第205話 はじめての体験

 王国歴164年12月5日 午前7時 クリッペン村 ティアナの家にて―――


「ロス、おはよう。朝だよう」


 ティアナがベッドの上で手を伸ばしながら、眠そうに呼びかける。

 寝たのは、ついさっきの気がする。

 夜遅くまで話し続けるというのは、初めての体験だった。

 しかも、同じ年頃の女の子たちが5人もいたのだ。


「おはよう、ティア」


 欠伸をかみ殺しながら、フラプティンナは微笑む。

 それでも、やはり眠い。

 今までは決まった時間に起き、侍女たちに髪や服などを整えてもらっていた。

 でも、今日は自分でやるからと宣言したため、侍女は別の場所で休んでいる。


「ロス。眠いなら寝てていいよ。ほら、イルマやヤスミンも寝てるでしょ」


 横で、寝ている二人は目を覚ます様子がない。

 ただ、シノだけは起きて、朝食を作っているようだ。


「やりたいようにするといいよ」


 そう言うとティアナは、また布団に潜り込んでしまう。

 それを見ていたロスも、布団を頭から被り、枕に顔を押しつけた。

 あっという間に二人に睡魔が襲ってくる。

 

 そっと様子を見に来たシノは、寝室が静けさに包まれることに気付く。


(ご飯はお昼にまわそうかな)


 音を立てずに扉を閉め、とんとんと階段を下りていった。

 ティアナの部屋の中には、太陽の光が優しく差し込んでいた。


 お昼少し前になると、少しずつ部屋に動き出始める。

 最初に目を覚ましたのは、ヤスミンだった。


「……あれ? 私が一番?」


 ベッドからとんと下り、窓の側まで歩いて行く。

 空には青空が広がり、気持ちのよい初夏の昼時だった。

 観音開きの窓を開けると、爽やかな海風が部屋の中に吹き込んでくる。

 ヤスミンは、この匂いが何よりも好きだった。


「……ヤスミン? おはよう」


 イルマがベッドで両手を挙げ、眩しそうに窓の外を眺める。

 昨日は久々にお酒を飲んで大騒ぎだった。

 イルマは、ようやく心の平安を感じることができた1日となった。


「ティア! もう昼だぞ! いつまで寝てんだよ」


 イルマはティアナの布団を剥がす。

 ティアナは身体を丸めたまま、眠ったままだ。


「ほら、ロスも!」


 イルマは姫であっても容赦が無い。

 ロスは驚いた表情で、ベッドの上に起き上がった。


「おはよう、皆さん」


「全然、早くないけどな。おはよう。よく眠れた?」


「ええ、とっても!」


 そう言いながら、髪を整えようとするが、自分では髪をすいたことがほとんど無かった。

 見かねたイルマはフラプティンナの髪をすき始める。


「綺麗な髪だなあ。ライトブルーって初めて見たよ」


 器用に髪を整えながら、イルマは屈託なく話しかける。

 それが新鮮でフラプティンナは口元が緩んでしまう。


「イルマさんの髪も整えて差し上げますよ」


「お、そうか?」


 イルマはフラプティンナと交代して椅子に座り、鏡を見つめる。

 フラプティンナはぎこちなく櫛でイルマの髪をすいていく。


「イルマさん、綺麗な赤ですね」


「そっか? 何だかお淑やかに見えなくてさあ」


 そうは言うけれども、イルマは黙っていれば、剣を持っていなければ、深窓の令嬢と言ってよいほどの美貌をもっていた。

 すらりと伸びた脚と鍛えられた身体だけれども、胸は大きく、フラプティンナは思わず自分と比べてしまう。


「ありがとう。人に髪を触ってもらうのっていいな」


 お礼を言いながら、服装を着替え始める。

 ヤスミンとティアナは既に準備ができていた。

 フラプティンナもティアナの服を借りて、たどたどしく着替えを済ませる。


「じゃあ、食事に行こうか」


 イルマの一言で、一緒に下の台所へ移動していった。


「おはようございます。ロス」


 笑顔でシノが挨拶をする。

 シノは黒髪が似合う、お淑やかな女性で、昨日お風呂の中でフラプティンナは見とれていた。

 漆黒の黒髪と、均整の取れた肢体。

 愁いを帯びた眼差しと、控えめな笑顔は強烈に美を感じさせる。

 優しく微笑む姿は、強く目を引きつけられてしまう。


「さあ、私の作った昼餉をどうぞ召し上がってください」


 すぐにテーブルの上には、パンと野菜のスープ、卵と野菜のサラダが並べられていた。

 飲み物はシノが入れてくれたグリーンティー(緑茶)だった。

 フラプティンナは初めての緑茶に恐る恐る口をつける。


「苦! でも美味しい」


 その後、5人で仲良く、昼食を楽しむのだった。


 午後は、街の中をブラブラと歩くことにする。

 しかし、とにかく5人は目立つ。

 イルマやヤスミン、シノは買い物に来ているため、よく見かけるが、ティアナは仮面を取っているために、みんなは一様に驚いてしまう。

 また、ライトブルーの髪を持つ、見たこともない美少女がその横を歩いているのだから、注目を集めても仕方がないのだった。


 コーヒーショップに入って、好きなコーヒーを注文し、ヤスミンが毒味をしてから、ロスに渡す。

 また。チーズケーキも毒味をしてもらってから食する。

 どちらも、これまで感じたことがないくらい美味しいとフラプティンナは感じる。


 国事ではないたわいもない話でずっと笑顔で話すことができた。

 さっきのお店の人形が可愛いとか、あのシャルロッティさんのお店の服はどれもみんなステキだとか、そんな話ばかりだった。

 相手の歓心をかうために無理に笑顔でいることもなかった。


 §


 フラプティンナは帰国するまで、ずっと5人と一緒に過ごしていた。

 レオンシュタインとバイオリンの練習をするとき意外は、ずっとそうすることに決めていた。

 こんな機会はもう二度とないかもしれない。

 

 ほんのわずかな出来事が、全て輝いて見えるフラプティンナだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る