英雄公爵家の、とある一時の話

ナギ

英雄公爵家の、とある一時の話

 数か月前、暴君と呼ばれた王が崩御した。貧困に喘ぐ民の血税で贅沢な暮らしを続け、そこかしこで美しい女を見繕っては城に召し上げ、好き放題に弄ぶ。好戦的で隣国との諍いも絶えず、権力を欲しいままにしていると悪名高い王だった。民の間では国に根付いた『聖女信仰』の宗教団体との癒着も噂されていた。

 そんな王の下に集う貴族もまた似たような者達ばかりで、各領地では自分の食い扶持を得るために犯罪に手を染める者が増えていき、時には領主の財産を狙って民が暴動を起こすなど事件が絶えなくなっていた。

 緑豊かな魔法使いの国、ウェステリア――そう呼ばれた頃の大国はどこにも見る影がなかっただろう。

 だがある日、その大国を揺るがす大事件が起きた。

 ウェステリア王国第一王子リチャードによる反乱――『解放軍』なる者達による王都襲撃事件である。

 彼らは僅か十人で正門から攻め入り、城内の衛兵をなぎ倒し、ものの数分で城内を制圧。あっという間に王座に辿り着くと、そのまま城主の首を刎ねたと言う。城門に吊るされた首を見た民のほとんどが歓喜の声を上げ、新しい君主として名乗りを上げた王子を褒め称えた。

 そして、リチャードはそのまま狼煙を上げると各領地へと散らばる反乱分子を制圧すべく進軍を開始。善良と噂されている領主達とは話し合いの場を設けたが、横領や人身売買など犯罪に手を染めていた者は容赦なく処刑した。王族と癒着関係を噂されていた宗教団体も、これを機に壊滅へと追い込んだのである。

 ロディ・ローランド公爵は、その事件において『英雄』と呼ばれる者の一人だった。元より二十歳にして『大魔法使い』と称されるほど有名な人物ではあったが、公爵位とウェステリア南部一帯を領地に与えられてからはより一層、その名が国中に知れ渡ることとなった。

「だから、師匠はすごい人なんだよ――って、聞けよ!」

 長らく自慢の師について胸を張りながら語っていた少年――ポールは、話の途中で使い魔の銀狼を撫でることに夢中になっている女に気づいて目くじらを立てた。

 最初は真面目に耳を傾けていたはずだったが、どうやら途中で飽きてしまったらしい。声を荒げて睨みつけると、そこでようやく女はポールの話が終わったことを察した。くるりと振り返った彼女は、無感情な表情でポールの顔をじっと見つめた。

 何を考えているのか全く分からない。ぼんやりと見上げてくる黒真珠の瞳を見つめ返しながら、「せめて感情くらいは素直に表に出してくれよ」とポールは心の中で口に出せない愚痴を吐き出した。

「ポール。まだ言葉が分からないんだ。そう焦って教えることないだろう?」

 そんな二人のやりとりをティーカップ片手に眺めていたのは話題になっていた公爵本人だ。瑠璃色の瞳を細めて、彼は苦笑しながら弟子を宥めるように声をかけた。

「それに、僕の話は何もかもただの逆臣の荒事に過ぎない。チシャにそんな血生臭い話を聞かせる必要はないさ」

「そんな……師匠は立派なこの国の英雄ですよ!」

「多くの民にとっては、ね」

 含みのある言い方で、ロディはカップの中を揺蕩う紅茶をぼんやりと眺めた。女性にも引けをとらない美しい顔に陰ができると、ポールは何も言えず口を閉ざしてしまう。そうして二人が黙り込んでしまうと、チシャと呼ばれた女は彼らの顔を交互に見やり、そして我関せずといった様子で傍らに伏せる大きな銀狼に視線を戻すと、ふわふわの毛並みを再び撫で始めた。

 つれない彼女の態度を見て、ポールはため息を吐いた。

「これが偉大なる大魔法使いの『花嫁』だなんて」

 自分と大差ない背丈。鼻が低く唇も薄い面立ち。本人曰くロディとそう歳は変わらないとのことだったが、自分達に背を向けて黒狼を撫でる後ろ姿はどこをどう見てもただの子どもだ。それも、不貞腐れて拗ねる子ども。

 そう不満を口にすれば、ロディは肩を揺らして笑った。

「はっはっは! ポールはまだまだお子様だな」

「俺はもう十二歳ですよ、師匠! そんな小さな子どもじゃありません!」

「おや? では、そんなポールに一つ紳士の心構えを教えてあげよう。レディというのは、少し手がかかるぐらいが可愛いものなんだよ。社交界の令嬢達だって、あの手この手を尽くして着飾って美しくなるだろう?」

「ええ……それはそうですけど……俺はもう少し従順で可愛げがある方が……」

 納得いかないといった風の弟子の反応に、ロディはおやおやとわざとらしく肩を竦めて見せた。

「分からないかなぁ……言うことを聞かないじゃじゃ馬を自分好みに調教するのが楽しいんじゃないか」

 ――満面の笑顔でとんでもないこと言ってるぞ、この腹黒魔法使い。

 しん、と空気が静まり返った。傍らで控えていた執事やメイドは開いた口が塞がらないといった表情だ。付き合いがそれなりに長いポールでさえ、悪びれる様子のない彼に返す言葉はすぐに見つからなかった。

 何とも言い難い表情で、彼らは同情の意を込めた眼差しを一人の女に向ける。自分達に背を向けたまま芝生に腰を落としていたはずの彼女は、いつの間にか銀狼を伴って花壇の方へと歩み寄っていた。彼女を大切にしている銀狼は察しが良い。今はこの屋敷の主人の思惑から少しでも彼女を遠ざけることを選択したようだ。

「それなのに、僕を差し置いて『花嫁』の傍にいるのは使い魔だ。実に面白くない。ずるいと思わないかい?」

 銀狼は『花嫁』の護衛として優秀な最上級の聖獣だが、ロディは言葉通り不満げに唇を尖らせた。

 古より魔法使いには、生涯においてたった一人だけ魔力の相性が最も良い人間が存在する。『花嫁』や『花婿』はそういった者達の呼び名で、魔法使いは彼らと出会うと本能が運命を感じ取るらしい。

 中でも魔力の強い魔法使いとの『契り』は相手に何らかの『特別な力』を与えると言われており、その強い魔力故に衝動を抑えきれず相手を囲い込んでしまうこともあるんだとか。ロディも時々、そういった一面がある。

 実際、『花嫁』や『花婿』は呼び名通りの存在だったのかもしれない――そんなことを考えながら、「そういえば」とポールは口を開く。

「時々、チシャは動物達と言葉を交わしているような素振りを見せますよね」

 彼女は言葉が理解できないはずだが、時々ふと、こちらの言葉を理解したかのように振る舞うことがある。振り返って考えてみれば、決まってそういう時は彼女の傍にあの銀狼や動物が近くにいるので、使用人の間では『動物と話せる異能があるのでは?』と噂されていた。

「実際、何らかの意思の疎通はできるんだと思うよ」

 ポールの言葉に、ロディはあっさりと頷いた。

「みんなの言う通り、チシャの場合は『生き物の声を聞く力』なんだろうね。そうでなければ『フェンリル』とべったりくっついていられないだろうし、あんな風に野生の動物達に好かれることもないと思うんだ」

 そう言ってロディが人差し指を向けた先を見る。いつの間にか、銀狼と花壇の花を眺めていた女の頭や肩や腕にたくさんの野鳥が乗っていた。足元には野良の使い魔らしき猫や犬、ネズミも集まってきている。

 当の本人は何故自分が野鳥の止まり木になっているのか理解できていないようだ。棒立ちのまま、されるがままに体のあちこちを小さな嘴で啄まれている。

 ポールは慌てて彼女に駆け寄り、動物達を追い払った。

「ちょっとチシャ! 何してんの!? 野生の中には病気持ってるヤツもいるんだから気をつけなよ!」

 ポールの形相と口調から、なんとなく自分に向けられた叱責の言葉を感じ取ったようだ。反省しているのかどうかも分からない表情であったが、一呼吸置いたあとに彼女はこくんと大きく頷いた。

 本当に分かっているのかと責めてしまいそうになる衝動に駆られるが、追い払われて散り散りに逃げた動物達が草陰や木の上から恨めしく見つめてくるような気がして、ポールはぐっと言葉を飲み込んだ。やはり、彼女は本当に特別な力を秘めているのだ。そう考える他ない。

 銀狼に視線を移すと、護衛の彼は頭上を見ていた。

 何を見ているのか、ポールも同じく上を見る。そこには、自分達の頭上をグルグルと旋回する一羽の鷹がいた。

 銀狼は煩わしそうに目を細め、小さく唸り声を零した。

 刹那、大きな氷の礫が空を横切り、自分達の頭上を飛んでいたそれに襲いかかる。見事標的に命中したそれは鷹を容赦なく地面に叩き落とした。

 その攻撃がどこからやって来たのか、すぐに理解したポールは振り返り、自分の師を見つめる。

 屋敷の主である公爵はすでにこちらに目を向けておらず、澄ました顔で優雅に紅茶を啜っていた。

「つまらない見張りだ。あとは任せたよ、『イズモ』」

 ロディの言葉に、イズモと呼ばれた銀狼――聖獣フェンリルは落ちてきた鷹に食らいつき、止めを刺した。

 その様子を、女は傍観していた。弱肉強食は野生の理である。狼が肉を貪る光景など、淑女には残酷な光景だろう。それを目の当たりにした彼女はやはり表情一つ変えず眺めていたが、やがて静かに瞼を下ろした。

 それはまるで現実から目を背けているような、あるいは自分の置かれた境遇を悟って諦観しているようだと、ポールはひっそり胸の中で独り言ちるのだった。

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