第3話

 ゲームセンターを出た帰り道。

 時間を忘れたようにゲームに没頭しており、気がつけば日が沈む時間になっていた。

 地平線へと姿を隠す夕日は、最後の力を振り絞り、幻想的な空を作り出す。下から順に赤、オレンジ、水色、紺色、黒と階層を隔てた五色の空に、うっすらと浮かぶ白と黒の雲。

 

「ふわー、楽しかったわね」


 沙紀は体をほぐすように背筋を伸ばす。彼女の姿は幻想的な空にうまく溶け込んでいた。

 僕は楽しそうに前を歩く沙紀の姿を見て穏やかな笑みを浮かべる。また二人でこうしてゲームセンターで遊べたことは何よりも嬉しかった。


 ただ……


「ねえ、凛」


 沙紀は後ろを振り向くと僕の方を凝視する。


「どうしたの?」

「手つなぎたいなと思って」


 そうして、彼女は僕へと手を差し伸べた。

 僕は仄かに口を開ける。彼女の右手の甲に書かれた『星形マーク』を見て、心にポッカリと穴の開いたような気分にさせられた。


 目の前にいる沙紀は実体として存在している。微笑んだ表情、華奢な身体、きめ細やかな肌、僕にしか見せない赤くなった頬。それらは僕の視界を通して、ハッキリと見える。

 しかし、彼女の意識はもうこの世界にはない。この空と同じように今目の前にいる彼女は幻想なのだ。


「凛?」


 沙紀は自分の手を取らない僕に疑問を浮かべた表情を見せる。

 僕は穴の開いた心を埋めるように心臓に手を当てた。鼓動は静かにゆっくりと脈打っている。それは僕がこの世界に生きていることを示してくれていた。


「沙紀もこんな気持ちだったのかな?」


 1ヶ月前の沙紀の姿と今の沙紀の姿が重なる。僕を見て、押さえ切れないほどの涙を流したあの日の沙紀の姿が。


「凛、なんで泣いているの?」


 沙紀は僕の表情を見て、驚愕した表情を見せる。

 同時に、頬を伝う冷たい感覚が僕を襲う。流れる涙は顎をすり抜け、心臓を抑えた手の甲へと当たる。


 そしてそれは、僕に刻まれた『星形のマーク』を濡らしていった。


「何で泣いているのかは分からない。でも、ようやくあの時の沙紀の気持ちがわかった」


 1ヶ月前。沙紀が自殺する1日前は僕の一周忌だった。

 去年、狩染 凛は事故で亡くなった。その1ヶ月後、代わりに僕が『狩染 凛』として、彼の人生代理人を務めることとなった。


 沙紀は最初の頃は戸惑っていたものの、僕と遊んでいるうちに心を打ち解けてくれた。それからは毎日楽しく遊んだ。

 だが、僕の一周忌に彼女は僕に泣き顔を浮かべて自分の気持ちを顕にした。


『私にとっての凛は一人なの。あなたじゃない。私にとっての凛はもういないんだ』


 僕は彼女のその気持ちを汲んであげることはできなかった。僕はこの世界で狩染 凛として生きることを命じられた。僕がこの世界における狩染 凛であって、誰かに否定されるようなものではない。


 だが、彼女はそれに納得いかなかったようだ。

 そして、彼女にとっての狩染 凛に会うためにこの世を去っていった。


「僕という偽りの凛がいたことで、沙紀は酷く傷ついていたんだ。沙紀は自殺したんじゃない。偽りの僕によって殺されたんだ」


 ようやく彼女の気持ちがわかった。

 この1ヶ月ずっと、彼女に言われたことにモヤモヤしていた心が澄んでいくのを感じた。

 同時にやるせない気持ちというさらに濃いモヤモヤが僕を襲うこととなった。


 溢れ出た涙は止まることを知らない。落ちた一粒の涙に続くように大量の涙が頬を伝っていく。

 一人泣きじゃくる僕に対して、沙紀は穏やかな瞳を照らしてこちらへとやってくる。

 そして、胸に当てた僕の手を包むように彼女は優しく手を添えた。


「私は今年の依代 沙紀の情報を記憶している。だから、分かるわ。彼女は君のことを愛していた。偽りのあなたによって、凛が死んだという事実のショックを緩和させていた。少なくとも、あなたは自分の役目を完遂していたのよ。ただ、私の心が少し弱かっただけ。推測に過ぎないけれど、再び迫りくる凛がいなくなったという事実に今度は耐え切ることができなかったのよ」


 沙紀の手は暖かかった。1ヶ月前に握り締めた感覚と全く同じ感覚に襲われる。それは沙紀という一人の女子生徒がまだこの世にいることを教えてくれた。でも、その彼女は偽りの彼女である。暖かった彼女の手は僕の涙によって、その温度を徐々に低くしていく。


「僕はどうすればよかったのかな?」

「今のままでいいと思う。彼らはきっと別の世界で再会し、今までみたいに二人で楽しんでいるはずよ。ならば、私たちはこの世界で彼らが歩むはずだった道を辿ってあげましょ」


 僕は沙紀の言葉に思わず、胸を打たれた。心に開いた穴は僕の手だけではどうしようもなく、沙紀が手を添えてくれたことで完治することができた。


 そうだ。死んだ人間がこの世界で歩むはずだった人生を歩んであげるのが僕らの使命でもあるのだ。偽物ではあるが、趣味嗜好は彼らを完全に模している。きっと、彼らの良き代理人になれるだろう。


 もう心に開いた穴はない。胸に添えた手を反転させ、僕の手を添えてくれた沙紀の手をギュッと掴む。


「帰ろっか。明日も早い事だし」

「ええ。明日は商店街の食べ歩きでも行きましょう」


 僕たちはそれから手を繋ぎ直し、二人で仲良く帰路を歩いていった。

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【短編】人生代理人 結城 刹那 @Saikyo-braster7

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