渋谷とタワーレコード
ラーメン屋を出た二人は、駅前の商店街を抜け、吉祥寺駅へと辿り着く。そこから手前にあるJR中央・総武線ではなく、京王井の頭線のホームへと歩いていき、改札を抜けた。
既にホームについていた電車にのんびりと乗り込んだ二人は、がらんと空いている座席に端を取る形で座った。
「ついたばっかりだったんだな、ラッキー」
悟がそう嬉しく言うのも、吉祥寺駅発の京王井の頭線は、大抵ドアの前に人々が行列を成して、座席に座ってやらんとその眼光を光らせている。しかし今回はそれがなかった。中にちらほら人が見えるに、タイミングよく人が少なく、端が開いていたのだろう。しかしそんな二人の予想とは裏腹に、車掌の発車アナウンスが放送され、ぷしゅーという音共に電車の扉が閉められる。
京王井の頭線は山手線などとは違い、電車が各駅停車と急行が約五分ごとに交互にホームへ到着する。それが故に電車の中は常に満員ではないものの、ごそっと人が入れ替わるような車両だった。だというのに、すかすかとも言える電車は異様とも言え、本来電車は空いている方が心地よいはずなのに、その奇妙な空間に二人は不安を掻き立てられる。
「おい、土曜日だよな?」
悟が尋ねる。しかし玲の言葉を待つ前に、もう一つ続ける。
「平日のこの時間帯で空いているのは理解できるけど、土曜日に渋谷行の電車にしては人いなさすぎだろ。花粉の症状ってやつ本当にやばいみたいだな」
恐らく悟はタイムリーな話題と現状を照らし合わせて、自分なりの解を導き出したのだろうが、玲にとってその答えはいささか早急すぎる気がした。
「いや、ただ俺たちのタイミングが良かっただけじゃないのか? どうせ久我山、永福町、明大前って続けて行けば結局渋谷に着くまでにぎゅうぎゅうになってるさ」
と、言った玲の言葉をあざ笑うかのように、電車は渋谷につくまで、ほとんどの人を乗せるでもなく、奇妙な空間を残したまま駅に到着した。
「おいおいおい、おかしいって。玲」
「いいよ、歩きやすくて」
本来日本一とも言っていい人口過密が起きている渋谷のスクランブル交差点に人が数えるほどしかいない。土曜日の午後2時頃なんて時間帯は、人とぶつからずに歩く方が難しいような時間だというのに、この人の少なさは異常だ。それに気付いている悟はその異様さをなんとか玲に伝えようとするが、玲はその言葉よりもCDの方に気がいっているらしく、不自然な人の少なさなどには気が付いていないらしい。
悟の不安をよそにタワーレコードに入っていった玲は目当てのCDを見つけるや否やそれを手にレジへと向かい、店員に渡そうとしたところ玲も異変に気付いたらしい。
「いや土曜日だろ、店員いなさすぎじゃね?」
悟に言ったつもりだったのが、その発言を耳にしていたであろう玲を対応しようとしていた従業員が謝罪を述べる。
「あっ、いやいや謝ってほしいとかじゃなくて。こちらこそすいません。でもこんな広いフロア、この人数だときつくないですか?」
「皆体調不良で。いや感染症とかではないんですけど」
「もしかして花粉症っすか?」
「まあ恥ずかしながら」
「ふーん」
「あっ1050円になります」
後ろに人が並んだのを見た従業員は、玲にCDの値段を告げる。ポケットに入れていた財布から、ちょうどの金額を出した玲は黄色地のビニールに入ったCDを受け取り、タワーレコードを後にする。
「お前んち花粉症の人いる?」
悟が尋ねる。
「俺以外全員」
「まじか? 体調悪そう?」
「んー、まあまあかな。いつも通りってわけではないけど何とかやってるみたい」
嘘だった。なぜ玲はこの時こんな嘘をついたのか、本人にも理解できなかったが、両親は共に、酷い病人のように床に臥せっていた。症状は、酷い鼻づまりと高熱。高熱が原因か、うわごとを言うことすらもあった。しかし中学生で、土曜日に学校がなく、症状の軽い弟が看病しているために、玲は渋谷まで遊びに繰り出してきていた。
「俺の家は母さんと妹が花粉症なんだよな。結構辛そうで」
「入院するレベルの高熱だってニュースで言ってたもんな」
「病院で処方された熱さましが効かないみたいで、常に氷嚢頭に当ててるよ。すげえ前時代的な対処法しか出来てない」
少し不安そうな面持ちになった悟を心配して声を掛ける。
「遊びに来てよかったのか?」
「んーまあ家にいたってどうもならないしな」
「まあそうだよな」
普段であればカラオケだったりと渋谷にある娯楽に繰り出していく二人だが、なんだか今の会話でその気をなくしたようで、静かに帰ることにする。
「じゃ」
「またなー」
そんなことをして電車に乗り込んだ二人は互いの帰路に就く。その電車も、まるで世界から人が消えたようにがらんどうであったことは言うまでもない。
「人減りすぎじゃね?」
月曜日。いつもの通り駅で合流した二人はついた教室を見て、そんな言葉を口にした。登校時、普段見るような学生の姿が全くと言っていいほどなかったために、そんな予感はしていたが、玲たちのクラスも欠席者がかなり多くなってきているようだった。
冬にインフルエンザが流行り、数名が休み、少し教室が寂しく感じるような経験は何度もあるが、いくら花粉の季節だからと言って、こんな大人数が休むようなことは今までなかった。
「十五人もいねえよ」
悟の声に、玲はクラスの半数近くが欠席しているということを自覚する。
「花粉で休むってどういう状況?」
「そう言えば朝のニュースでやってたわ、病院のベッドが足りねぇって」
悟からの情報に、医療がひっ迫している現実よりも、悟がちゃんと毎朝ニュースを見るタイプだと言うことを初めて知り、玲は驚いた。
「朝しっかりニュース見るタイプなんだ」
「子供の頃からの癖? 親が朝からアニメとか見せてくれなかったんだよ」
「ふーん」
そんな話をしていると、教室の扉がガラガラと開けられ、クラスの委員長が休校になるという旨を教室に集まっている生徒に伝えた。
「先生たちも結構な人数休んでるらしい」
「他の学年もほとんど人いないって」
噂話のような他の生徒の声が聞こえてきた二人は顔を見合わせて、何も言わずに鞄を手に取った。
どちらも朝を抜いてきたという話をしていたから、向かう先はラーメン屋だった。
植物人間の救い方 ―前章― 九詰文登 @crunch
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。植物人間の救い方 ―前章―の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます