第101話 フラプティンナの憂鬱

 王国歴162年12月22日 午前10時 皇帝宮 白薔薇の間にて―――


「では、早速レッスンを始めましょう」


「よろしくお願いします、師匠」


 髪をバンダナで結びながらフラプティンナが答える。

 王宮内で1回目のレッスンがスタートした。


 すぐにでもレッスンを受けたいフラプティンナだったが、警備体制を整えるのに3日という期間が必要だった。

 レッスン会場はこれまでアルトナルと練習していた部屋で、壁には薔薇園の絵画が掛けられ、天井のドームには天使の絵が描かれたフレスコ画が見える。

 窓からは遠くに海が望め、整然とした街並みもずっと並んでいる様子が見える。


 アルトナルは部屋の椅子に座りながら、二人の様子を微笑ましく眺めていた。

 レオンシュタインは、すぐに練習メニューを発表する。


「じゃあ、基本的な音階練習を……」


 そうか、まずは基本に3分程度、取り組むつもりだとアルトナルが考えていると、


「今日は初めてだから1時間やってみようか」


 それを聞き、フラプティンナとアルトナルの両者は驚き、互いに顔を見合わせた。

 いきなり1時間?

 けれども、レオンシュタインはニコニコしながら、自分の練習を始める。

 強烈な音が二人を圧倒する。


 ただの音階練習なのに、演奏であるかのような素晴らしい音色。

 その音色に後押しされるように、フラプティンナは弓を構え、練習を始めた。

 けれども、基本をレオンシュタインほど大事にしていないフラプティンナの音は部屋の中に響かない。


 レオンシュタインは、早速、指導を開始する。


「フラプティンナ様、基本の音が全ての音につながります。一音一音を美しくしていきましょう」


「はい」


 冬とはいえ室内はかなり暖かい。

 ひたすら一音を大切にするレオンシュタインの指導は続く。

 そのため、フラプティンナの額には汗がにじむ。

 基本練習で汗がにじむのは、フラプティンナにとって初めての体験だった。


「レオンシュタイン様、少し休憩してもよろしいでしょうか?」


 30分が経過したところで、フラプティンナから申し出がある。

 アルトナルはハラハラしながら、その様子を見つめていた。

 もっと早く休憩はできなかったのか?


 レオンシュタインはニコニコしながらそれを許可する。

 フラプティンナはホッとしたように弓を下ろす。

 肩と腕がもう上がらない。


 ぐったりしているフラプティンナを横目に、レオンシュタインは自分の練習を始めてしまった。

 このあとピアノのレッスンも控えている。

 バイオリンの腕は落としたくないレオンシュタインは、雑談よりも練習を優先してしまったのだ。


 その様子を見ていたフラプティンナにモヤモヤとした感情が湧いてくる。


(今までの先生方は、私の頑張りを褒めてくださったり、いろんな声がけをしてくださった。けれども、レオンシュタイン様は……)


 雑談もしないまま、自分の練習に取り組んでいる。


(ちょっと不真面目だわ)


 フラプティンナは思うのだ。

 結局、この日は基本の練習をして終了した。


(えっ? これだけ?)


 何か課題の曲など練習するわけでもなく、あっさりと終わってしまった。


「では、次回は基本練習で直すところを教えていきますね」


 ニコニコしているレオンシュタインとは裏腹にフラプティンナの顔は曇っていた。

 つまらないのだ。

 こうして第一回の練習は、フラプティンナがモヤモヤしたまま終了してしまった。


 §


 王国歴162年12月26日 午前10時 皇帝宮 白薔薇の間にて―――


(こんな簡単な練習、いつまで続けるのかしら?)


 2回目もレオンシュタインが王宮に出向いてのレッスンだった。

 

 レオンシュタインはレッスン会場で、演奏で直したら良いところを指摘し、うまくできるように励まし、褒めていた。

 けれども、フラプティンナはつまらないことこの上なかった。


 しかし、レオンシュタインは愚直にただ一音一音を美しく出すことに集中していた。

 同行しているアルトナルには、その素晴らしさがよくわかった。

 この練習によって、フラプティンナの曖昧な音程が直りつつあったからだ。


 また、音の長さについても、同時に練習することができる。

 フラプティンナにとっては、最適な練習だった。

 この前の演奏を聴いて、急遽考えたのだろう。


 レオンシュタインは音に妥協がなかった。

 弓の使い方が悪ければ、優しく指摘し、その矯正を図る。

 なるべく楽しくしようとレオンシュタインは力を尽くしていたが、今までの自由な練習と違って、つまらないであろうことは姫の顔を見るとわかるのだった。


 そのため、レオンシュタインと姫の仲立ちに気を使うアルトナルだった。


「レオンシュタイン様、誰かの曲を練習したりはしないのですか?」


 レオンシュタインは相変わらず笑顔のままで、


「そうですね。では、次の練習から少しずつやってみましょうか」


 そう言うと、また基本練習に戻る。


「ねえ、アルトナル。こんな練習でいいのかしら?」


 帰るときに、フラプティンナが苛立ちを含んだ声で話しかけてきた。

 フラプティンナには珍しいことだった。


「ええ、少しつまらないかもしれませんが、姫様の音色は確実に上達しておりますよ」


 アルトナルは笑顔で答える。

 僅か2回でありながら、フラプティンナの音色は確実に向上していた。

 レオンシュタインが正しい音色をひたすら繰り返すからだ。


 フラプティンナは耳から理解する。

 レオンシュタインはそこまで見抜いていたのだった。


(レオンシュタイン殿。人を見る力は比類ないな)


 ただの演奏家というだけではなく、人を見抜く力までもっている。

 素晴らしい師匠だ。


(私がそれを伝える役目を果たさねば)


 アルトナルはそう思いながら、帰路につくのだった

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