第202話 村に姫がやってきた
王国歴164年12月3日 昼12時 シュトラント城 大広間にて―――
ヴィフトはその場に残り、フリッツの側に飲み物をもって移動する。
シャンパングラスをフリッツに渡しながら、
「どうです? お金は役に立っていますか」
と、笑顔で尋ねてくる。
フリッツは飲み物を受け取り、軽く頭を下げる。
「おかげで、素晴らしい街ができつつあります。それと、停戦の斡旋もありがとうございました」
「いえいえ、当然のことですよ」
互いに持っていたグラスを胸の高さまで上げ、カチンとぶつけて乾杯する。
フリッツは、この停戦の斡旋も純粋な好意ではないことに気付いていたが、それでもありがたいことには違いない。
「村もようやく落ち着いてきました。ヴィフト卿には、是非村を訪れてほしいものです。勿論、手土産も用意してあります」
「ほう。それは楽しみです。実は姫様も訪問したいと申しておりましたので、訪問させていただきましょう」
§
「本当にここに住んでいるんですね?」
フラプティンナ姫はびっくりしたように周りを見渡す。
丸太小屋も古びており、とても村長の住まいとは思えない。
「フラプティンナ姫、申し訳ありません」
詫びるレオンシュタインを尻目に、フラプティンナはとても楽しそうだ。
「いえいえ。私、いつもお城の中や大きな都市ばかりを見てきました。見たことがないものを見るのは、とても興味深いです。謝るのはやめてください」
笑顔でレオンシュタインを見つめる。
さすがに、その懐の深さはシーグルズル皇帝譲りだった。
「それに、私のレッスンは忘れていませんよね?」
少し目をキッとさせてレオンシュタインに尋ねる。
それも訪問の目的の一つだった。
「あ、はい。普段はここで練習し、最終日に教会で一緒に演奏することになります」
レオンシュタインは、ニコニコしながら答える。
しかし、使節団の警備主任が話に割り込んでくる。
「待ってください。そんな警備の整わない場所に姫をお連れすることはできません。そもそも」
一区切りをした後、警備主任は全員に宣言する。
「今回の私たちの訪問の目的は、バイオリンの師レオンシュタインとの個人レッスンのみです。どこかへ出かけて演奏するなど、もってのほかです」
しごく真っ当な意見に、フリッツたちは二の句が継げない。
フラプティンナも、警備主任の言葉に黙らざるを得ない。
けれども、レオンシュタインは食い下がる。
「ただ、この村で一番音が響くのは、その教会なんです。姫が来ることは告げていませんし、来るとしても村の人たちだけです。それでも、ダメですか」
「ダメです」
取り付く島がなかった。
沈黙がその場を覆った時、バルバトラスが口を開く。
「そういった考えが、王宮と市井の人たちを離してしまうことに気がつかんのか?」
警備主任はバルバトラスに目を向ける。
「あのなあ、シーグルズル皇帝は見聞を広げるためにフラプティンナ姫を派遣したと思うぞ。見聞とは何かね? 安全なガラス箱に入った風景かね。同じような人々との蒸留された会話かね」
「人々がどんな暮らしをしているのか。そして、どんな考えを持っているのかを知ることは、姫様にとって有益だろう。それは完璧な警備の元で知る世界とは違ったものになるだろうな」
そこでバルバトラスは一息をつき、
「世界は美しく、残酷だ。けれども、それを知るものこそ人の上に立つのに相応しい。それができるのは今ではないかね。この地は他よりは安全だ」
バルバトラスの意見を反芻していた警備主任だが、1分ほどの沈黙の後、ヴィフトに目をやる。
ヴィフトはしっかりと頷き、どうぞという手つきになる。
「……分かりました。ただ、私は姫の隣で警戒しますぞ」
自分が警備を万全にしようと思ったのだろう。
「それは、勿論」
バルバトラスも笑顔で頷く。
ようやく話がまとまり、レオンシュタインはほっとしながら、
「では、早速練習に入りましょう。フラプティンナ姫はこちらへ」
と促した。
二人はバイオリンを片手に、すぐに隣の迎賓館へ移動する。
その後を警備主任が離れずについて行った。
残されたバルバトラスとヴィフトは期せずにしてため息をつく。
「ヴィフト殿もご苦労なことですな」
「いえいえ。警備主任の無礼をお許しください。あの御仁は悪い人物ではないのです」
「それは、よく分かります」
二人で顔を見合わせ、軽く笑い合う。
「ではヴィフト殿、一緒にお茶でも飲みませんか?」
「それは嬉しい。ご馳走になりますよ」
そう言うと、二人で奥の応接間へ移っていった。
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