第229話 沈黙のナレ砦

 王国歴165年2月20日 朝 ノイエラント 村長室にて――


「レオン様、起きていらっしゃいますか?」


 シノの遠慮がちな声でレオンシュタインは目を覚ます。

 傍らに眠っているティアナを起こさないように、ゆっくりとレオンシュタインは階下に降りていった。

 そこには、ノイエラントの主要メンバーが勢揃いしていた。

 レネが代表して、朝から集まってきた理由を説明する。


「実はサムライの一人から容易ならぬことを聞きました。ナレ砦からやってきた兵士がティアナ殿を襲ったというのです」


 恐るべき報告で、ナレ砦が魔族に占拠されている可能性もある。

 早急に対処しなくてはならない。


「フォルカーさんは?」


 レオンシュタインは詳しい事情を知るフォルカーを目で探すけれども、どこにも彼の姿が見えない。

 横にいたグラビッツが、昨日からずっとベッドの中だと教えてくれる。

 昨日の出来事の詳細をサムライから聞き出し、その場で方針を決定する。


「イルマ中隊はサムライ10名と共に、すぐにナレ砦に赴き、情報収集に努めるように。フォルカーさんが買ってきた封魔香や破魔矢を使ってください」


 イルマは頭を下げると、すぐに近くの第2中隊兵舎に走り出す。

 副官のコンラートは溜息をつきつつ、グラビッツに破魔矢などの場所を確認した後にイルマの後を追う。


「グラビッツ殿、第2中隊の参謀として行ってもらえませんか?」


「勿論です」


 そう返事をすると、グラビッツはなぜか教会の方に走っていってしまった。


 さらに、レオンシュタインは人々の少し奥にいたアリカタに近づいていく。


「アリカタ殿。私どもは魔族との戦い方を知りません。砦に赴き、一緒に戦ってはいただけませんか?」


 アリカタは右手の親指と人差し指で丸を作り、いくらもらえるのかと暗に要求する。


「小金貨5枚(約500万円)でいかがでしょうか?」


 間髪を入れずにレオンシュタインは頼み込む。

 アリカタはあり得ない額に思わず笑ってしまったが、すぐに右手を差し出し、握手を求める。


(おいおい、シキシマにいた頃の2年分の給料を1日で出すとは。裕福なのか、それとも……)


 アリカタも砦に赴くこととなった。


 三日後、イルマの中隊はナレ砦に接近し、まず斥候を出して詳細を確認する。

 不自然なことに、多くの商隊で賑わうこの街道に、人っ子一人、見えないのだ。

 30分ほどで斥候は戻ってきて、砦は不自然なほど静かで、扉も閉められていると報告をする。


 イルマ、グラビッツ、アリカタは、すぐに対応策を話し合うと、アリカタが自分が行ってくると説明をし始める。


「自分の言霊で様子を見る。俺が砦に登り始めたら、退魔香や破魔矢の準備をして砦に来てほしい」


 そう話し、懐になにやら詰め込むと、スタスタと砦に近づいていった。


 歩いて行くアリカタを見送りながら、グラビッツは、5人の部下に背負ってきたものを降ろすように命じる。

 3つの麻袋の中には、オレンジが各50個ほど入っていた。

 2つの麻袋には、50cm程の樽が入っている。


「さあ、お前らオレンジを食え! ただし、スプーンで中身をくり抜くように。中に水をいれるからな!」


 イルマを始め、何の意味があるのか分からず困惑する。


「このオレンジは入れ物だ。聖水を入れて投げつけるんだよ」


 魔族が出る前から、アンドレア神父は依頼を受けて聖水を作り続けていた。

 依頼主は医師のロッジェリオである。

 科学的な見地からも、聖水はただの水よりは清浄であることが分かっている。


 聖水の満ちた50cm四方の樽が3つ置かれていたのを、敬虔なグラビッツは知っていたのだ。

 アンドレア神父から2つの樽をもらってきたというわけだ。


 すぐにオレンジに匂いが街道に広がり、穴が空いたオレンジに聖水が詰められる。

 空いた穴には、ぼろ布で栓がされる。

 木の箱に布を敷き、オレンジが転がらないようにして、150個のオレンジボールが準備される。

 残った聖水は、柄杓から直接かけることにした。


「まあ、弓を射るよりは、まずはこれかな。同じ味方だからな」


 そう言うとグラビッツは砦の方を見つめるのだった。


 アリカタが砦の側に立っても、誰も顔を出さないし、鳥のさえずりか聞こえるくらい静かである。

 アリカタは早速、ジュズを懐から取り出し、ジャラジャラと音を立てる。


 ジュズを握った右手を頭の上に掲げ、『喝!』と一声吼えると、その声は山々に木霊していく。 

 卵ほどの灰色の紙を砦の地面に5カ所埋め込み、左の人差し指と中指の間に10枚ほどの紙を挟んで、口の前に移す。

 目を瞑り集中を高めると、丹田に力を込めて思い切り声を出す。


急急如律令呪符退呪呪符を用いて呪いを直ちに退けよ


 呪符がアリカタの前で燃え、その炎は砦全体を包み込むように燃え上がる。

 しばらくすると、砦の扉をガンガンと叩く音が聞こえ始める。

 アリカタは砦を見上げると、懐から鉄のカギがついた紐を取り出し、砦の上に思い切り投げつける。

 綱を引っ張り、綱が落ちてこないことを確かめると、おもむろに綱をたぐり寄せるように登っていく。


(何といっても、小金貨5枚だしなあ)


 驚異的な速さで綱を登り、あっという間に砦に上がってしまう。

 懐から綱を2本取りだし、近くの鉄の輪に結びつけながら、下に放り投げる。

 遠くからイルマの中隊が接近いているのが確認できる。


「やるなあ。あのボインの姉ちゃん」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、懐から紙を取り出す。


「魔族は滅殺する」


 笑いを収め、鋭い目つきでゆっくりと階段の方へ歩いて行った。

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