第236話 2つの贈り物
王国歴165年3月上旬 夕方 グライフ公爵の城 応接の間にて――
「フリッツ殿、王国の状況を説明する」
ルドルフの表情は暗い。
秘密を要するために、応接の間には二人しかいなかった。
部屋に設置された大暖炉の前がオレンジ色に照らされ、部屋の中を暖めている。
外気温は既に5度を上回り、少しずつ春の訪れを感じられるようになってきた。
暖炉の前に椅子が2脚と小さなテーブルが用意され、テーブルの上には白ワインが用意されていた。
ルドルフに促され、暖炉の前の椅子にそっと腰掛ける。
それを見て、ルドルフも隣に腰掛け、ワインを注いで小さく乾杯をする。
洋なしと微かなシナモンの香りが口の中に広がる。
2人は甘口のモーゼルワインの色と香りを楽しみ、一息に喉の奥に流し込む。
「このような素晴らしいワインを味わった後に、お聞かせする話ではないのですが」
フリッツに、王国の上層部ではヴァルデック領およびクリッペン村へ再侵攻の意図があることを告げる。
「ただ、王国内でも侵攻に賛成しているのは、少数派だということは覚えておいてほしい。気休めかもしれないが」
それでも、王国の実力者に反対派がいることは心強い。
それに、このような情報を教えてくれるだけでも破格の好意なのだ。
フリッツはそのことを忘れてはいなかった。
「いえ、王国の良心ウルリッヒ卿とルドルフ卿が健在であることが分かり、それだけでも来訪した価値があります。また、ルドルフ卿との交流が深まったことは、レオンシュタインにとっても、この上もない喜びとなるでしょう」
フリッツは心からそう思っていた。
笑顔でそれを聞いていたルドルフ卿は互いのグラスにワインを注ぐと、別の話題に移る。
「そうそう。川の港の件ですが、王から許可が出ましたので、いつでも着工してくださってかまいませんよ」
「おお、それは僥倖の極み。ルドルフ卿、本当にありがとうございます」
フリッツはそう言うと、傍らに置いていた箱を開け、中から袋を取り出す。
「これはレオンシュタインからの贈り物です」
ルドルフ卿は一瞬不快そうな表情になるが、袋を受け取り、中を確認する。
中から出てきたのは、数冊の本とクンツの描いた1枚の油絵だった。
フリッツは恐縮しつつ、贈り物の説明を始める。
「……あ、あの、今、村で作っているものは、そんなに日持ちしないので、これがいいだろうとレオンシュタインが申すものですから」
ルドルフ卿は本の中身をざっと読みながら、次第に笑いが込み上げてくる。
港建設の陳情でお礼が本とは型破りだ。
実にユニークな発想に、ついに大笑いをしてしまうルドルフ卿だった。
「いやあ、やはりレオンシュタイン殿は独自の感性をお持ちだ。そう、お金で陳情だなんて、私や父は嫌いだからね。それにしても、本……。しかも旅行記」
笑いが止まらない。
「で、でも、この絵はいいねえ。才能を感じさせる。この少女への愛がよく伝わってくる作品だ。ありがとう、フリッツ卿。贈り物はとても気に入ったとレオンシュタイン殿に伝えてくれ」
恐縮したままのフリッツを尻目に、ルドルフは久々に心から笑うのだった。
翌朝の朝、雨が降りしきる中、フリッツとヤスミンは帰国の途につく。
見送りはルドルフ卿と長男ユリウスが見送りに出る。
「これからも情報交換を行っていきましょう、フリッツ卿」
がっしりと握手をする。
すぐに二人は馬上の人になり、あっという間に姿が見えなくなるのだった。
§
王国歴165年3月上旬 夜 ローレのお店にて―――
「じゃあ、第127回、モ男同盟の飲み会を始めるぞ! プロースト!」
「プロースト!」
ジョッキがガチャンと音を立て、飲み会が始まる。
いつもと同じでざっくばらんな会なのだが、今回は横にレネとその妻アイシャさんが座っている。
アイシャさんは歩けないので、レネさんが背負ってきたのだ。
ケスナーはぐいっとエールを飲み込みながら話す。
「じゃあ、俺から言うわ。レネさん、実は同盟から奥さまへプレゼントがある! 受け取ってもらえるかな?」
一同が立ち上がって、大きな拍手をする。
レネとアイシャさんは、驚きの表情を隠せない。
奥からローレさんが、白いカバーをかけたものを運んでくる。
「じゃあん!」
木工職人のオリバーと時計職人のハラルドが同時に白いカバーをとると、タイヤの付いた椅子が現れる。
「これは車椅子2号機だ! 安定して転ばないし、自分で動けると思う」
「レネさん、早速、アイシャさんに試してもらえると嬉しい!」
ケスナーが笑顔で催促する。
アイシャさんは、口に手を当てて涙を必死でこらえている。
レネも目を赤くしながら、アイシャさんを椅子に腰掛けさせる。
「痛くないかな? アイシャさん」
「うん、全然。いい感じ!」
脚と腰を固定し、椅子の両サイドに付いているタイヤを掴む。
「ゆっくり、タイヤを前に動かすと前に行くよ」
アイシャがタイヤを回すと、思ったよりも軽い力で前に進む。
それは、ハラルドのギアのおかげで、小さな力でもタイヤを回すことができるのだ。
「凄いよ、レネ! 思ったところに簡単に行けちゃうよ」
ローレの店の中を踊るように、くるくると移動していくアイシャの顔が輝いていた。
自由に動けることがこんなに嬉しいなんて思いもしなかった。
「段差に気をつけ……」
そこまで話して、レネは、はっと気がつく。
この建物を作ったのはディーヴァだ。
「レネ! 俺の造る建物の高価な理由が分かったか?」
ニヤニヤしながらディーヴァが話しかける。
レネはディーヴァの手を握り、自分の不明を詫びる。
以前、建物を安く作るように提案したのはレネだった。
「ありがとう、ディーヴァさん。まさか、こんな段差が無いことが……」
「だろ! うちの村の建物は、アイシャさんがどこでも自由に行けるように作ってるよ」
鼻を擦りながらディーヴァは照れてしまう。
レオンシュタインもその様子を嬉しそうに眺めている。
ケスナーもディーヴァの様子を見て感無量になり、努めて大きな声を出す。
「さすがディーヴァだ! 次はアイシャさんの夢を叶えるための建物、頼むぜ!」
「勿論だ。見てろよ、一人でもお店で働けるようにすっからよ」
「プロースト!」
アイシャさんの夢は、小さな喫茶店でコーヒーを入れることなのだ。
そのために、ディーヴァ、ハラルド、オットーが1ヶ月くらい、ああでもないこうでもないと試行錯誤していた。
「凄いですね! さすがハラルドさん、オリバーさんです。脚が悪い人も自由に動ける機械! これは、脚が悪い人は誰でも使えそうですね」
「まあ、そうだな。でも、そんなこと考えてなかったよ。まず、アイシャさんって思ってた!」
ハラルドの話を聞き、アイシャはますます顔が輝く。
この村に来てから、嬉しいことが次々と起こり、毎日笑って過ごしている。
レネは忙しい忙しいとこぼしながら、毎日、嬉しそうにアイシャに起こったことを話している。
ケスナーは、全員にビールをまわし、さらに大きな声を張り上げる。
「誰でも笑顔が、この街のモットーだ! アイシャさんが夢を追いかけられるクリッペン村に乾杯だ!!」
「おう!」
「春の訪れに乾杯!」
その夜は、全員がひたすら笑顔になって、飲んだり食べたりが深夜まで続くのだった。
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