わなかったのかい」

 背中から問われ、振り向くでもなく答えた。

「言えると思うか」

「言ったら探し出して殺しかねんか」

 並んだ國代は白衣のポケットからマッチを取り出し煙草に火をつける。そして無言で応える堺の顔を覗き込んだ。

「妖怪なら殺しても構わんとでも?」

「手段を知らなければ手も出せないだろう」

「成る程、あんたがしっかり見張ってやるつもりでいるのか」

 煙と皮肉が空に上る。堺は舌を打って苦い顔をした。國代は哀れみとも同情とも取れる苦笑を浴びせ、背を向ける。

「目を離すなよ」

 他人事のような捨て台詞を残して、國代は冬美の肉体が眠る部屋に消えた。




 冬美が死んだと聞かされた夏彦は、退魔の術の勉強にのめり込むようになった。

 もう失うものはないから。滲み出る感情を諭すように、堺はなにも教えなくなる。ただ、見張るように側に置き続けた。

 しかし夏彦は例のごとく、堺が居ない間に他の術師に捕まってしまう。そうなるように会合側が仕向けたと言ってもいい。その日、夏彦は会合に参加できず、堺と同じ派閥の退魔師全てが招集されたのだから。

 事務所から帰るよう言われた夏彦は、事務所の最寄り駅で呼び止められる。

「あんた夏彦くんって言ったっけ?堺さんとこの」

「……はい、そうですが」

「術はもう使えるの?」

 3人の男に囲まれて、行く手を塞がれた。全員見覚えがある。退魔師だ。夏彦は落ち着き払って応える。

「いえ、まだです」

「そうなの?早く使えるようになりたくない?」

「そんなこと、できるんですか?」

「できるできる!いやあ、助かるよ。本当に人が足りなくてね」

「あんたも妖怪に恨みがあるんだって?大丈夫。すぐに使えるようになる」

「代償はかかるけど、心配するな。すぐに慣れるさ」

 有無を言わさず、肩を押されて連行された。だけどこれで良かったのだと、夏彦は思う。

「宜しくお願いします」

 抵抗はしなかった。堺にバレたら止められるだろう。だけどもう、これしか道は見えない。

 代償なんてどうでもいい。無理矢理にでも、力を得てやる。


 覚悟した夏彦が辿り着いた先は、退魔師の集まりの中でも大きな会社の一室だった。

 陣が敷かれ、蝋燭の並ぶ薄暗い場所。夏彦はその中心に立たされ、3人の中で一番背の低い男に問われる。

「これは霊力を目覚めさせる術だ。代償は自分じゃ決められないんだが…あんたは力が欲しいんだよな?」

 酷く曖昧な、圧のある説明に夏彦は頷いた。

「流石」

「噂通りだな」

 取り巻きが囁く。蔑みか歓喜か判別はつかない。

「それじゃあ、儀式をはじめようか」

 宣言と同時に、外側から内側に光が迫る。敷かれた陣がじわじわと赤から緑に変化した。

 夏彦は、足元から何かに掴まれていく感覚に囚われる。見えない沢山の手は、獲物を探すように上へ上へと伸びてきた。

 動けない。かといって、倒れることもできない。

 恐怖から自然と抵抗する夏彦の頬に、見えない手が触れた瞬間。感覚が左目に吸い込まれていった。

「っ……!!」

 痛みは声にならないくらい。体の内側から無理矢理抉られ、代わりに何かで埋められるような。

 もがく夏彦を、3人の男が陣の外から見守っていた。その顔は一様に妖しく微笑んでいる。

 夏彦は引き千切られる感覚の中で、確かに見た。人間の本質とも取れる、彼等の表情を。



 **




 時間にして5分ほど。体感はもっと長かっただろう。夏彦は痛みから開放されたものの、左目を失っていた。

「成功したみたいだな」

「あんたの代償は左目か」

「まあ、悪くないだろう?片目は残ったわけだし」

 窓ガラスに映る自分を見た夏彦は、言われた通り片目がないことを認識する。血液すら出ない、真っ暗な闇が眼窩を埋めていた。

 そして。

「大丈夫なんですか?」

 夏彦の問いに、3人の男はへらへらと言う。

「大丈夫、死にやしない」

「それよりほら、試してみたらどうだ?」

「新たな力をさ」

 伝わらなかったことに驚いて、夏彦は理解した。

(ああ、この人達にはんだ)

 彼等の背中に纏わりつく沢山の黒い影が。天井まで伸びるほどの量…こうなってはもう顔すら分からない。

 虚無と、恐れと、期待と、絶望と。

 夏彦が左目を生贄に得た力と感覚は、思った以上に大きかった。

 儀式をした3人の退魔師は、即戦力になると分かるや否や、札の作り方から術の使い方、敵の倒し方まで全てを教え込んだ。教えられたまま使いこなす夏彦を前に、笑いが止まらなくなる。

 これで勝てる。賞金も総取りだ。上に媚を売れば今後も安泰だ。諸手を上げて喜ぶ彼らを見ても、夏彦の心は揺らがなかった。

 それはそうだ。

 夏彦には彼等が長くないことがなんとなく分かってしまったから。



 その日のうちにその足で連れて行かれた初仕事は、小さな神社の制圧だ。3人の退魔師と共に、妖怪と対峙する。

 勝負は呆気なく終わった。

 札を持った指先に力を込めると、緑色に輝いて。近付いた妖怪が嫌な音と共に蒸発する。

 称賛の声を浴びながらも、焼かれた者たちの断末魔がいつまでも耳から離れなかった。



 深夜。

 上の空で街を歩く夏彦の行く手を塞いだのは、会合帰りの堺だ。焦点の合わない夏彦に、堺は震える声で問いかける。

「おい、夏彦。お前さん、なにをしてきた?」

 夏彦は、その時はじめて実感した。自分がしたことを。だから目を逸らす。まっすぐな堺の眼差しから。その強さから。

「すみません、堺さん」

「すみませんで済む話じゃない」

「はい。もう、戻れないです」

 肩を譲られ、無理矢理目を合わされて。夏彦は強張った顔を笑顔に変える。堺は言葉を詰まらせ、悔しそうに顔を顰めた。

「分かってます。堺さんは悪くない。ちゃんと教えてくれましたから」

 無いはずの左目が痛む。気休めに巻いた手ぬぐいの上から押さえ付けてみても、涙すら出なかった。

「俺が俺を、許せなかっただけです」

 堺は夏彦を責めることすらできなくなって、黙って手を引き事務所に連れ帰る。

 疲れて眠った彼の寝顔を眺める堺は声もなく後悔した。


 志木と聞いた時点で手を離すべきだったか。

 いや、自分が関わらずとも遅かれ早かれこうなっていた。

 力というのは恐ろしい。使い方を間違えば全てを巻き込み破滅する。

 あの議員のように。


 言いなりになっている自分にも腹が立つ。だからといって無鉄砲に動けるほど身軽でもない。

 今の自分にできるのは八つ当たりくらいだ。

「おい、あんな子供になんてことさせやがる」

 夏彦の目を奪った会社に乗り込み、首謀者の胸ぐらを掴む。主犯がすぐに分かったのは、夏彦に施された術が特別なものだったからだ。

「離せ。お前がやらないから俺達がしてやったんだ。感謝してくれてもいいんじゃないか?」

 背の低い男を乱暴に離し、堺は上から圧をかける。

「なんも知らないんだぞ」

「なんも知らないからだろ」

 嘲笑う別の男を睨みつけると、彼はふざけたように両手を広げて続けた。

「好都合じゃないか。始末をつけるには」

「あの小僧、志木だろう?立派な関係者だ」

 発端となる議員の親戚に、別件でつっかかって殴りかかった中学生。本来なら関係がない筈の彼の家が、逆恨みで潰されている。その事実を、関わった退魔師全員が…

「ふざけるな。あの子は悪くない。みんな知っている筈だろう」

 そう。知っていた。出会ったのは偶然でも、名前を聞いただけで境遇が分かるくらいには。

「そうだな悪くない。だがな、相手が悪かった」

「あの人らが黒といえば、真っ白なもんも真っ黒になっちまう。そりゃお前も知っている筈だろう?なあ堺」


 ぞわりと、体が粟立った。

 ああ、こんな奴等と同業者だなんて。

 虫酸が走る。


 堺は足元の影に力を落とす。

 彼等の背後で蠢く黒い影を刺激するように。

 それは見えずとも圧となって3人に届いた。

「言っとくけどな!こりゃあのガキも望んだことだ!俺らはちゃーんとからな!!」

 彼らも一端の退魔師だ。それでも自分のことになると見えなくなるものらしい。

 払うでもなく、飲まれていく3人を横目に見据え、堺は黙って踵を返した。

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