第308話 アイシャさんのコーヒー
帰国前日の18日、レオンシュタインは皇帝シーグルズル7世から呼び出しを受ける。
フラプティンナ姫は神の前で誓ったのだから、レオンシュタインとの結婚は決定しているとの態度を崩さなかった。
帝国では、別にそのことについて反対はなかった。
ただ、それは帝国に困った問題を引き起こしていた。
長男、長女がヴェルレ公爵と癒着していることが判明し、2人は廃嫡されていた。
そのため、皇位継承権第1位がフラプティンナになっていたのだ。
安全のために、グブズムンドル帝国の船の上で話し合いが行われることになった。
もうすぐ夕方になろうという景色が、レオンシュタインは好きだった。
明日がいい日になるかを思い浮かべられるようになってからは、なおさらだった。
皇帝は一緒に夕日を眺めていた。
「レオン殿、わしは別にフラプティンナの結婚に反対というわけではないのだ。それというのも、以前おぬしの国から帰ってきた時のロスの悲しそうな顔を忘れられんのだ。よほど、おぬしの国が楽しかったのであろう。買ってきた服をよく抱きしめていたからなあ」
手摺りに寄りかかりながら、シーグルズル七世は呟くように話す。
「それにな。一時でも魔族と共に過ごしていたとなれば、口さがないものたちの噂になるであろう。それを気にしないのはレオン殿だけだと思っている」
魔族と過ごしたという事実が、様々な中傷を引き起こすことは目に見えていた。
レオンシュタインの胸が痛む。
「あれは、昔からよくできた娘だった。美しさがよく喧伝されるが、深い思いやりをもった優しい娘なのだ」
「それはよく分かります」
「どうか、娘を幸せにしてやってほしい」
帝王といえども、娘は可愛い。
ましてや、一番可愛がっていたフラプティンナ姫だ。
皇位継承権よりも娘の幸せを願って、重い決断を下したと言える。
「でも、皇位継承権は……」
「なあに、新たな后を見つけるよ。まだまだワシはいけるぞ!」
皇帝は片目をつぶる。
レオンシュタインは、もはや笑うしかなかった。
§
船がノイエラントの港に着くと、多くの人たちが大歓声で迎えてくれた。
特にレネは、無事に帰ってくれたことを何よりも喜んでいた。
「レオン様が無事であれば、さらにこの帝国は発展するでしょう」
ん? 帝国?
レオンシュタインが尋ねると、
「ノイエラントは、他民族、広大な領土の定義から言えば帝国にあたります。ユラニア王国などからはノイエラント帝国と呼称する旨、通達がきております」
「帝国!?」
一緒に帰国したみんなは驚愕の表情だ。
この前までクリッペン村だったのに……。
「忙しくなりますよ、レオン様。まずは、ゆっくりとお休みください。それと、まずは結婚式を盛大に祝わないといけませんね」
平和になったのに、また、いろいろ大変なことになりそうな気がしたレオンシュタインは、旧村長室(帝王の部屋)にて休むことになった。
皇帝の寝所が丸太小屋なのは、レオンシュタインが初めてだろうとみんな噂し合った。
ただ、翌日からレオンシュタインの元気がなくなっていった。
ティアナやフラプティンナまで寄せ付けず、一人で悩んでいることが多くなった。
シノは心配して、ご飯を作りにくるのだが、ローレさんの店から注文しているとして、シノとの交流も避けていた。
1週間語の10月25日。
レオンシュタインは久々に外出し、喫茶『ミルク娘』を訪問する。
時間はすでに午後5時を過ぎていた。
アイシャは、もうすぐ店を閉めようとしていたところだった。
「アイシャさん、実は相談があるんですけど」
そう言いながら『ミルク娘』に入ってきたレオンシュタインは、そのまま黙ってしまう。
アイシャは、レオンシュタインの気の済むまで考えさせてあげようと、コーヒーを入れるとそっと前に置き、自分はレース編みの続きをやり始めた、
ただ、店の入り口には「ごめんね。今日は貸し切り」の看板を置いておいた。
「結婚って、そんな何人もしていいんでしょうか?」
ようやくレオンシュタインが口を開く。
ティアナとフラプティンナに、助けるためとはいえ求婚してしまったことを言っているのだ。
「レオンさん。していいか、ではなくて、自分の気持ちが大事なんじゃないですか?」
アイシャはコーヒーのおかわりを差し出しながら答える。
レオンシュタインは、アイシャの言葉を何度も胸の中で繰り返す。
「レオンさんは、ティアナちゃんが嫌いなんですか?」
「そんなことないです。ティアは一番大切な人で、ずっとそばにいてもらいたいです」
すると、アイシャは右手の人差し指をレオンシュタインの前に立てる。
「レオンさん。私は好きかどうかを聞いたんですよ」
レオンシュタインは狼狽するが、心を落ち着けて、しっかりと答える。
「大好きです」
アイシャはパッと笑顔になる。
「ティアナちゃん、きっと喜ぶわ。早く話してあげなさいな」
嬉しそうに話すアイシャを見ながら、レオンシュタインは言葉をつなぐ。
「でも、ロスも大切にしたいんです。あの子はとても優しい心の持ち主なのに、帝国のために自分を殺している時があるんです。ロスにはいつも笑っていてほしいんです」
「レオンさん!」
アイシャに言われて、レオンシュタインは思いきって話す。
「ロスも大好きです」
同じような会話が続き、結局、イルマ、ヤスミン、シノも全員大好きと言うことがアイシャには、ばれてしまった。
「あんな美人さんを5人もお嫁さんにするんですから、人からはいろいろ言われるでしょうね。でも、レオンさん。あなたは人から何かを言われるからって、あの5人と過ごすのを諦めるんですか?」
「そんなことないです」
「じゃあ、人の噂なんて気にしない方がいいわ。あなたに必要なのは、5人への愛でしょう? それ以外に、世情のよい噂まで必要なんですか?」
アイシャはのんびりと答える。
レオンシュタインは、頭を振り、コーヒーをゴクッと飲み干す。
「アイシャさんは、強いんですねえ」
「ううん。私だって、人に何かを言われたら気になるし、傷つくことだってあるわ。でもね、そんな時はレネや村の友だちのことを考えるの。そのたびに私はもの凄く幸せなんだなっていつも思うの。なんて素敵な人たちに囲まれてるんだろうって。幸せすぎるうって叫んじゃうようにしてるわ」
アイシャらしい考えだ。
「あなたの愛が全員にあげられるくらいあるなら、迷わない方がいいわ。どうせ何をしても貴方は悪く言われるわよ。でも、この喫茶店だけは、貴方の話をいつでも聞きますよ」
レオンシュタインはようやく、いつもの笑顔になる。
「アイシャさん、ありがとう。ようやく気持ちが固まりました」
最後に握手をして、レオンシュタインはその場を去って行った。
「さすが、愛しのアイシャだ。英雄の悩みを解決してしまったんだからな」
心配して迎えにレネは、偶然二人の話を聞いてしまったのだ。
「レネ! 英雄だなんて言い方、止めた方がいいわよ。いつまでもレオンさんのままがいいと思うわ」
「そうだね」
そうして、ようやく喫茶店の灯が消えたのだった。
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