第7話 「――厳粛かつ公平な、熱狂している視聴者たちに」

 

 呼吸をするのもままならないほど、気が動転していた。

 突き刺さる視線の痛さに、その場で崩れ落ちそうになる。

 

 クラスには馴染めていない方だった。

 アニメとか漫画が好きで、のくせそういうのを好きってことを恥ずかしく思っている質だから、ヲタク友達とかもいなくて。

 影薄すぎて、たまに忘れられちゃうくらいの、ナチュラルボーン陰キャ生まれ持っての陰キャ。それが今までの俺。凄いっしょ。クラスTシャツとか、俺の分忘れられてて、俺だけ制服で文化祭参加したしね。

 それがどうして、一体全体……今日は嫌な注目ばかり買うなぁ……。

 

「……鴨川って人畜無害なふりして、意外とクズだったんだな?」

「元から何してるか分かんなかったしね……」

「女子の体操服盗まれた事件……あれ、鴨川がやったって噂、本当だったんじゃないの?」

 

 根も葉もない俺の陰口が、波紋を打ったように教室中に広がっていく。

 とめどなく、決壊したダムのように溢れ出す。


 元から嫌われていたのは薄々肌で感じていた。はみ出しものだった。俺はクラスの水に溶け込めない、濁った油だった。彼らの運命と俺のそれが交錯することは、決してないと思っていた。

 ……交わってしまった。思いもよらぬ、最悪の形で。

 

「ち、ちがっ……俺はっ」 

「何が違うわけ? 殺そうとしたんでしょ? 小金井のこと」

「俺は……別に……っ」


 病室で弱々しく俺の手を握っていた妹の姿がフラッシュバックする。

 薄暗い部屋。山積みになったノート。あと、あとちょっとだった。……あと、ちょっとなのに。

 

 なにか……なにか……言え。

 このままじゃ、このままじゃ……。 

 

 縋るように、以前少し仲の良かった隠れヲタクの新里に目を合わせる。すぐに目を逸らされて、ハッとなった。

 そっか。……俺、もう、終わったんだ。

 

 俺を除く、述べ35名。その全てが、敵に見える。

 窓の外、天高く伸びる荘厳な塔が視界の隅に映って、じわりと目のフチが熱くなった。

 

 ……何か言えよ、俺ぇ。

 胃液が込み上げて、その場で吐きそうになった。

 

「――鴨川くん、絶対に人気になると思うなぁ」

 夕暮れ、日曜の公園、小さな子連れの家族が楽しげに遊ぶ傍ら。

 いつかの茜空の下で、不意に日町さんがそういった。屈んで俺のポチを撫でながら、顔を見上げて。

「――みんなにも知って欲しいな。……鴨川くんの可愛いとこも、カッコいいとこも、面白いとこも」

「――無理だよ。……俺、嫌われてるし」

「――そんなことないよ。絶対に分かってくれるから。まだみんな……ちょっと、鴨川くんの良いところが見えていないだけ」

 

 俺の、良いところ……。

 頭痛がするほど脳を回す。良いところ。数学で学年順位1位とったけど、誰にも自慢してないとこ? 他にやりたい人がいたら、自分がやりたくても我慢して誰かに譲るとこ?

 

 考えるほどに息が詰まって、ぽつぽつと涙が滴り落ちた。地面に落ちた雫がぴちゃりと弾けるたびに、情けなさに自我が瓦解していく。

 ……俺、空っぽですじゃん。教えてよ。教えてくれよ、日町さん。……俺のいいとこって、なに? 自慢したくてうずうずしてるのに、誰にも話す相手がいないとこ? 嫌われるのが怖いから、良い人のふりをして自分のやりたいことを我慢してるとこ?

 気づけば人の目も憚らず、蹲って泣いていた。

 

 一度自らの情けなさを許容したら、止まらなくなってしまった。

 

「お願い……します……」空っぽな身体から、ぽすっと空気が漏れるみたいに言葉が溢れ出た。羞恥も誇りも涙とともに流れて、土下座する勢いでみんなに頼み込む。「僕に投票……しないで、くださぁい……」

 

「きっしょ……」

 誰かの吐き捨てた言葉が、ストレートに胸に突き刺さった。 

 

「もうよくね?」とギャル集団の一人。

「鴨川でけってーい」とのんきな天然の女の子。


「つーかさ、本投票とか五人選ぶも何も……もうこいつで決まってんだからさ? これ以上やる必要、なくね?」

 寺の跡取り坊主が、人差し指と親指で作った丸眼鏡をこちらに向けて、けらけらと笑いながら言う。

「小金井殺そうとしたんだもんな? いやはや、不殺生戒。無益な殺生は許すまじ……南無三南無三っ」

 

「いや、ちょぉっ……」

 血も涙も、ないですじゃん……。

 咄嗟に何かを発言しようとして、すぐに集まっている視線を見て口を閉じた。有無を言わせぬ雰囲気。もはや、決定事項だった。

 鴨川環を追放する。これはもう、覆ることのない、このクラスの総意だ。

 

 普段大人しめな生徒も、中立を保とうとしたがる副委員長まで、俺に蔑むような視線を浴びせている。


「じゃ、あたしもう鴨川に投票しとくわ。おっけーしょ? トイレ行きたいんだよね」

「ちょっ、と……みんな、待ってって……お願いします……お願いしますからぁ……」

 クラスの女帝とも言えるカーストトップギャル、リリアさんがふらふらと教室を出ていく。だらだらと冷や汗が溢れ出る。ぺちゃりと背に張り付くシャツの感触が、ひどく不快だった。

 

 終わる、終わる終わる終わる……。

 

「これ、票がバラけずに一人に集中したらどうなんの? 五人も選出出来なかったら、ランダム?」

 野球部のエースが首裏を擦りながらあくまでどうでもよさげに訊く。肥前くんはそれに対し、あらかじめ答えを用意していたみたいに矢継ぎ早に答えた。


「その場合は、残り分を俺が勝手に選出する。だがまあ……万に一つも、そうはならないだろうが」 

 

 含みを持たせた言い方。

「ぁあ? なんだそれ」とエースが不愉快そうに目を細めたが、肥前はそれ以上口にしなかった。

 

「五分経った。投票を開始しよう」

「待って……まだ、まだ五分だけ、追加してくださぁい……」

 溶けたような声で縋る俺にフル無視を決め込んで、肥前くんは壇上に上がると、教卓の上に飾り気のないくじ箱を置く。我が2-Aの席替えにも使われているくじ箱だ。当然、配られる投票用紙もそうだった。付箋のような小さな正方形の紙。

 肥前くんは投票用紙を一枚ずつ手渡しで配り終えると、迅速に指示を出す。

 

「そこに投票したい相手の名前を書いて、書いたやつから箱に入れろ」

「やだ、やめて……殺さないでくださぁい……みんなぁ……」

  

 緩みきった教室の空気。気の抜けた静寂の中で、俺の泣き声だけがこだましている。

 瀬川がちらりと俺の方を向いて、あたふたした様子で投票用紙に向き直った。田村はといば、淀みのない動きでペンを走らせている。

 

 ……死にたくない。壊れそうなほどに、恐怖が胸の奥底から溢れ出る。妹のために【無限の塔】へは行けない、だとか、格好いい理由があれば様になる。でも単純に……死にたくない。

 

「はいは~い!」

 教卓の前で声が上がる。野球部で学年順位最下位のハゲが、手を掲げてひらひらと投票用紙を見せびらかしていた。

 彼がニッと笑うと、猿のような顔から犬のような牙がちらりと覗く。

 

「俺は鴨川くんが行くべきだと思いまーす!」

 目があった。玩具で遊ぶような彼の目に、一瞬身がすくみ上がる。ひっさげられた笑みの奥に、下卑た化け物の顔がちらりと覗く。猿のような彼は高そうなカメラをこちらに向けると、「ねぇ、みなさん? そう思いますよね?」と見えない誰かに語りかけた。

「日町ちゃん、さっき目を覚ましたんだって。……知ってた? 鴨川くん」

「……は?」

 

 ぞくりと体が震える。考えうる中で最悪の展開が脳裏を駆け巡った。

 もし、小金井の一件が日町さんに知られたら? 猿の浮かべる不気味な笑みに、身が凍る。


「鴨川くんも……理解した?」

 教室中は十人十色。日町さんの目覚めを聞いて、素直に歓喜する者もいれば、俺の件を考慮して気まずそうな奴もいる。

 しかしそのどれもから、猿の反応は外れていた。

 

 彼は、笑っていた。満面の笑みで。

 

「ふんふ~ん」

 気の抜けた鼻歌を歌いながら、猿は教室のプロジェクターとスマホを繋げる。映ったのは、寝起きでふにゃふにゃの日町さんと、彼女を『可愛いぃぃい!』と囃し立てるコメントの数々だった。

『無限の塔探索者応援サイト』の配信だと、すぐにわかった。右上にあるドクロマークは、あのサイト特有のオフィシャルマークだ。

 

「投票もいいけどさ、俺はね、思うんだよ。エンタータイナーとして、これはもっと盛り上げるべき時だって。だからさ」

 彼はハゲ頭を擦りながら、キキッと猿のような声で笑う。

「……選んでもらおうよ。日町ちゃん本人に。そして――」 

 

 猿の操作で二分割されたプロジェクターに映る映像。片方は日町さん。そして――


「――厳粛かつ公平な、熱狂している視聴者たちに」 

 

 画面の中、狼狽し地面に蹲る俺と、目があった。すぐに分かった。これは、『無限の塔攻略者応援サイト』の配信とは、関係ない。単なる、MeTubeの配信。猿は、あいつは……泣き喚く俺の姿を、全世界に放送していたんだ。

 

”みってるー鴨川っち?”

”キタァァァァァアアッ!!”

”さすが俺たちのタカシンTV!!”

”企画力やべぇえぇえwwww”

”面白くなってキタァァァアア!”

”クズ鴨川は死刑で確定!”

”行ってらっしゃい、鴨川くん!”

”言い残す言葉は~?”

”「殺さないでくださぁい……」wwww”

”まじでダサすぎワロタwww”

”一周回って可愛いゾ、鴨川くん^^”

”逃げろ鴨川ァ!”


 同時接続数、17万。

 流れるコメントの9割型が――鴨川環批判。

 

「すっげぇ……同接17万って、人気者じゃん、俺……」

 

 タカシは猿見たく伸びた鼻の下を、更ににんまりと横に伸ばす。ほくほくの顔で彼は、無慈悲にカメラをこちらに向けてきた。

 

「じゃあ、もっと盛り上げていこっか。鴨川くん?」


 ああ……ああ……。やばい。やばいやばいやばい。

『――それ、タブレット。これがあれば、いつでも暇つぶし出来るから。MeTubeとか、結構人気なんだって』

 いつかの日に妹に渡したタブレットのことを、思い出す。 

 

 17万人。……いる? もしかして、見てる? 俺のこと、見てたり、する?

 ドクドクと動悸が速くなっていく。全身の血がめぐり、高速で体中を駆け巡っているかのような感覚。胸のざわつきが止まらない。

 いつから? いつから撮られてた? というか……もっと盛り上げるって……?


 呼吸困難に陥る中、日町さんの方の映像で、目にも止まらぬ速度でコメントがいくつも流れていく。


”鴨川環はクズだぞ!!”

”目を覚まして、日町ちゃん、騙されないでっ!”

”鴨川環は処刑スべき”

”鴨川環はクラスメートを私情で殺した極悪人”


『……え? 鴨川くん? って、ここ、どこ……?』

 困惑する日町さんの、すぐ横で。今にも崩れ去ってしまいそうなほど、ひどく不安定なぐちゃぐちゃな顔をした俺が、助けを求めるような目でこちらを見ていた。

 


ClassmateFile.05―――――――――

服部はっとりタカシ 17歳

 底辺配信者。野球部で甲子園を目指す純朴な少年だったが、球拾いに耐えきれず幽霊部員に。引きこもり時代に見つけた配信に傾倒し、自らも配信者を志す。『心燃えたぎる最高のエンターテインメントを。俺の道は俺が切り開く』とは、タカシンTVの掲げる最高理念である。長く伸びた人中が特徴で、猿と揶揄されがち。

◯Status

[力]B [速度]D [判断力]C [迷宮適正度]C [ハゲ度]S

―――――――――――――――――



【あとがき】

 投稿遅れて申し訳ございません。

 レビューありがとうございました。励みになります。伸びないだろうと思いつつ投稿した本作ですが、想像以上に伸びなくてメンタルやられる直前でしたので、めちゃくちゃ助かりました;;

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無限の塔 ~一度入ったら出られない超高難易度ダンジョンに、投票でクラスから一人ずつ追放することになった。~ 四角形 @MA_AM

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ