第162話 シノの胸の内

 王国歴164年8月1日 午前9時 シキシマ国ヤマトの町にて―――


 翌日も、その翌日も、レオンシュタインたちは町の中を散策した。

 町の概容はあらかた掴んだレネは、シキシマ国との交易の可能性を考えていた。


(シキシマ国は食べ物の種類が偏っている上、扱っている品物の数がそれほどない。貿易もほとんどないことから通貨も足りていないはずだ。そのため、物の値段が安くなり、人々は貧しさに喘いでいる)


 バルバトラスも、散策から、ある思いをもつに至る。


(シキシマ国では、女性の働き口が少なく、かつ低賃金だ。それに、家父長的な風習も強い。別に各自の国が考えれば良いことだが、突き放すことは『善』と言えるだろうか? 文化的な交流と合わせて、学術的な交流も増やしていくべきではないか?)


 そう考えると、いやいやと頭を振る。

 まずは自分の村で文化的・学術的な学問を隆興させるのが先だと考え直す。

 村に戻ったら大学設立を進言しようと決意したバルバトラスだった。


 散策にはシノが付き従っているため、いつものように自由な意見の交流ができないのを二人はもどかしく思っていた。


(宿は宿で……)


 かなり警戒されているらしく、常に人の気配を感じる。

 滅多なことは言えない二人だった。


 レオンシュタインはレオンシュタインで困ったことになっていた。

 常にシノが側に付き従うため、ティアナとイルマの機嫌が悪い。

 すごく悪い。


 二人が寂しそうな表情を見せるときもあり、レオンシュタインはそれが何よりもつらい。

 けれども、案内役のシノを放っておくこともできない。

 狭間の中で、気疲れしてしまうレオンシュタインだった。


 明日はシキシマ国の長との面談があるため、散策を早めに切り上げる。

 レオンシュタイン一行が宿に入ろうとすると、シノが1つの提案をしてきた。


「レオンシュタイン様はバイオリンの名手と伺いました。実は我が国にもバンブーフルートを嗜む者がおりまして、是非、交流したいと申しております。おいでいただけませんか?」


 シノの誘いにレオンシュタインは喜んで応じる。

 部屋にバイオリンを取りに戻り、その旨をバルバトラスとレネに伝える。

 ティアナとイルマは、すでに温泉に行ってしまっており、レネに伝言を頼んでおく。


 交流の前日だけに、何か謀略をかけてこないとも限らない。

 レネはやや顔を曇らせるが、これまでの様子から危害を加えられる確率は低いと判断する。


「大丈夫……とは思いますが、くれぐれもご用心を」


 レオンシュタインは頷くと、バイオリンケースを抱えたまま、宿の外へと出かけていった。


「我が当主殿は、まだまだ脇が甘い」


「だからこそ、人が付き従うのかもしれませんよ」


 レネとバルバトラスは、窓から出て行くレオンシュタインを眺めながら、帰ってくるまでは酒を飲まずに待つことを決めた。

 ただ、2人はレオンシュタインの行為を悪いとは思っていなかった。


(レオンシュタイン殿がシキシマ国とのつながりを生んでいる。これまで、どの国とも交流を拒んできた国が。その一点だけでも賞賛に値する)


 無事に帰ることを心から祈っている二人だった。


 その頃、レオンシュタインとシノは、格式のありそうな旅籠宿の前にやってきていた。

 シノに促されるまま入ると、他では見られない調度品が目につく。

 螺鈿らでん箪笥たんすや三段重の膳箱、シキシマ風の絵画など、これまでにあまり見たことのないものが多かった。

 豪華なものが溢れており、シキシマ国にも芸術が花開いていることが分かる


「これは……美しいですね。シキシマ国の芸術も素晴らしい」


 レオンシュタインが圧倒されていると、シノが胸から一つの袋を取り出した。

 その中から出てきたのはバンブーフルート(篠笛)だった。


「シノさん、もしかして」


「はい、演奏者は私です」


 そう言うと、レオンシュタインを革の椅子に促し、すぐに演奏に入る。

 まさに流麗。

 音の強弱も美しく、明るく華やかな曲調から祝いの曲であることが分かる。

 月光に照らされたこの一室だけが、別の世界に迷い込んだような気さえする。


 大甲音(高音)も軽やかに演奏するシノの技量は、素人のレオンシュタインにも十分に伝わってきた。

 演奏が終わると、レオンシュタインは感嘆を込めて大きな拍手をする。


「素晴らしい楽器ですね。華やかさの中に、もの悲しさがあり、それが演奏に深みをもたらしています」


 しきりと感心するレオンシュタインを見て、シノはクスリと笑う。


「一緒に演奏してみませんか?」


 シノの提案に、レオンシュタインは答える前にケースからバイオリンを取り出していた。


「では、いきますよ」


 シノが吹き始めたその後で、レオンシュタインがアレンジで音を合わせる。


(えっ? これは)


 シノは初めてとは思えない合奏に動揺する。

 バイオリンはバンブーフルートの音をあくまで引き立てるように、押さえて弾いている。

 それにも関わらず、時折、音に圧倒されそうになる。


(凄い腕前……。というより、こんな演奏は聞いたことがない)


 レオンシュタインが支えるように弾いてくれるため、いつもより美しい音が部屋の中に響き渡る。


(楽しい。こんなに素敵な演奏が即興でできるなんて)


 終わると同時に、シノはレオンシュタインを賞賛する。


「レオンシュタイン様は素晴らしい名手であることが分かりました。このような体験は初めてです」


 心からの笑顔になるシノが眩しい。

 そのあとも、何回か合奏をして、互いの演奏について話し込んでいた。

 時間が過ぎるのが早い。


(えっ。もうこんな時間)


 夜の7時を回っている。

 もう2時間以上、演奏し、話していたことになる。


(本当に楽しかった……)


 けれども、その思いとは裏腹にシノの顔は暗く曇っていた。

 レオンシュタインはそれに気付かず、


「シノさんはどうして、このバンブーフルートを習い始めたのですか」


「それは……私が姫巫女だからです」


 笛をしまいながら、シノは悲しそうに答える。


「姫巫女?」


「それよりもレオンシュタイン様、この宿には町一番の露天風呂がございます。シキシマ国の思い出に入っていかれませんか?」


「ええ、是非!」


 すっかり温泉の虜になったレオンシュタインは、喜んで脱衣所へ向かう。

 それを見ながら、シノは別の部屋へと移っていった。


「これは本当に凄い!」


 目の前には巨大な岩風呂が広がっていた。

 硫黄の匂いが立ちこめる中、こわごわと足を湯の中に入れる。


(あ、熱い!)


 ゆっくりと身体全体を湯の中に入れると、身体の芯から温まってくる気がする。

 ゴツゴツした灰色の岩と周りの松の木の緑がよいコントラストをなしている。

 川を模したカレサンスイという庭が目の前に広がっていた。


 ただ、あまりの熱にそれほど長く入っていられない。

 湯を出ると、近くにある木で囲まれた水風呂に入り、涼をとる。


(これはサウナに近いなあ。最高!)

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