第163話 悲しみの姫巫女
王国歴164年8月1日 午後8時 シキシマ国の旅籠宿 露天温泉にて―――
喜んで風呂を楽しんでいると、入り口に誰かが入ってきた。
(貸し切りじゃ、なかったのか)
急いで湯船に浸かると、ゆっくりとシノが歩いてくる。
申し訳程度の布が身体を隠している。
「ちょ! シノさん!」
するとシノは悲しそうに微笑み、
「ここはコンヨクなんですよ。男女のどちらが入ってもかまわないのです」
そう言うと、かけ湯をして、とぽんと湯船に入ってくる。
シノはシキシマ国で見てきた異性の中でも、別格の美しさをもっていた。
漆黒の黒髪とそれとは真逆の真珠のような白い肌。
そして可憐な顔立ちと薄紅の唇。
瞳も珍しい緑が輝き、一度見たら目を離せなくなる。
レオンシュタインは顔を逸らすと、シノはレオンシュタインの横に腰を近づける。
何とか意識を逸らそうと、とにかく話しかけることにする。
「あ、あの……姫巫女って何ですかね?」
その問いに、シノはますます顔を曇らせる。
「私は出来損ないの姫巫女なのです」
自分の髪を
「出来損ない?」
「はい、私の一族は代々、巫女として予言を
月の光が黒髪を照らし、神々しささえ感じるシノの横顔が悲しくも美しい。
二人ともお湯の熱さを避けるように、石の上に腰掛ける。
「私が授かった力は、天気を詠む力でした。それは、明日が晴れるとか、風がどちらへ吹くとか、そんな単純なことでした。そんなことが分かって何になるのです? 姉は、災いが近づいたり、災害が起きることを予言できるのというのに」
激情が出てしまった後、シノは
「父はこんな私を役立たずと判断し、外交の道具に使うことにしたようです。それが私がここにいる理由です」
つまりはクリッペン村の村長とよしみを得るために、接待役としてシノを派遣したことになる。
その瞬間、レオンシュタインに怒りの表情がわき上がる。
再度、どぼんとお湯の中に入り、シノの方を向く。
「そんなことのために、貴方は私の前にいるのですか? それで貴方は幸せですか?」
「別に私は……。私の価値なんてそんなも……」
全てを言わせず、レオンシュタインは言葉を遮る。
「私は自分に価値がないと言う人が一番嫌いです。それに、貴方がここで私に抱かれたとして、それからどうするのですか?」
「一緒に暮らしていこうと考えています」
「どんな顔で?」
「は?」
「無理矢理抱かれた男の側で、貴方はどんな顔で笑うのですが? 私はそんな悲しい人間を見て暮らすのは真っ平ご免です」
そんなことは考えもしなかった。
無理矢理抱かれ、そのまま奴隷のように暮らすことは、誰も幸せにしないと断言されてしまった。
「わたしは……どうしたらいいんでしょう?」
「とりあえず笑ったらいかがですか?」
意表を突かれシノは何のことだか分からない。
レオンシュタインは表情を緩め、
「実は私……10回連続でお見合いを失敗してるんです。全然もてないんですよ」
頭をかくレオンシュタインを見て、シノは何と言って良いのか分からず、微妙な表情になる。
どうやら気が別の方へそれたようだ。
「でも、女の子と旅をするようになって、仲良くなる機会も増えてきました。でも最近、髪の毛がチリチリに逆立つことが多いんです。ほら、さっきのティアナって子が私に電の魔法を放つのです。他の女の子と仲良くしてるからって」
「えっ?」
戸惑いの表情がシノに浮かぶ。
レオンシュタインは胸の前で手を振り、それを否定する。
「いやいや、仲良くしてないんですよ? それなのに、雷のために頭が鳥の巣みたいになるんです。毎回……」
「まあ」
少しだけシノの表情が緩む。
「で、この前なんか僕にめちゃくちゃ電撃を食らわせた後で、『誰がこんな酷いことを(したんだ?)』って言ったんですよ。信じられます? お前だよ! お前! って言いたいんですけど、私は痺れながら鳥の巣頭ですよ……」
お前だよ! と指差すような仕草のレオンシュタインを見て、シノは口に手を当てながら、ころころと笑ってしまう。
「鳥の巣……頭が……」
それを見て、レオンシュタインはシノの側に寄り、シノの頬をそっと両手で包む。
突然のことにシノは頬を上気させたまま、固まってしまう。
「こんな素敵な笑顔の人に側にいてもらいたいって、みんな思いますよ」
また、やったよ……この男は……。
しばらく間を置いてから、シノは思わずこくんと頷いてしまう。
「ずっと、お側にいさせてください」
その瞬間、レオンシュタインは我に返る。
慌ててシノから離れて、湯船に立つ。
シノもつられたように立ち、少しずつレオンシュタインの側に歩んでいく。
「……いやいや、今のは、笑顔の方がいいよね的なニュアンスで、別に私の側にとかそういう意味じゃなくて」
何を言っているのか分からない。
シノは全裸のまま、レオンシュタインの前で手をもじもじとさせている。
「レオン、それとも貴方? どちらでお呼びすればいいですか?」
「いやいやいや、すごい勘違いしてるから! ね? シノさんに幸せになってほしいから……。その、私の村ではみんなに笑ってもらいたくて……幸せになることが目標で」
「シノは幸せです」
じっとレオンシュタインの目を見つめるシノは、輝くような笑顔だ。
しかも全裸。
レオンシュタインは、すでに息も絶え絶えとなっていた。
「ちが~う! ね!? 違うから! 自分を大事にして! 外交の道具なんかじゃなくて、自分の好きな人と一緒に……ね!」
「シノはレオン様をお慕いしております」
ダメだ。
何を言っても駄目な方に転がってしまう。
こうなったら逃げるしかない。
湯船から石を乗り越えて逃げようとしたレオンシュタインは、長時間湯の中にいたため、目眩を起こしてしまう。
湯から出た後、よろよろとその場にしゃがみ込み、そのまま倒れてしまった。
「レオン様!」
慌ててシノは湯から出て、身体に布を巻き付けると、レオンシュタインを石の上にそっと横たえる。
その後、桶に水を汲み、ゆっくりとレオンシュタインの身体を冷やし始めた。
水で浸した布で頭を拭きながら、レオンシュタインを見つめる。
そして、顔を近づけると、その薄紅色の唇をレオンシュタインの紫色の唇に重ね合わせる。
「レオン様……。ありがとう」
そう言って、もう一度艶やかに微笑むと、浴室を出て、レオンシュタインの介抱をするように申しつけるのだった。
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