結婚式の日に「君のことを愛することは出来ない」と言われたのですが。私も別にあなたを愛していないから良いのではありませんか?

宮前葵

本編

「君の事を愛することは出来ない」


 と結婚式の日に彼が言いました。私は目をパチクリとしてしまいます。


 サーシャル侯爵家次期当主のベリート様は、グレーのお髪も水色の瞳も麗しいお方です。そのベリート様が真面目なお顔でそう言ったのです。私は首を傾げます。


「それに何か問題が?」


 ベリート様は頷く。


「そうだな。イレーミア。何の問題も無い」


「そうでございましょう?」


 私も微笑んで手をベリート様の腕に絡め。微笑み会いながら披露宴の会場に向かうのでした。


  ◇◇◇


 私、イレーミアはバナステア伯爵家の長女です。バナステア家は王国でも中々の名家でございます。ですから長女である私は生まれた’時から格上の公爵か侯爵家に嫁ぐことが確実視されておりましたね。


 幼少時より目上のお家に嫁ぐ事を前提に教育を施された私は、五歳の頃には王国に八家ある侯爵家、二家ある公爵家の子女と交流するようになりました。要するにお見合いです。その頃に、私はベリート様と初めてお会いしました。ベリート様は私の一つ年上です。


 その頃のベリート様? まぁ、考えてもみて下さいませ。当時のベリート様は六歳ですよ。いくら貴族の子女でございましてもそんな年齢の子供はやんんちゃ盛りです。特に男の子などは子犬と変わりません。


 特にベリート様は活発な子供でしたから、庭園に出ますと私達女子を置き去りに友人の子供たちと一緒に走り去って行ってしまうのが常でした。私達女子は置いて行かれても別に気にせず、お花を摘んだりおままごとをしたりして女の子同士で楽しく遊んだから良いんですけどね。


 ただ、どうも親同士でお話し合いが行われ、私とベリート様が将来的に婚約する事になると決まると、私はベリート様と二人きりで会わせられる機会が増えて参りました。こうなると他に子供はいませんから、ベリート様は私と遊ぶしかありません。


 ベリート様は本当に活発でしたから、私と遊ぶと言っても絵本を読んだりお散歩をしたり、などで満足出来るような方ではございませんでした。


 お構いなしに私を庭園に連れ出し、侍女を振り切って時には森の奥にまで入り込んで遊ぶのでした。何度怒られても止めないので、遂には諦めた我が家の侍女はサーシャル侯爵邸に出向く時には私に汚れても良い服を着せブーツを履かせたものです。


 私も最初は戸惑いましたが、一緒に遊び歩いている内に自分も楽しくなってまいりまして、広大な侯爵邸の庭をベリート様と二人で存分に駆け回りましたよ。木に登ったり川で釣りをしたり、意味も無く大きな穴を二人で泥だらけになりながら掘った時には流石に庭師に怒られましたね。


 ベリート様は年上だけに物知りで、私の聞くことには何でも答えて教えて下さいましたし、それに危ない時には私をいつも助けて下さいました。この頃のベリート様は私の頼れる兄貴分という感じで、私は彼の事を心底信頼していたのです。


 そんな感じで、私達は十歳位まで侯爵邸でベリート様と楽しく遊びましたよ。


 ですが、十歳の時に私とベリート様は婚約いたしまして、そうなると周囲は私を次期侯爵夫人として扱い出します。勿論ベリート様の家督相続も決定となります。そうすると私達は教育が忙しくなってしまいました。侯爵邸を訪問しても、私はベリート様のお母様から教育を受けなければならなくなり、ベリート様と庭園を駆け回る機会は次第に減ってきてしまいました。


 私は残念に思ったのですけど、一つ上のベリート様はこの頃から急速に大人びてまいりまして、庭園に出ても昔のように木登りをしたりぬかるみを蹴散らかすような事もしなくなり、表情もやんちゃなものから落ち着いたお姿に変わってしまいました。私はなんだか裏切られたような、つまらない気分になったものです。


 私の方はなかなか大人になりきれないというか、ベリート様とお庭に出るとハメを外す癖が付いてしまっていましたから、今度は逆にベリート様を引き回して庭園を遊び歩くようになります。この頃から私は庭仕事や畑仕事で植物を育てる事に興味が出てきていましたし、侯爵邸では馬や羊や山羊を育てていまして、そういう家畜の世話もやってみたいと思うようになります。


 ですから侯爵邸で休憩の時間になるとベリート様そっちのけで庭園に出て庭仕事に精を出すようになります。私は将来の侯爵夫人ですので、侯爵邸の使用人と仲良くなるのは推奨される事ですし、庭仕事を趣味にする貴族夫人は少なくありません。ですから特に咎められる事も無く、私は庭師や馬丁に教わって楽しく侯爵邸のお庭を満喫するようになります。


 ベリート様は最初の内は付き合ってくれましたが、だんだん付いてきて下さらなくなりましたね。ベリート様はあんなに活発だったくせに、だんだん書物を読んで研究する方を好むようになったようなのです。私は逆にアウトドア傾向が強まるばかりで、馬に乗って庭園を駆け回ることまでするようになります。


 こうまでベリート様との趣味の違いが目立ってしまいますと、私達の婚約の行方が怪しくなると思われるかも知れませんが、貴族の結婚は家同士の関係で成立するものでして、有力伯爵家であるバナステア伯爵家との婚姻は、近年少し勢力を落としていたサーシャル侯爵家には必要なものでした。それに私は義父になる侯爵閣下と義母になる侯爵夫人には気に入られていまして、私の屋外傾向も好ましく受け取られているようでした。


 侯爵閣下むしろベリート様の研究好きを心配しているような事を仰っておりましたね。侯爵ともなれば王宮に上がって政治に携わらなければなりませんでしょう? 人付き合いをあまりせず、部屋に籠もって研究ばかり(何の研究をしているのか私には何度説明をされてもよく分からないのですけど)しているベリート様に社交や政治が出来るのか、侯爵閣下は心配しているようでした。


  ◇◇◇


 私が十三歳になると、社交界に正式なデビュタントを致しました。それまでも内輪の社交には出ていましたが、これからはお家の名前を背負って王宮で行われる社交に出るようになるのです。


 私はそこで王太子であるパロマー様と初めてお会いしました。デビュタントの目的は王族の方への初めてのお目通りです。最初に国王陛下と王妃様にご挨拶をして、そして次に王太子殿下の前で跪きます。


「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下。王国の臣なるバナステア伯爵家より第一女イレーミアがご挨拶をさせて頂きます。殿下のご尊顔を拝しますこと、この上無き幸せにございます。どうか以後お見知りおき下さいませ」


 王太子殿下パロマー様はフワフワ金髪に碧の瞳。如何にも王子様というような素敵なお姿でした。私の一つ年上、つまりベリート様と同い年です。殿下は驚いたように目を丸くして私をマジマジと見詰めると、真っ赤な顔であわあわとお返事を下さいました。何でしょうね? 私は不思議には思いましたが、この日はそれで終わったのでございます。


 それが一週間後、お父様が国王陛下に呼び出されまして、トンデモない事を打診されます。


 何と王太子殿下が国王陛下に、バナステア伯爵家の長女であるイレーミア。つまり私を、妃にしたいというご意向を示されたのだそうです。なんですかそれは? 我が家は大騒ぎになってしまいました。


 そんな事を言われても困ります。私は既にベリート様と婚約してしまっています。次期侯爵夫人教育のためにサーシャル侯爵家に毎日のように通っている身です。それは既に貴族たちの間には周知の事ですし、当然ですが王家の方でも把握している筈ではありませんか。


 お父様のお話では国王陛下は勿論そちらの事情は分かっているから命令も強制もしないが(国王陛下は温厚で寛容なお方です)、どうも王太子殿下が熱烈に私をお気に入りになり、食事も喉を通らないほど私に懸想されていて、国王陛下に極めて熱心に私を妃にしたいと訴えたのだそうで、国王陛下は弱り果て、一応打診だけはしてみるからということでこのような事態になったのだそうです。


 これは困りました。そもそも一回だけ。しかもご挨拶だけしかしていない私のどこをそんなに気に入って頂けたのでしょうか。一目惚れと言っても限度があると思うのですが。ですが、王家からの打診です。むげには出来ません。しかし私は既にベリート様との婚約者。事は伯爵家だけで判断出来る事では有りません。


 お父様と私はサーシャル侯爵家に向かい、事情を話して相談いたします。当然ベリート様も同席されております。


 事情を聞いて侯爵閣下は怒りました。激怒いたしました。私もお父様も驚きましたね。侯爵閣下は温厚な方ですから。


「あの国王は家から嫁まで奪うつもりか!」


 どういう事かと申しますと、どうも十五年程前に、サーシャル侯爵家は領地の一部を国王陛下に頼まれて王家に譲り渡しているそうなのです。そこは鉱山がある土地で大きな収益を生む土地でして、侯爵家としては当然譲りたくは無かったそうなのですが、当時財政難に苦しんでいた王家のたっての願いで、侯爵家は断腸の思いで鉱山を王家に譲ったそうです。


 それなのに今回は大事な次期侯爵夫人まで奪おうというのかと、恩を仇で返すのかと侯爵閣下は怒ったようですね。怒るくらい私の事を気に入って頂けているというのは嬉しいことでございます。


 ですが、肝心のベリート様の反応は鈍かったのです。怒るでもなく悠然と構えていらっしゃいます。そして侯爵閣下に言いました。


「父上。お怒りはごもっともですが、言下に断っては王家との関係に禍根を残します。一度王太子殿下のご意向を正確に把握した方がよろしくはありませんか?」


 なので自分と私で王太子殿下と面会してみると仰いました。ベリート様は次期侯爵ですから、幼少時より王太子殿下とは親交があるそうです。それは知りませんでした。


 色々話し合った結果、ベリート様のご意見が採用されて、私とベリート様は数日後に王宮に上がることになりました。


 華麗な王宮に上がるのはこれが二回目で、内宮にまで上がるのは初めてです。私は緊張いたしましたが、ベリート様は慣れているらしく、私の手を引いてさっさと乗り込んで行きます。侍従の先導を受け、静々と歩き、待合室で少し待たされました。ベリート様曰く、必要が無くても相手を待たせるのが王家の流儀だそうで「無駄なことだ」と首を振っていらっしゃいましたね。


 それからようやく私とベリート様は王太子殿下と殿下のお部屋のサロンで面会いたしました。私を見てこの上無く顔を輝かせた王太子殿下はベリート様を見て渋面になります。


「なんだ。ベリート。貴様も来たのか」


「来たのかは無いでしょう。人の婚約者に手を伸ばしておいて。私だって研究に忙しいのに良い迷惑ですよ」


 王太子殿下にその物言いは大丈夫なんですか? と聞きたいくらいでしたけど、王太子殿下がお気になさった様子はありません。相当親密なご関係のようです。私とベリート様に椅子を勧めると、王太子殿下は早速私に向けて身を乗り出しました。


「一目見て其方の事が忘れられなくなった。是非、私の妃になって欲しい」


「……本当に一目くらいしかお会いしていないと思うのですが、どこがどうしてそんなに私の事を気に入って頂けたのでしょうか? 私には何かした心当たりがございませんが……」


 王太子殿下はその秀麗なお顔をうっとりと緩められました。


「その美しさを見れば十分だ。そう。なんというか、其方は他の令嬢とは違うものを持っている。見れば分かる。生命感に満ち溢れたその姿。一目見て私は忘れられなくなってしまった」


 私は首を傾げる。


「その、それはもしかして私が他の令嬢に比べて肌の色が黒いからではありませんか? 私は屋外で活動する事が多くてどうしても陽に焼けますから」


 侍女には怒られるのですけどね。


「そうかも知れぬが、一目見て私は確信したのだ。其方こそ私に必要な妃だと。どうか私の元に来てはくれまいか」


 男性に、しかも美少年の王太子殿下にこれほど真剣に求愛されるのは悪い気分では勿論ございません。ですが、問題はそこではありませんね。王太子殿下もそれは十分ご承知らしく、今度はベリート様に向かって真剣な表情で交渉し始めました。


「ベリート。其方にはすまぬ事だとは思うが、是非イレーミア嬢を譲って貰いたい。其方には如何様にも埋め合わせをしよう」


 王太子殿下ともあろう者がそんな安請け合いして良いのかと心配になりますね。ですが、王太子殿下の熱意は本物のようです。ベリート様は難しいお顔で考え込んでいらっしゃいました。この方、子供の頃のいつも底抜けに楽しそうに笑っている顔しか知りませんでしたが、いつの間にかそういう思案顔が似合うようになったのですね。


「すみません。王太子殿下。即答は出来かねます」


 ベリート様がそう仰ると、王太子殿下は少しだけ残念そうに息を吐きました。


「勿論だ。返事は急かさぬ。しかしどうか、ベリートよ。私の願いを聞き届けて欲しい」


 私とベリート様は王宮を辞しました。帰りの馬車で私はベリート様に尋ねます。


「王太子殿下とお仲がよろしいみたいですね」


 ベリート様はちょっと疲れたようなお顔で眉の間を揉むようにして答えました。


「ああ。子供の頃は仲良く遊び回った仲だ。流石に家まではお出でになっていないから、もっぱら王宮の庭園で、君としたように走り回ったものだよ」


 へぇ。あの王太子殿下も私達のように走り回っていたと聞くと途端に親近感が沸いてきたました。そういえば。私はこの際だから前から聞きたかった事を聞いてみる事にしました。


「ベリート様はすっかり外で遊ばなくなってしまいましたね。どうしてですか?」


 ベリート様は水色の瞳を呆れたように丸くされた。


「イレーミア。私はもう十四歳だ。父の仕事を色々手伝わなければならないし、研究もしたい。外で遊ぶような歳でも無い」


「そうなのですか?」


 私にはその辺が不思議でした。子供の頃は私を引っ張って回って駆け回り、私に外遊びの楽しさを教えてくれたベリート様が、すっかりそれを止めてしまった事が。不思議だし、不満だったのかも知れません。


「ああ、私は今は研究が楽しい。そう。昔の学者の書物を見たり、錬金術師の書き残した研究成果から新たな役立ちそうな事を探すのが最近楽しくてな」


 ふーん。という感じです。そっちはいくらベリート様が説明して下さっても興味を持てるようにはならなそうですね。


 侯爵邸に帰って侯爵閣下や侯爵夫人と話し合っても結論は出ず、とりあえず保留という事になりました。少し様子を見て王太子殿下の私への興味がどのくらいなのかを見極めてから結論を出そうという話になったのです。私としてははっきり断ってくれた方が楽なんですけどね、なにせ相手は王太子殿下。殿下が国王位を継いだ後に、今回のことを恨まれて不利益を被りたくないというのが侯爵家の本音なのでしょう。


 気になったのはベリート様が良いとも悪いともはっきり態度を示さなかった事です。侯爵閣下のお言葉にウンと頷いただけ。やる気が感じられません。ちょっと、婚約者を奪われようというのにそんな態度で良いのですか? と言いたいですけど、そういえば私の方も熱烈にベリート様の方が良い! とは思えないので、政略結婚などそんなものなのかも知れません。


 それから私は王宮での社交に出る度に王太子殿下に毎回毎回熱烈に口説かれました。私はベリート様の婚約者ですから、王宮での夜会には二人で並んで出席します。それなのに王太子殿下はお構いなしにやってきてベリート様から私の手を奪うと、私と踊り私と語らい、その間中私に必死に愛を訴えるのです。


 勿論ですが婚約者のいる女性を口説くなどあまり推奨される行為ではございません。場合によっては婚約者の名誉に泥を塗ったとして決闘沙汰になってもおかしくない行為です。


 ですがこの場合、横恋慕しているのが王太子殿下ですし、侯爵家も王太子殿下が婚約者を譲ってくれと申し入れている事を認めていますし、何よりベリート様があっさり私の手を王太子殿下に委ねて怒る様子も見せません。


 そのため、社交界ではいまいちどういう反応を示して良いか分からなくなっているようで、噂も様々聞きますが、皆様遠巻きに観察しているというのが本当のところのようでございますね。


 正直に申しまして、私も困惑しているというのが本当の所でございます。


 王太子殿下のお気持ちは嬉しいのです。王太子殿下は素敵な方ですし、誠実でお優しい方です。それにどうも未だに活発な方のようで、外に出るのが好きなようです。王宮の庭園や外苑で狩りをするのがご趣味だとかで、外に出ることが多い私と話も合います。正直、私は興味が持てない研究についてのお話しか出来ないベリート様より、話をしていて楽しいです。


 しかしながら何しろ王太子殿下ですから、殿下のお気持ちに応えるという事は、私が王太子妃になるということでして、私に、こんな農作業や家畜の世話を趣味にしている私なんかがそんな地位について大丈夫なのかしら? という不安はどうしても持たざるを得ません。


 それに、私はもう何年も侯爵家に嫁ぐために、侯爵家から家族同然の扱いを受けております。皆様良くして下さいますし、侯爵邸の使用人とも仲良しです。それに庭園や農場には私の手が相当入っておりますし、家畜にも馴染みがあります。そうやって大事に育んできた侯爵家との関係を捨ててしまいたくも無いのです。


 そして王太子殿下はしきりと私を愛していると言って下さるわけですが、私はこの「愛」がいまいち分からないのです。


 というのは、私は幼くして婚約してしまいました。ですから、恋愛をしたことが無いのです。もちろんベリート様との婚約も恋愛の結果ではありませんしね。子供社交で他家の令息とも交流は有りましたが、早くから次期侯爵夫人に内定している私を口説いてくるような方は、当たり前ですがいませんでした。ですから恋愛のしようが無かったのです。


 私は最低限の教養として読み書きを教わり、詩作も学びましたけどそれだけで、興味がなかったので恋愛物語を読むような事もございませんでした。ですから恋愛についての知識も経験も無く、それをいきなり王太子殿下に熱烈に愛をぶつけられても意味が分からないのです。結婚する心構えですとか、侯爵家の女主人に相応しい振る舞い方ですとか、そういう事は皆様教えて下さいましたが、婚約してしまった私に今更恋愛のやり方を教えてくれる方などいませんでしたし。


 友人などは「愛は理解するものでは無く感じるものよ」などと言うのですが、それでは何のことやら分かりませんよね。そういうわけで、私は恋愛についてよく分からないでいるのですが、恐らく同じ悩みを抱えていらっしゃる方がもう一人いらっしゃいます。ベリート様です。


 ベリート様もどうも困惑していらっしゃるご様子でした。王太子殿下の態度にも周囲から聞こえてくる噂にも。ベリート様には恐らく、婚約者を奪われそうになっている可哀想な男、というような評判も耳に入っていると思われます。ですがベリート様はそのような不名誉な噂にも怒りません。どう怒って良いのか分からないのだと思います。


 その頃、私はベリート様に伺った事があります。


「ベリート様のお望みはどうなのですか? 私が婚約を解消して王太子殿下と結婚しても良いとお考えなのですか?」


 私も色々頭が混乱しておりましたから、ベリート様にはっきりして貰いたいと思ったのでしょうね。するとベリート様はうーん、と腕組みをしながら仰いました。


「君に婚約者を辞められると困る」


 微妙な物言いでした。


「困るとは?」


「私は幼少の頃よりずっと、君と結婚して侯爵家を継ぎ、一生君と暮らして行くだろうと思って生きてきたし、そのつもりで今でもいる。だから今更婚約を解消されては困る」


 真顔で仰るのです。私は呆れました。


「それはそうでしょうけど」


「私は君がいてくれてすっかり安心していたのだ。今更もう一度結婚相手を一から探すなど御免被る。だから王太子殿下と言えども君を譲るつもりは無い」


 随分自分勝手な言い方に聞こえますが、分からない意見ではありません。私だってすっかりなじんだ侯爵家から離れるのは嫌だなぁと思っているのですから。それに、理由は兎も角ベリート様が私との婚約を解消したくは無さそうだという事は分かりました。


 それなら私が同意しなければ婚約解消は無いはずよね。私は安心しました。後はお父様や侯爵閣下やベリート様が何とか国王陛下、王太子殿下と話を付けてくれるでしょう。


 ……と思って過ごしていたらなんと丸一年以上が経過しました。


 ちょっと待ってくださいませ。どうしてこんなに話が長引いてしまったのですか? 私は頭を抱えるしかありません。


 理由は簡単。侯爵家やお父様の婉曲な拒否を王太子殿下が受け入れなかったからです。王太子殿下は国王陛下の仲裁やご叱責にもめげず、執拗に私との結婚を求め続けたのです。一目惚れなのだから長い間お付き合いして人となりを知れば、色々幻滅されるかと思ったのですけど、殿下は興ざめどころか私への愛情を強くしていらっしゃる気配すらありました。


 というのはやはり私と王太子殿下はアウトドア志向の部分でご趣味が合ったからです。何度か乗馬に誘われ、時には遠乗りなどご一緒するようになりますと、殿下が外で過ごすのがお好きで、そういうパートナーを心底求めていらっしゃるのが分かりました。確かに、貴族令嬢、しかも高位貴族のご令嬢で屋外活動を趣味にしている方などそうはいらっしゃいません。少なくとも他に私は知りませんね。


 サロンでお茶をするよりも一緒に乗馬を楽しみピクニックを楽しむような妃が欲しいとお考えなのでしょう。やっと見つけたそういう女性に執着する気持ちは分からないではありません。でもねぇ。私はこうまで王太子殿下に愛されてもなお、恋愛感情というものが良く分からないのです。


 ですから王太子殿下と色々お出かけするのは楽しくても、それで殿下の事を愛するようになってはおりません。これには困りました。一年も一緒に遊んだので王太子殿下は仲良しのお友達だとは思っているのですが、婚約を破棄して王太子殿下の元へ嫁ぐ気にはなれていないのです。


 しかしながら周囲はそうは見ません。王太子殿下と仲良くしつつ、ベリート様との婚約も破棄しない私は二人の男性を籠絡して天秤に掛けているように思われているようです。いえ、その、私は最初から婚約済みで、王太子殿下はそれをご承知で求婚してきているのであって、私が王太子殿下の求愛に反応しない方が正しいので、それをもって非難されるいわれは無い筈です。


 などという良い訳は通りません。一年も経ってしまうと自体はだんだん抜き差しならなくなって参ります。王太子殿下も流石にじれ出しまして、私に自分とベリート様のどちらを選ぶのかはっきりして欲しいと仰るようになって参りました。サーシャル侯爵家も王太子殿下と王家に対して怒りを高めておりますし、関係の深い貴族を巻き込んで王家に抗議の意を示す騒ぎになって参います。ちなみにお父様は頭を抱えるだけです。バナステア伯爵家としてはどちらを支持すると明言しても後で困るからです。


 ここまで来ると、私がどちらをはっきり選んでも大変な事になってしまうのでは無いでしょうか。このままベリート様と結婚したら、王太子殿下は怒り、次代の王とサーシャル侯爵家とその一門と対立が生じかねません。かといって王太子殿下に嫁げば名誉を傷付けられたサーシャル侯爵家は怒り狂い、王太子殿下には王たる資格無し! として廃太子運動を起こすのでは無いでしょうか。どちらへ転んでも王国を二分しかねない大騒動に発展しかねないのです。


 私は困り果てました。そして問題のもう一人の当事者に理不尽な怒りを覚えるようになってまいります。ベリート様にです。


 ベリート様はこの問題にあまり感心が無いように見えたのでございます。ベリート様は私が王太子殿下と二人きりでお会いしても気にする様子はございませんでした。遠乗りで一日二人きりなど本来であれば推奨されない行為ですから、お誘いを受けた時に私は王太子殿下に「ベリート様の許可を取ってくださいませ」と言ったのです。ところがベリート様はあっさり許可を下さったそうです。


 そのくせ、私が何度聞いてみても「婚約解消をするつもりは無い」と仰います。それならば王太子殿下にもっと明確に拒絶の態度を見せてくれても良さそうなものではありませんか。伯爵家令嬢の私では王太子殿下のお誘いを拒絶するのは難しいのですから、ベリート様がはっきりと拒否して下さるしか無いのです。


 私はなんというか、ベリート様が分からなくなって参りました。……そうですね。何でかそれまではベリート様の事がよく分かっていたような気がしたのです。私達は幼少時からずっと一緒に遊んでいましたし、今でも毎日のように顔を合わせます。ですから、分かっているような気がしていたのです、


 ですが、本当は分かっている筈は無いのです。幼なじみとは言え他人ですもの。しかもどちらも急速に成長しています。五歳の頃に庭園を駆け回った頃と、十五歳で社交に忙しい私は同じではありません。ベリート様も一緒に泥だらけで笑い合ったあの頃とは変わってしまっているのでしょう。


 ……変わってしまっているのでしょうか? その辺がよく分かりません。私はベリート様を熱烈に愛しているとはとても申せませんが、非常に信頼しているという事は言えました。その信頼の源は一緒に庭園を駆け回り、私に外遊びの楽しさを教えてくれたあの頃の頼れる兄貴分だったベリート様の姿にあると思うのです。彼があの頃とすっかり変わっているのであれば、私はもう彼を信頼する事が出来なくなるかも知れません。


 確かめてみなければなりません。どのみち、ベリート様の事が信頼出来なければ結婚しても上手くは行かないでしょうから。


  ◇◇◇


 ある日、私はベリート様をお外へ誘いました。ベリート様はもう十六歳。すっかり大人びて背も大きく、立派な紳士にお成りでした。少し驚いておられましたが、婚約者の誘いに「良いだろう」と快諾して下さいました。


 二人でお外に出るなんて何年ぶりでしょうね。私の格好はいつも趣味の農作業をする服で頭から農婦のようにスカーフを被っています。一方、ベリート様は普通の格好です。ですが、足下はブーツでした。


 私はベリート様を連れていつものように庭園の外れの農場まで行きました。ここでは侯爵邸で使うお野菜の一部を造っています。私は担当の庭師と話をしまして、今日の作業を確認します。私のやることは所詮お手伝いですけど、無駄なことをやっても仕方がありません。今日は新たな畝を起こすのと、雑草取りです。私は鍬を持つとベリート様に押し付けました。


「さぁ! やりますよ!」


「私もやるのか?」


「勿論ですわ! さぁ!」


 私はここでベリート様が困惑したり、あるいは怒り出すかと思っていました。ベリート様が子供の頃と変わっていたならそうすると思ったのです。


 しかしベリート様は苦笑しながら上着を脱ぎ従僕に渡し、シャツの腕をまくりました。


「鍬を持つなど何年ぶりかだから、上手く出来るか分からないぞ」


 そして畑に入ると、流石の力強さ(貴族教育には剣術も含みますから、ベリート様は何気に鍛えているのです)で鍬を振り下ろしました。ざくざくと耕し始めます。すぐに汗を顔から拭き出し始めますが、気にした様子はありません。見守る従僕や侍女は意外そうに目を丸くしていますが、私には驚きはありません。小さい頃のベリート様はいつもそうだったからです。


 私は嬉しくなってしまいました。負けじと鍬を持って彼の隣で耕し始めますが、全然敵いません。流石は男のパワーですわね。ただ、耕した後の畝の作り方などはベリート様は知りませんから、私が教えて差し上げました。


 次は雑草取りです。これが結構大変で根気のいる作業なのですが、ベリート様は「腰が痛くなるな」と言いながら文句一つ言わずにやって下さいました。


「……こういう雑草を枯らしてしまう薬というのが文献にあったな。一度造ってみよう」


「あら、でも、一緒に野菜まで枯れてしまいませんか?」


「分からぬ。だが、こんなに大変なら、雑草だけ枯らすことが出来れば農民は助かるだろう。試してみる価値はあるのでは無いか?」


 ベリート様は色んな文献を知っているので流石に物知りでした。用水路に置く水車だとか畑の配置によってこの農場はもっと収穫を増やせるだろうとも仰いました。


「そもそも、私が研究を始めたのは野山を駆けまわっていた頃に知った事の理由が知りたかったからなのだ」


 外で遊んでいると、場所によって木々の種類が違うとか、土の色が違う。変な石、変わった虫、季節によって何で気温が違うのか、太陽の動き、星の動き、渡り鳥がどうして飛んでくるのか、等々。様々な疑問が沸いてきたのだそうです。それでその疑問を書物に当たって調べている内に、色んな事を調べるのが面白くなったのだそうです。


「久しぶりに外に出ると、また知りたい事が出来てしまったな。しばらく草を枯らす薬の研究をしてみようか」


「たまには外に出た方がよろしゅうございますよ」


「ああ、そうだな。そうしよう」


 時間になり、私とベリート様は並んで歩いて侯爵邸に戻りました。私はなんだかすっきりした気分でした。それはベリート様がやっぱり私の知っているベリート様だったからです。それなら私は彼を信頼して今まで通りにしていれば良いと思ったのです。


 そう考えながら彼と手をつないで歩いていますと、ベリート様がポツリとおしゃいました。


「……私はどうも愛だとか、恋だとかはよく分からないのだ。書物も随分読んだのだがな」


 私はビックリしてベリート様を見上げました。ベリート様は苦笑して水色の目を私に向けていらっしゃいます。


「だから君の事を愛しているとはとても言えないのだ。だが、私には君が必要だと思う。なんというか、君がいることはもう私の人生の一部で、今更居なくなられても困る」


 どうやらベリート様も私と同じ様な事を考えていたみたいですね。私も苦笑してしまいます。それはそうですね。ベリート様も恋愛とかそういう感情を知る前に私と婚約してしまったのでしょうから。


「……よろしいのではございませんか。私にもそういう感情は良く分かりませんもの。私もベリート様を愛してなんかおりませんから、お気になさらずに」


 ベリート様が少し不安そうな顔をなさいます。何ですかその顔は。しっかりして下さいませ。私は吹き出しそうな顔になってしまいながらベリート様の手を強く握りました。


「夫婦の間に必要なのは愛ではなく信頼でございましょう?私はベリート様を子供の頃から信頼していますもの。きっと大丈夫ですわ」


 すると、ベリート様はあからさまにホッとしたように笑って下さいましたね。私とベリート様は笑い合いながら夕陽の中、ゆっくりと侯爵邸への坂道を下っていったのでした。


 ◇◇◇


 結局、私は王太子殿下にきっぱりとお断りいたしました。


「私はベリート様の婚約者でございますので、殿下のお気持ちにはお応え出来ません」


 王太子殿下は悲しみ、何度も翻意を促したのですが、私は今度ばかりは頑なにお断り致しました。このままずるずる話を長引かせても良い事は一つもありません。


 それにどうやらお話を聞けば、ベリート様は何度となく王太子殿下に呼び出されて私と別れるように言われても、断固としてお断りして下さっているとのこと。知りませんでした。それならば後は私の態度一つ。私がしっかり意思を示せば私とベリート様の婚約は揺るぐことは無い筈です。


 王太子殿下はグズグズとごねましたが、私は「あまり無理を言うなら絶交して二度とお会いしません」と言い切りました。それでようやく王太子殿下は諦めて下さったようです。非常に残念そうに肩を落とす王太子殿下はちょっと可哀想でしたけどね。


 それからは王太子殿下とはご友人として、たまに乗馬を一緒に楽しむくらいの関係になりましたよ。ベリート様が鷹揚に許可を下さったからです。私を信頼しているという事なのでしょうね。そういうことにしておきましょう。


 完全に関係を絶たなかったからか、王太子殿下がベリート様や侯爵家を敵視するような事態にもなりませんでした。一安心です。私が結婚して、王太子殿下がお妃様を迎えても私と王太子殿下の友人としての仲は続きました。結果的には良かったのではないかと思います。



 そして私とベリート様は無事に結婚致しました。結婚式の後、披露宴に向かう前にベリート様は仰いました。


「やはり、君の事を愛することは出来ない」


 何を言い出したのかと思えば。私は目をパチクリしてしまいます。


 そういえば、ちょっと前に私が言ったのでしたね。


『せめて結婚式の時には私を愛している、と言って下さいませね』


 ほんの冗談だったのに、この方は律儀に気にして下さっていたようです。面白い旦那様ですね。真面目で律儀で信頼出来る。愛情など分からなくてもそれで十分でございましょう。私は言いました。


「それに何か問題が?」


 ベリート様はホッとしたように頷きました。


「そうだな。イレーミア。何の問題も無い」


「そうでございましょう?」


 私も微笑んで手をベリート様の腕に絡め。微笑み会いながら披露宴の会場に向かうのでした。


______


「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい!」「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!」書籍版が好評発売中です。買ってねヽ(´▽`)/


 

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