第97話 皇帝への謁見
王国歴162年12月16日 午前10時 帝王宮 謁見の間にて―――
「昨日は素晴らしい演奏だった。レオンシュタイン殿」
謁見の間で、皇帝シーグルズル七世が称賛の声をあげた。
周りには、国の要職につく大臣や貴族たちがずらりと並ぶ。
これにはレオンシュタインも息を飲んだが、優雅に礼を返す。
「ありがとうございます。過分なるお言葉、恐悦至極にございます」
マナーを守り、顔を上げずに答える。
「マエストロ。この国では下を向きながら話をする風習はない。顔を上げられよ」
すぐにレオンシュタインは顔を上げる。
精悍な皇帝の厳しくも優しい眼差しが目に入る。
「昨日の演奏は激しく私の胸を打った。まさか、一般参加であれほどの演奏を聞けるとは思わなかった。アルトナル、この制度を設けていて本当によかったな」
アルトナルは大きく頷いた。
急遽、皇帝への謁見が決まったのは、皇帝自身の求めによるものらしい。
「それは嬉しく思います。このような機会は
素直に返答するレオンシュタインだが、誰も咎める者はいない。
「ところで、演目になぜオフィーリアを選んだのか?」
素直な言葉で皇帝がレオンシュタインに尋ねる。
「それはヴィットリア王妃へ手向ける花束としてです」
皇帝の顔色が変わる。
レオンシュタインは更に続ける。
「ヴィットリア王妃の叡智・優しさは我が国まで漏れ伝わっております。それに皇帝の愛妻ぶりもです。王妃へのレクイエム、そして皇帝の愛の思い出に、この曲が合っていると判断いたしました」
「皇帝と女王がこの国を隆盛させるまでの苦労は並大抵ではなかったと聞き及んでおります。それを讃える歌は単に明るく華やかであって良いはずがありません。悲しみを乗り越える愛、そしてその尊さを讃える曲でなくてはなりません。それはオフィーリアしか考えられません」
その答えを聞き、皇帝はゆっくりと返答する。
「そうか、あの曲はヴィットリアへ」
「はい」
皇帝は微かに歪んだ景色に気がつくと、すぐに気を取り直そうとしたが、やはり思いが溢れてしまった。
「年をとると、どうにも懐かしい思いが先にくるようだ。見苦しいところを見せて申し訳ない」
「いえ」
二人の話が終わるのを待ち、横に立つ一人の少女が話しかけてきた。
氷河の息吹が伝わってきそうな清々しく柔らかい声の持ち主だ。
「レオンシュタイン様、昨日の演奏は本当に素晴らしく、感銘を受けました。私は自分の演奏を恥ずかしく思いましたわ」
姫君の中でも一際、目立つ可憐な少女。
彼女の立つ場所は光が当たっていないにも関わらず輝いて見える。
彼女は皇帝の次女にして『帝国の白薔薇』と名高いフラプティンナ姫だった。
フラプティンナとは古い言葉で『黒曜石』という意味である。
姫はあっという間に前に進み、躊躇なくレオンシュタインに抱きついた。
ふわっとラベンダーの匂いが鼻腔に入ってくる。
誰も止める者がいない。
「悲劇のオフィーリアを、愛の歌にしてしまうその技量。まさにマエストロですね」
周囲の人たちが動揺しないのは、いつものことなのだろう。
けれども、レオンシュタインは激しく動揺する。
可憐な大国の姫君が、自分の胸の中で微笑むというのは、何となく現実味がない。
それに姫というキーワードに嫌悪感を抱いているレオンシュタインは、そのギャップにも戸惑いを隠せない。
「レオンシュタイン殿、私にもレッスンをしていただけません?」
可愛らしい声で頼むフラプティンナ姫に皇帝が優しく声をかける。
「フラプティンナ。レオンシュタイン殿が困惑しておるではないか」
そう言われ、フラプティンナ姫がはっと我にかえる。
「はしたない真似をして、申し訳ありません」
そっと、レオンシュタインから離れると、フラプティンナ姫は優雅に挨拶をする。
「皇帝シーグルズル七世が次女、フラプティンナと申します。マエストロ」
それを受けて、レオンシュタインはようやく気持ちを落ち着かせる。
「昨日は素敵な演奏でした。フラプティンナ姫。私はレオンシュタイン・フォン・シュトラントと申します」
レオンシュタインも貴族の嗜みとして礼儀を身につけている。
帝族を相手にするに相応しい優雅な挨拶を返すのだった。
皇帝はレオンシュタインに向けて、
「マエストロ。昨日の演奏の礼として味気ないとは思ったが、謝礼を用意させてもらった」
と、いいながら合図を出す。
配下が恭しく持ってきたのは、綺麗な箱だった。
美しい装飾が施されている、特産のソウレイづくりの箱だった。
「心より感謝いたします。陛下」
箱はバルバトラスに手渡された。
その様子を見ていた皇帝は、
「もしや、そちらはポロニウス大学におられたバルバトラス殿では?」
と尋ねる。
「いかにも私はバルバトラスです」
その答えを聞くと、王は納得したように、
「やはりそうでしたか。わが国でもバルバトラス殿の教えを受けたものがおります。我が国によい影響を与えておりますぞ」
と称える。
そして、傍らに控えていた年若い官僚を呼び寄せた。
「ゾーイをここへ」
「はっ」
目の前に現れた青年にバルバトラスは見覚えがあった。
ポロニウス大学で教えていた学生の中でも特に優秀だったのが、このゾーイだった。
「ゾーイくん、久しぶりだな」
「はい、先生にお目にかかれて本当に嬉しく思います」
久々の再会にバルバトラスも嬉しさを隠しきれない。
「それにしても、我が国にこのような巨人が二人も訪れようとは。これは吉兆である。早速、宴を催さなくては」
「はっ」
あっという間に、宴の準備が命令され、夜に城で開催されることが決まった。
レオンシュタインたちは、もう驚きを通り越し、夢なのかと戸惑うばかりだった
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帝国の白薔薇フラプティンナ姫の登場回です。
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