第99話 レオンシュタイン、師匠を見つける

 王国歴162年12月18日 午前9時 音楽院前にて―――


 レオンシュタインがケプラビーク音楽院の門に近づくと、院長が笑顔で出迎えてくれた。


「ようこそ、我が音楽院へ。この前、素晴らしい演奏をされたレオンシュタインさんですね?」


 レオンシュタインは、名高いケプラビーク音楽院に留学できる喜びと感謝を述べる。


「ここではレオンさんと呼ばせていただきます。ところで、レオンさんが学びたいのはどの楽器ですか?」


 レオンシュタインはピアノだと即答する。


「分かりました。我が院の教授の腕前を確かめて、気に入った方のレッスンを受けてください」


 院長はレオンシュタインを先導しながら、ピアノのホールへと移動する。

 防音を施された壁と、装飾が排除されたシンプルな廊下を眺めながら、レオンシュタインはゆっくりと進んでいく。


「教授陣は、会場でお待ちです」


 一介の外国人に、ここまでの優遇は珍しい。

 やはり皇帝や姫からの後押しがあってのことだろう。

 ホールに向かって歩いて行くと、5人の教授が立っているのが見えてきた。


 レオンシュタインは全員と握手を交わすと、早速ピアノを演奏しようとした。

 院長は慌てて、レオンシュタインを止め、教授たちが弾くのだと伝える。


「いいえ、教えていただく方を私が選ぶのは、失礼ではないでしょうか? それよりも、私の演奏に不備を見つけて下さる方にお願いしたいのです」


 院長と教授達に自然と笑顔が浮かぶ。

 レオンシュタインは、まずシェーンベルクのマズルカを弾くことにした。


(これは……)


 院長はその流麗な音色に圧倒され、控えていた教授達も一様に驚愕の表情を見せる。

 そして、全員の頭に1つの疑問が浮かぶ。


(師が必要か?)


 卓越した技術、情感を込めた演奏は、その場を圧倒しつつあった。

 演奏が終わり、指導者が名乗り出ることになっていたのだが、誰も出てこなかった。

 無理もない。

 誰もこれ以上の演奏などできないと思っていたからだ。


 ただ、たった一人、離れた場所にいた男が手を挙げていた。


「あの……。子犬のワルツを弾いてもらえませんか?」


 猫背で50歳前後の黒い長髪の男がゆっくりとレオンシュタインに近づいてくる。

 レオンシュタインが弾き始めると、男は何やらブツブツ言いだし、すぐにストップを命じた。


「レオンシュタインさん、あなたはこの短い演奏で2回も間違い……。所謂、作曲をしています。楽譜を見てください」


 二人で確認すると、確かに楽譜と異なって演奏しているところが2カ所見つかる。


「確かに貴方は途方もない演奏家であると、私は思います。でも、ピアノに触れる時間が少なかったのでしょう。自分流に直してしまう癖があるようです。これから上を目指すのであれば、その癖を直さなくてはなりませんよ」


 その的確なアドバイスに、レオンシュタインは感銘を受けた。


「先生。どうか私にレッスンをしてくださいませんか?」


 レオンシュタインは頭を下げ、心を込めて頼み込んだ。


「分かりました。私はオウリヴェルと言います」


 そう言うと二人は握手を交わし、笑顔になった。

 オウリヴェルは早速、自分の研究室にレオンシュタインをいざなった。


「レオンシュタイン……。言いにくいな。レオンでいいか?」


 ぐっと砕けた感じでオウリヴェルは語りかけてきた。

 ソファーに足を伸ばしながら、ほとんど身体を横たえている。

 こちらが素なのだろう。


「勿論です。師匠!」


「師匠……。響きがいいね」


 似たもの同士の二人だった。

 適度に気が抜けている。


「なあ、レオン。お前、音楽院ではピアノ禁止な!」


「じゃあ、私は何を学びに行くのですか?」

 

 レオンシュタインが困惑したように尋ねる。


「レオン。お前に必要なのは人間の感情にもっと触れることだ。お前は自分の感情だけで音楽を作り出してしまう。それは凄いことだが、いつかは行き詰まる。音楽はお前のために弾くもんじゃねえ。誰かのために弾くもんだ」


 わかったようなわからないような師匠のアドバイスだった。

 それでも、レオンシュタインは師匠の言葉を胸に刻み込む。


「分かりました。たくさんの学友と話をします」


 師匠はニヤッと笑うと、


「そうだ。楽しむことが大事だ。ただ、授業が終わる午後4時からレッスンを始めるからな」


「ええ?」


「まあ、誰かと遊びに行くときは来なくていい。でも、必ずレッスンの埋め合わせはする」


「……うす」


 ということで、今、大講堂に一人で立っているのだった。


「大陸から留学生として来ているレオンシュタインさんです。みなさん、いろいろ教えてあげてくださいね」


 そういうと担当教師はレオンシュタインに自己紹介するように促す。


「ええと、シュトラントから来ましたレオンシュタインです。どうぞ、よろしくお願いします」


 パラパラと拍手が起こり、早速質問が繰り出される。


「レオンさん、得意な楽器は何ですか?」


 レオンシュタインは師匠のアドバイスを思い出す。


「レオン、ピアノやバイオリンができるって絶対に言うなよ。特にバイオリンは、あのコンサートを見ていた奴がいないとも限らない。音楽院じゃあ実家に帰る時期と重なってたから大丈夫と思うがな」


「知られたらまずいですか?」


「ああ、嫉妬だったり、嫌がらせがわんさか来る。それくらい、あのコンサートは衝撃的だったぞ」


 アドバイス通り、無難な答えを返す。


「得意な楽器は、まだないんです。これからいろいろ体験したいです」


 その瞬間、学生達から興味の熱が急激に下がっていった。

 自分のライバルにはなりそうもないという安堵や大した演奏のできない奴だと思われたのだ。

 それに、レオンシュタインはお腹の出た体型と普通の容姿の持ち主のため、恋愛関係の興味も発生しなかった。


「じゃあ、早速授業を始めますよ」


 教師に促され、一番前の席に座るレオンシュタインだった。

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