第237話 アイシャの喫茶店
王国歴165年3月中旬 朝 新しい喫茶店の前にて――
新春の新年大パーティが終わり、村のみんなが寒さに震えている中、アイシャの喫茶店「
平屋建ての縦4m、横6mの喫茶室+厨房、低いバーカウンターがあり、アイシャが車椅子で移動しながら、コーヒーを提供できる。
厨房もアイシャが車椅子で作業できるよう低く設計されており、洗い物ですら、車椅子で出来るこのキッチンは、やがて注文が殺到することになる。
この建物で特筆すべきは、アイシャが一人で用を足せるトイレだった。
トイレを一人で出来ない辛さは、ディーヴァが痛いほど知っており、目が見えなかった頃の自分を思い出し、試行錯誤を繰り返して完成させたのだ。
使い方を説明されたとき、アイシャは感激のあまり、ディーヴァを思わず抱きしめていた。
「嬢ちゃん、いいってことよ」
照れながら、ディーヴァはアイシャの頭をポンポンと叩く。
また、ディーヴァは不測の事態が起こったときのために、紐を引くと大きな鐘が鳴る仕組みを取り付けていた。
紐が台所とトイレにぶら下げられており、それを引っ張ると鐘がなるようになっている。
その鐘の音は1kmは優に響き渡るようになっていた。
今日は落成記念として、午後の2時に棟梁ディーヴァ、宰相レネ、村長レオンシュタイン、食堂店主ローレ、水道屋オイゲン、ティアナが招待されていた。
勿論、夫のレネも店内で待機していた。
「ようこそ『ミルク娘』へ」
アイシャは笑顔で、招待客を店内に招き入れる。
中に入ると、暖炉に薪がたくさんくべられており、とても暖かい。
全員をカウンターの椅子に座らせ、一般のトイレの場所を説明する。
車椅子を自由自在に操り、案内が終わるとすぐに厨房で準備に取りかかった。
「じゃあ、早速、コーヒーを入れますね」
カウンター席は6人が座れるため、すでに満席である。
その席でみんなはアイシャの手際を優しく見つめるのだった。
コーヒーの入れ方は、1週間ほどローレから手ほどきを受けている。
カウンターに置いてある小さな石臼でゆっくりとコーヒー豆をすり潰し、挽いた粉を水と一緒に小さな3つの鍋に入れる。
アイシャは器用に車椅子を操り、鍋を薪コンロの上に乗せ、スプーンでゆっくりとかき混ぜ続ける。
「このコンロもディーヴァさんに作ってもらったの」
そう言いながら、煮出した鍋の中身と砂糖をカップに入れ、まず、ローレ、レオンシュタイン、レネに提供した。
3人は、そっとコーヒーカップを持ち、一口すする。
「お、美味しい!」
「わあ、良かった」
両手を合わせ、可愛らしくアイシャは喜ぶ。
師匠であるローレからも美味しいよと笑顔でお墨付きが得られて、ご満悦だ。
すぐに、次の準備に取りかかり、ティアナ、オイゲン、ディーヴァにも提供する。
「これ、ローレさんの店と同じくらい美味しいね」
ティアナはアイシャの手際の良さに感心しきりだ。
「嬢ちゃん、たいしたもんだよ」
ディーヴァはあっという間に飲んでしまい、お代わりを注文する。
店内に、コーヒーの香りが広がり、ほっとした空間が出来上がっていた。
「明日のオープンが楽しみだね」
レオンシュタインが感想を述べ、他のメンバー達も口々に楽しみだと話す。
飲み終わると、レネを残して、みんなは仕事に戻っていった。
レネは厨房に入り、アイシャの横に立ち、肩に手を置く。
「アイシャ、大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫! 上手くいって良かったあ」
ほっとした笑顔を見て、レネも笑顔になる。
アイシャはレネの方に顔を向け、嬉しくて堪らないといった声で話しかける。
「ねえ、レネ。この村は本当に夢を叶えてくれる村だねえ。私、毎日、夢じゃないかって、ほっぺたをつねってるの。つねってみる?」
「いや、いいよ。でも、俺も嬉しい。アイシャは今までも生き生きしてたけど、もっともっと元気そうだからな」
今までは二人だけで話すことが多かったアイシャの交流が、大きく広がることにレネは一抹の不安を感じていた。
けれども、アイシャはそれが自分の人生をさらに素晴らしいものにすると確信していた。
二人でずっと話し合い、明日の準備を済ませると、レネはアイシャの車椅子を押しながら、自分たちの家に帰っていくのだった。
翌日、オープンの日、一番最初に花をもってやってきたのはティアナだった。
花束ではなく、植木鉢に植えられた黄色いキバナセツブンソウの花だった。
「アイシャさん、これ、お店に飾って」
「わあ、ティアナさん。ありがとう。綺麗!」
アイシャはすぐにカウンターの目立つところに黄色い花を置く。
ティアナはカウンターの一番奥に座り、早速、コーヒーを注文する。
「アイシャさ~ん。今日も朝からレオンがさ、シノと仲良くしてるから、思わず電撃を出しちゃった」
「あらあら。ティアナちゃん、可哀想。詳しく話して」
「それがさあ」
とにかくアイシャは人の話をよく聞いた。
今まで、たくさんの人と話す機会がなかったアイシャは、話をすることが嬉しくてたまらないのだ。
初日は10人くらいだった客は、1週間もすると100人くらいに拡大した。
お店はいつも大繁盛し、入りきれない客まで出る始末だった。
「ごめんなさい。今、席が埋まってるの」
悲しそうなアイシャの顔を見ると、客は慌ててしまう。
「いいよ、いいよ、アイシャさん。俺、後から来るから、そんな謝らないで」
アイシャがにっこりと微笑むのを確認してから、客は去って行く。
客は少し時間がたってから、再びやってくるのだった。
「アイシャさ~ん、聞いてよ~」
「はいはい。何があったの?」
今日もアイシャの喫茶店『ミルク娘』は大繁盛のようです。
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