第230話 悪霊退散!

 王国歴165年2月24日 夜 ノイエラント境界 ナレ砦にて――


 アリカタは灰色の石の階段をゆっくりと下っていく。

 足にタビを履いているためか、ほとんど音はしない。

 壁には蝋燭が灯されているけれども、かなり薄暗い。


 アリカタの金色の目が燃えるように光っている。

 砦には50人のサムライが詰めているというイルマからの情報だったが、その気配は今のところ感じられない。

 ただ、何かが蠢いているのだけは分かる。


 紙を息で吹きとばし、下の詰め所の辺りにひらひらと落ちていった瞬間、


急急如律令呪符退呪呪符を用いて呪いを直ちに退けよ

 

 と、大音声で叫ぶ。

 石の階段が薄赤い炎で包まれ、奥の方でドサドサと何かが倒れる音がする。


「シキシマ一の呪禁師、ミナモト朝臣あそんアリカタとは俺のことだ。調伏されたい奴、かかってこい!」


 詰め所にいた5人のサムライが、刀を抜いてアリカタに向かってくる。

 ただ、動きはぎこちなく、木のマリオネットのようだ。


「おいおい、シキシマのサムライが情けねえ! 俺が鍛え直してやる!」


 そう言うと、ジュズを握りしめ、


とう!」


 と、5人に向けて言霊を放つ。

 「灯」は闇の中に浮沈する衆生を救う光という意味があり、すぐにサムライたちは、その場に崩れ落ちる。

 アリカタが詰め所の部屋に入ると、奥の方に3名のサムライが倒れている。


「8人……」


 独り言のように話していると、ギイという大きな音と共に、ノイエラント方面の扉が開いた。

 砦を守るサムライたちが、40名ほど砦の外へと走り出る。


 その瞬間、アリカタは赤い一つ目が部屋の隅から自分を見つめていることに気付く。


 真っ赤な1つ目の中に縦の瞳孔が光る。

 蛇のような頭と耳まで裂けた口が不気味さを高めている。

 紫の鱗が全身を覆っており、口からは赤い舌がちろちろと覗いている。


 その横にぐったりとした成人前の女性が椅子に座っていた。

 左手の薬指には、あの指輪が光っていた。


「ついに魔族の登場か」


 アリカタの目が金色が、怒りのために赤黒い光に変わっていた。


 一方、中隊は弓矢の射程範囲外で停止していたが、アリカタが砦の上に登ったのを見て、イルマは全身を命じる。


「矢の攻撃に備えつつ、砦に接近せよ。アリカタ殿の動きに連動する」


 イルマの命で中隊全員が砦まで100mほどに接近する。

 さらに、イルマはアリカタの援軍として、付いてきたサムライ10名を砦に走らせる。

 綱を登らせて、別働隊にしようというのだ。


 サムライが砦に走っていったのと同時に、グラビッツがイルマに進言し、その準備に取りかかる。


「中隊長。敵は間違いなく、こちら側に攻めてくる。まずは聖水をかけることを第一目標にし、その後、無力化しましょう」


 一人一人にオレンジを配布する。

 緊迫した場面にも関わらず、オレンジ色とオレンジの匂いがなぜかリラックスムードを醸成してしまう。


「何だか、気合いが入らないな」


 自分の中隊を見ながら、イルマは苦笑いを押さえられないのだった。

 その時、ナレ砦の扉が開き、サムライが抜刀しながらこちらに向かってきた。


「グラビッツ殿、指揮をお願いします」


 グラビッツは頷くと、敵を引きつけるように厳命する。


「いいか。聖水をかけることで、味方に戻すことができるんだ。本気で当てろ! そして、失敗したときは遠慮せず切りつけろ!」


 オレンジを持った兵士達は、思わずオレンジを握りしめるのだった。


「距離50m!」


 斥候が距離を測って報告する。


「まだ、まだ」


「距離25m!!」


 それでも、グラビッツは命令を出さない。


「距離10m!」


 そこで、ようやくグラビッツが命令を下す。


「放て!!」


 オレンジ色の球が次々とサムライに向かっていく。

 当たった瞬間、中から水が出て、サムライ達の頭を濡らす。

 その瞬間、白い煙が上がり、サムライ達が折り重なって倒れていく。

 

 また、時折、当たらずに向かってくるサムライもいたが、足元の聖水に足を取られて、動きが遅くなってしまっていた。

 そこを、近接戦闘が得意な兵士達が殴り倒していく。


「今だ! 全員、縛りあげろ!」


 グラビッツの命で40名のサムライが後ろ手に縛り上げられる。

 

「よし! 後は砦を接収だ」


 イルマ中隊は、監視役を20名ほど残して、砦にゆっくりと近づいていった。



 アリカタは対峙している蛇頭の魔族に向かって、素早く袖にしまっていた式神を放つ。

 放たれた5つの式神は、魔族の周りを飛び回り、見えない糸で縛り付けていた。


「無理ダAAAAAhhhhhh」


 すぐに縛を放つと、アリカタに素早く近づき、毒の牙で噛みつこうとする。

 アリカタはすぐに飛び退くと、火縄で4つの退魔香に火を付けて、部屋の四方に投げつける。

 魔族は大きな口を開けて、頭を振り続ける。


「嫌そうだな」


 魔族は、あざ笑うアリカタを憎々しげに1つ目で見つめる。

 アリカタは全く容赦しなかった。

 

「ノウマク サンマンダ……」


 不動明王の真言を大音声に唱え始める。

 石壁に響いて、真言の言葉の力が高まっていくことを感じる。


「悪霊退散!!」


 ジャラッとジュズが空中で鳴らされると、魔族が膝を地面に着く。

 同時に砦の上から階段を下りてきたサムライ達が破魔矢を放つ。

 ドツンドツンという音をたてながら、魔族の身体に突き刺さっていく。


 さらに、砦の入り口から登ってきたイルマ隊の兵士が、動きの止まっている魔族の頭に聖水をザブリとかける。

 すぐにシュウシュウと肉や鱗が溶ける嫌な匂いが、詰め所に広がっていく。


 魔族は苦しそうに口を開けると、アリカタはその口の中に退魔香を投げ入れる。

 吐き出そうとした魔族の頭を剛力で抱える。


「遠慮すんなよ!」


 といいながら、呪符を取り出し、


急急如律令呪符在禁呪符を用いて直ちに在るを禁じよ


 と、いいながら退魔香を拳で喉の方へ叩き込む。

 そして、素早く魔族から離れると、サムライから破魔矢が斉射され、ハリネズミのようになった魔族はその場に倒れ込んでしまった。

 残っている聖水をさらに頭からかけ、魔族はようやく動かなくなり、身体が崩れていくのだった。

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