始まりはいつも雨2-1
「久しぶりね、九重先生」
「先生は止めてください。俺はもう辞職しました」
スカート姿の黒いスーツを着た四〇代くらいの女性。
元同僚の瀬戸真子だ。
蓮を呼び出した張本人。
「そうだったわね。九重くんって呼んだらいいかしら。そちらの方は?」
「幼馴染みの鹿野元博です。着いてきてもらいました」
「そう。初めまして、鹿野くん。瀬戸真子と申します。二人とも、入ってちょうだい。社長が待ってるわ」
促されるまま、ビルの中に入る。
ビル内にも階段はあったのか。
階段を昇った先、三階に事務所があるらしい。
「あなた、九重くんたちが来てくれたわよ」
「おお、そうか」
適当に座ってくれという言葉に甘え、二人掛けのソファーに元博と座る。
嘔吐した後に電車に乗ったせいで、吐き気がぶり返してきた気がする。
自然と、元博に寄りかかってしまう。
人前で弱った姿はあまり見せたくないのだが。
それも、元同僚の真子には。
「大丈夫か、蓮」
「もう慣れてるから。すぐにどく」
「キミが真子の元同僚くんだな。初めまして、瀬戸大五郎だ」
対面に座る形で、真子と同い年くらいの男が現れる。
居住まいを正す。
「九重蓮です。こっちは鹿野元博。俺が瀬戸先生から仕事を紹介されました。申し訳ありませんが、断らせていただくつもりです。そのために来ました」
「一言目がそれか、蓮」
呆れたように非難されるが関係ない。
元々、断るつもりで来たんだ。
嫌な顔をされるかと思ったが、凪のように穏やかな顔で問われる。
「キミは仕事のことを何一つ聞かないまま、帰るつもりかい?」
「何でも屋だと聞いています。俺なんかに人の役に立つ仕事は無理だ」
そもそも人と関わることすら、もうしたくない。
この人は、俺の過去を真子さんから聞いていないのだろうか。
いや、聞いていたとしたら、勧誘なんてしないか。
「そう言わず、お話だけでも聞いていきなさい、九重くん」
目の前にお茶が置かれる。
真子は大五郎の隣に座り、くしゃりと笑う。
懐かしい仕草に、何故かホッとしている自分がいる。
こんなことを思っていい人間ではないというのに。
「今ここには私と真子しかいないが、従業員は私たちを含めて五人いる。二人は仕事に出ていて、一人は部屋にいる」
「部屋?」
「うちは三階と四階を使用していて、四階は住居になっているの。九重くんがここで働くのなら、四階に住んでもらっても構わないわ。従業員の子たちはみんな住んでいるの。もちろん、私たちもね」
家を出られるのは魅力的だ。
だが、ここでは働けない。
「何でも屋の仕事の内容は?」
断わり文句を考えていると、横から元博の質問が飛んだ。
ギョッとして肩を掴む。
「勝手なことすんじゃねぇよ、元博」
「いいじゃないか。話くらいは聞こう。俺も少し、興味がある」
「お前なぁ……」
ときどき突拍子もないことをし出す元博には、驚かされるばかりだ。
蓮の考えなんて何処吹く風で、元博はニコニコと屈託の無い笑顔を浮かべている。
この状態の元博には、逆らう意思を失ってしまう。
重くため息を吐き、大五郎に続きを促す。
「文字通りだよ。依頼があれば何でもやる。部屋の片付け、ペットの散歩、もの探し、家事代行、この間は壊れたパソコンの修理も承ったねぇ」
「本当に幅広いですね」
「とはいえ、受理できない依頼も存在するさ。代表例は犯罪行為だね。何でも屋を始めた当初は、その類の依頼も少なくはなかった。人探しに見せかけたストーカーや、空き巣に入るために見張りをやれなんて依頼もあったさ」
なんて事ない風に呟かれた言葉にゾッとする。
人を探す行為は、犯罪に繋がるケースも往々にある。
探偵を雇う場合、依頼主の素行も徹底的にチェックされることが殆どだ。
その分、何でも屋という会社は素行調査が緩いのかもしれない。
その考えが読まれたのか、大五郎は険しい顔で話を続ける。
「だが、私たちは依頼を受ける際、依頼主の素行は徹底的に調査する。万が一でも、犯罪の片棒を担ぐことが無いようにだ。我々は犯罪者に手を貸すほど愚かではない。そしてまた、調査した内容は極秘に処分する。個人情報が漏洩することを防ぐためにだ」
はっきりとそう意思表示した大五郎は、険しい顔から一転、朗らかな笑みをたたえた。
その変わり身には目を見張る。
「まあ今のところ、あまり危険な仕事では無いさ。これからの依頼によっては、少々危険は付きものかもしれないがね」
「ちょっと、あなた。働く前から脅さないでちょうだい。そんなんだから、今までも働き手が不足していたんだから」
「済まないね、真子。だが、ある程度のリスクは話しておくべきだ。それが礼儀というものだと、私は思うがね」
少々不満そうな真子は、思い出したように壁に掛かった時計に目をやった。
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