始まりはいつも雨1-5
「グゥッ……」
途端に吐き気が襲う。
咄嗟に路地裏に入り、しゃがみこんで排水溝に向かって激しく嘔吐する。
だが、ほとんどは胃液。
当たり前だ。
ここのところ、ロクに食っていない。
生理的な涙で視界が滲む。
レンズが汚れないよう、眼鏡を外してポケットに突っ込んだ。
「胸くそ悪ぃ。万引きとはいえ、何でこういうときに限って事件に遭遇すんだよ」
「大丈夫か、蓮。やっぱり吐いてたな」
背中に広がる温かさに慌てて振り返る。
私服姿の元博が背中に手を当て、ペットボトルを差し出してきた。
「お前、店とガキはどうした」
「店長に任せてきた。幸い、夕方バイトの高校生が早めに来てくれたからな。もう上がっていいってさ」
「……悪ぃ」
いつもこうだ。
あのときから大なり小なり、事件に関わる度に吐いてしまう。
なにも、死体を見た訳でもないのに。
情けない。
水で喉を潤し、思考を整える。
「一度、家に戻るか?」
「大丈夫だ。約束の時間には少し早いが、そろそろ向かう」
早めに行動して損は無いだろう。
納得したのか、元博は歩き出す蓮に着いてくる。
「それで、お前を誘っているのは、塾講師のときの同僚さんなのか?」
気分転換なのか、話を途切れさせないようにしているのか。
意図を汲んで、答えてやる。
「ああ。今も唯一、連絡を取り合ってる人だ。もし良かったら、今の仕事を手伝ってくれないかって連絡が来てな。話も聞かないで断るのも失礼だし、顔を合わせるだけ合わせておこうと思ったんだ」
「結局、断るつもりなんじゃないか。だというのに、お前も律儀なヤツだな」
確かに、交通費だってタダじゃない。
二ヶ月前に仕事を辞めてから、貯金を切り崩しているから、余裕があるわけではない。
だが、筋は通すべきだと思う。
そうだ。
電車に乗るのなら、そろそろ眼鏡をかけ直すか。
最寄り駅から東に四駅。
電車に二〇分少々揺られ、さらに一五分歩く。
随分と距離がある。
道中、気になるのか元博から矢継ぎ早に質問をされる。
「その仕事っていうのは?」
「詳しいことは分からねぇけど、何でも屋らしい。人数も少なくて、人手が欲しいんだとよ。断るつもりだし、俺には関係ねぇことだがな」
「お前が仕事を辞めた理由も知ってるのか?」
「そりゃあな。一応、関係者だから」
とはいえ、誰かの役に立つ仕事なんて、俺に出来るはずが無い。
ややこしい道のりを、スマホの地図アプリを頼りに歩く。
ポツポツと降りしきる雨で画面が濡れてしまう。
傘の角度を調整し、スマホの方へ傾ける。
蓮も元博も、初めての場所は不安が尽きない。
難儀な場所に建てたもんだ。
「この辺りだな」
「あのビルじゃないか?」
お世辞にもキレイだとは言えない外装のビル。
四階建ての、こじんまりとした建物だ。
一階は喫茶店、二階はコインランドリーになっているらしく、ちらほらと人がいる。
「事務所は何階か分かるか?」
「さあな。ビルの前に来たらメールしてほしいって言われてる」
相手に着いた旨のメールを送る。
直接顔を合わせるのはおよそ二ヶ月振りだ。
緊張で高まる鼓動を悟られないよう、小さく息を吐く。
今すぐにでも逃げ出してしまいたい。
その願いも虚しく、外に取り付けられた古びた階段から、傘を差した一人の女性が降りてくる。
ああ、変わっていない。
二ヶ月前、心配そうな顔で俺を見送った、あの人のままだ。
出来れば、会いたくはなかった。
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