賞金稼ぎと女主人とラジオ

山猫拳

 肌をがすような熱い午後の日差しの中、店の軒先にある椅子いすに座って男は本を読んでいた。テーブルの上のテキーラに手を伸ばし身体をひねると、脇腹の傷が痛むのか、少し顔をしかめた。だが、男はその痛み方で、傷が一週間前よりも、随分ずいぶんと良くなった事が分かる。ここを出ていく時が近づいている。


 開けっ放しの木窓から、店の中が見える。カウンターが店の奥にあり、手前には丸テーブルが四つ。カウンターの後ろには、色々な銘柄めいがら酒瓶さかびんが並んでいる。この店は酒場には違いない。だが、なぜかカウンターには本と日用品なども陳列ちんれつされている。ここを一人で切り盛りする女主人の趣味らしい。


 男は空を見上げた、目の端にユーリンティナと書かれた質素な木の看板が映る。視線の先には、黒い小さな影。その影は段々と近づき、やがてはっきりと翼の形が見える。男の向かいの椅子に黒い影はばさりと降り立った。

「昼間から酒とは、あの女主人はお前に随分ずいぶんと優しいじゃないか、マニッターノ」

 マニッターノと呼ばれて男は、向かいにいるオレンジ色のミミズクから目をらし、テーブルの上のテキーラのびんをちらりと見る。

「どうした、妬けるのか? ブッコロー。気にすることはないさ相棒。100ペソの安酒だ」

 オレンジ色のミミズクは、翼を器用に使って瓶をくるりと廻すと、裏のラベルを見る。

「200ペソと書いてある。またいい加減なことを……。妬いてもいないし」

 マニッターノは適当なウソを、堂々と言い切る男であった。

「相変わらず細かいな……。分かってるさ、ブッコローがまだ、キュリアスIRのことが忘れられないことくらい」

 ブッコローは、かつて愛した女の名前に、ぴっと羽角うかくを揺らした。反論のために口を開いたのと同時に、店の中からマニッターノを呼ぶ声が飛んできた。


「マニッターノ、ちょっといいかしら? お願いしたいことが」

「優しいザキエーレが呼んでるぜ、とっととお願いを聞いてやりな」

 マニッターノは小さく溜息ためいきくと、グラスのテキーラを飲み干して、スウィングドアを押して店の中に入る。その後をブッコローも追いかける。

「マニッターノ、そこの一角にあるグラスを洗ってもらえないかしら? 今日は新しい商品が沢山入ってきて、手が回らないの」


 ザキエーレはカウンター隅の流しを指さす。そこには山積みのグラスや皿が、乱雑に積まれている。マニッターノはシャツの袖をまくりながら、白い歯を見せてカウンターの中に入る。

「もちろん。俺にできることなら、何でも言いつけてくれザキエーレ。あんたには感謝してもしきれない、女神さ」

「ふふ、大袈裟おおげさね。傷はもう大分良くなったのね。良かった。困ったときはお互い様よ」

「あんなガキの撃った弾も避けられないなんて、賞金稼ぎはもう潮時なんじゃあないのか?」

 ブッコローが、カウンタ―席に舞い降りて首を振る。

「避けたさ。ただ少し脇腹をかすったんだ。ちょっと食べすぎて、腹の形が変わっていただけだ」

 マニッターノがブッコローの方を振り返って、じろりと睨む。ブッコローはぷいと顔を背け、カウンター机に並べられた日用品に目を遣る。

「大した怪我じゃなくて良かったじゃない。犯人は保安官が追っているし……、そうだラジオをつけないと。もうすぐ放送が始まるわ」

 ザキエーレはそう言うと、店の入口脇の、小さな飾り棚に置いてあるラジオのスイッチを入れる。ラジオから、今日のガラスペン職人という声と音楽が流れはじめる。


 ザキエーレは手紙を書くための道具である文房具、ことにガラス製のペンやインクに目がない女であった。カウンターに置かれている日用品は、彼女が集めて来たペンやインクが殆どだ。彼女は、文房具の情報を、このラジオから得ていた。ブッコローは初め、このラジオに全く興味を持てなかった。しかし、ザキエーレと一緒にラジオを聞き、彼女の話を聞き、カウンターに並べられた製品を触っているうちに、何だか良くわからないが、このきらきらした筆記具や、様々な色のインクを集めたいと思い始めた。今はザキエーレと同じように、このラジオを楽しみにしている。



「ザキエーレ! あんたのとこで看ている、あの賞金稼ぎはいるかい?」

 スイングドアを勢いよく押し開けて、保安官のトレパンターノが入って来た。ラジオに耳を傾けていた一同は皆驚いて、入口を振り返った。

「何だ、皆お揃いじゃあないか。ちょうどいい。マニッターノ、あんたを撃った少年とその時の状況について、もう一回聞かせてくれ」

 保安官は、マニッターノのところに大股で近寄ってくる。


「あ……あぁ、分かった。二十歳前くらいのガキだ。俺が金を持っているのを見てたらしくて、金を盗もうとしやがった。それで、ぶん投げた。そしたら銃を持ち出しやがって……」

 マニッターノはきまり悪そうに、自分の脇腹に目を落とした。

「お前が撃たれた賭場、あそこじゃあ最近、若いヤツを脅しては、お前みたいなやつの金を盗ませたり、イカサマをやらせたりしている連中が、出入りしてるらしい。少年の特徴とか、何か覚えてないか?」

 保安官がマニッターノとブッコローを交互に見て聞く。


「特徴ねぇ……太ってもないし、痩せてもない。いたって普通のガキだ。顔を見たら分かるが。いや……まてよ。そうだ……奴は俺が追いかけようとしたら、転んだ。その時、カバンから雑誌を落として、それを急いで拾い上げて、逃げて行った。珍しい雑誌だったなぁ」

「雑誌か……、参考になるか分からんが。どんな雑誌か覚えているか?」

 保安官が額を掻きながら、マニッターノを促す。

「表紙に書いてあった文字は、覚えている。たしか……踊る両国とか、DDTとかそういう文字が書いてあった」

 マニッターノはさっぱり分からないという顔で、保安官を見つめた。しかし、保安官の顔は見る間に青ざめた。何か心当たりがあるようであったが、同時にそれは彼を苦しめる予感であるようだった。

「両国……DDT、ドラマチック……! その雑誌はプロレスじゃあないか?」

 ブッコローが叫んだ。ザキエーレが保安官の方を不安な様子で振り返った。

「あぁ……あぁ、そうだな。そうだ。……このままここで待っていてくれ。すぐに戻る」

 保安官は言うが早いか店から飛び出した。ブッコローとマニッターノはあっけにとられて、お互い見つめ合った。


「保安官には、シュガーボーイっていう息子がいるの。一八歳で、最近夜遊びをしてるみたいだって、とても心配してたわ」

 ザキエーレはカウンターの上にそっと手を置いて、もたれ掛った。

「それがなんだってのさ? それぐらいの年なら皆やることだろ?」

 ブッコローはカウンターに置いてある、どこまでも真直ぐな線が書けるペンを爪先でもてあそびながら答えた。

「シュガーボーイは、優しい子なの。けど、悪い友達ができたみたいだって……。それに、それにね、シュガーボーイはプロレスが大好きなの」

「な、何だって? それじゃああの保安官の息子が、俺を撃って逃げた犯人なのか?」

 マニッターノの問いかけに答えるものは、誰もいなかった。沈黙が流れ、ラジオの軽快な音楽とガラスペンの説明だけが聞こえる。

 どれくらいそうしていたのだろうか、スウィングドアの開く音がして、全員が入口を振り返った。保安官が少年を連れて立っていた。学校から連れだされたようで、制服を着ていたが、その顔は、マニッターノもブッコローも見覚えがあった。


「お前は、あの時の……!」

 マニッターノはカウンターから飛び出てきて、少年に詰め寄った。少年はマニッターノの顔を少し見て、目を背け、小さな声でごめんなさいとつぶやいた。保安官は少年の胸倉むなぐらをつかんだ。

「なんてことだ! シュガーボーイ! お前は、自分のしたことが分かっているのか? 彼は死んでいたかもしれないんだ! どうしてこんなことを……」

 シュガーボーイは保安官の手を払いのけ、にらみつけた。

「殺すつもりなんてないよ、ちょっと脅かしただけだ。そりゃ、ちょっとかすめちゃったけど……。父さんがいつまでも僕に銃をくれないから……あの時も、どうせ撃てないだろうって、あいつら僕に銃を渡して、だから、僕だって撃てるんだって……」

 そういったシュガーボーイの横っつらに保安官のひじが飛んできた。あっという間の出来事だった。シュガーボーイは前のめりに倒れた。シュガーボーイは、口から頭蓋骨ずがいこつが飛び出るような感覚がした。

「いいか! なぜ私がお前に銃を与えないのか、よく考えろ! まだまだ未熟なんだ。思った通りだ、こんな事件を起こしてしまって……」

 保安官は泣いていた。ブッコローが倒れた少年のところに舞い降りた。

「保安官、息子は気絶してるみたいだ。あんたの説教は届いちゃいないぜ」

「この少年は確かに悪い事をした。だが、これでおあいこみたいなもんだな」

 マニッターノは言いながら、シュガーボーイの脈や瞳孔どうこうを確認した。どうやら本当にただ気絶しているだけのようだ。

「すまない……ちゃんと更生させる」

「あぁ、そうだな。けど、悪い事ばっかりじゃなかったさ。ザキエーレに出会えた。そうだろ、マニッターノ」

 ブッコローはそう言って、マニッターノを見上げた。マニッターノはそうだなと呟いた。けれどその声は、ラジオの軽快な音楽にかき消されて、風のように消えてしまった。


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賞金稼ぎと女主人とラジオ 山猫拳 @Yamaneco-Ken

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