児童文学によせて 5 賢治の通過儀礼

あんらん。

賢治の通過儀礼

誰もがどこかで目にしたことのある日本の児童文学といえば、『銀河鉄道の夜』。

これではないでしょうか。

数々の作品を残した宮沢賢治。五月にまた賢治関連の映画が公開されます。楽しみですね。


もうこの作品はいろんな媒体で、長い間頻繁に皆さまの目に触れてきましたので、紹介するまでもないのですが、別の観点からひとつ。


神話や昔話を深層心理から分析した故河合隼雄氏は、西欧と日本との物語の比較でも様々な考察を残しています。


児童文学を長年研究してきた「絵本・児童文学研究センター」理事長 工藤左千夫氏もまた、河合氏と共に数々の児童文学の中で心理学的考察を展開しています。


おふたりによると、西欧の神話や児童書には、はっきりと戦う相手があり、艱難辛苦を乗り越え戦い抜くものが沢山あります。それは戦いが一種の通過儀礼だから。

一方日本の昔話、児童書にはそれがあまり見られない。神話には多少出てきますが。


(そういえば、桃太郎はお供をつれて、鬼ヶ島へ行き、あっという間に鬼を退治し、宝物を奪って帰りますが。これでもか、これでもか、と畳みかけるような困難はありませんね。)


では日本の通過儀礼は・・・

実は『銀河鉄道の夜』は、通過儀礼的要素があるといいます。

それは、「対象喪失の通過儀礼」というもの。


「・・・この対象喪失、つまり別れは誰の人生においても避けることはできないし必然的に生起するものである。そのため、受動的ではあっても、この対象喪失の悲しみを超え一歩前に進もうとすることも、立派な通過儀礼のひとつなのである。」

(『ファンタジー文学の世界へ』工藤左千夫・著 成文社から)


カンパネルラをなくしてしまうジョバンニの、心の傷の治癒的行為が、この作品に内包されている通過儀礼だといいます。


この「対象喪失」は人生に満ち溢れていて、それとの葛藤もまた「戦うこと」ともいえますね。自分自身との戦いと。


賢治も、いちばんの理解者であった愛すべき妹の死を乗り越えようと、苦悶しながら北海道へ放浪の旅に出ます。


日本の昔話は、この「去り行く」ものであふれています。それが日本人の情感を形成しているともいえるのでしょう。


「この杯を受けてくれ

 どうぞなみなみ注がせておくれ

 花に嵐の例えもあるぞ

 さよならだけが人生だ」

井伏鱒二の訳した唐代の詩『勧酒』


元々の作者は忘れてしまいましたが、この時期、思い出す方もあるかと思います。

なぜかこれだけは覚えているという方は、多いのではないでしょうか。

漢詩ですが非常に日本人の胸にしみる詩といえますね。

(他はわたし、まったく覚えていません、あしからず)


桜が風に舞い散るその情景の先に、銀河も続いているように思えるのですが、いかがでしょうか。

松本零士さんのご冥福もこの場をお借りしてお祈りいたします。

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