第96話 伝説

王国歴162年12月15日 夕方 ヴィットリア=コンサートホールの演奏会場にて―――


レオンシュタインが会場の入り口に進んでいくと、向こうから司会者の声が聞こえてくる。


「さあ、それでは飛び入り参加のレオンシュタインさんの演奏です。みなさん暖かい拍手をお願いします」


 楽団員が一人一人と中に入っていく。

 最後にコンマスとレオンシュタインの二人だけが残された。


「こんなに演奏が楽しみなのは、バルタザル交響楽団に入団したとき以来です」


笑顔で気持ちを伝えるアルトナルと握手をして、


「素晴らしい演奏になると思いますよ」


と、レオンシュタインは堂々と答える。

 アルトナルとレオンシュタインが入ると、会場の拍手が大きくなった。

 けれども、姫様の演奏の時ほどではなかった。


「何だか、ユラニア大陸から渡ってきた演奏家だって」


「どうせ、それなりでしょ」


 ひそひそと噂をする声があちこちで響く。

 けれども、音楽通の人たちは楽団員の顔つきが先ほどと全く違うことに気がついていた。


「何だか、さっきと雰囲気が違うと思わない?」


「うん。らしくないね。あんなに真剣な顔」


 レオンシュタインが大きく礼をし、指揮者と握手をすると、すぐに演奏が始まった。

 明らかに先ほどとは一音の美しさが違う。

 本気のバルタザル交響楽団は素晴らしいとレオンシュタインは感動する。

 レオンシュタインは暫くその音色の美しさに酔いしれる。


 ついにレオンシュタインの出番がやってきた。

 最初の一音が鳴り響いたとき、会場中が静まりかえる。


(本物だ)


 第一楽章はオフィーリアの最愛の夫アレクサンドロスが出陣する場面だ。

 勇ましくも悲劇を感じさせる演奏に全員固唾を飲む。

 アルトナルは、ともすると置いていかれそうになるファーストバイオリン隊を必死にリードする。


(もっと弾け!)


 目で合図をしながらアルトナルは全力でバイオリンを鳴らす。


(ソリストは天才だ。その天才を支えられるのは……。世界の中でも我がバルタザル交響楽団だけだ!!!)


 その熱が伝染したように、セカンドバイオリン隊も必死に音を奏でている。

 レオンシュタインの指摘に忸怩じくじたる思いを抱いていた団員達は、全てをかけて演奏していた。


(駄目だとは絶対に言わせない!!)


(もし失敗だったら、俺は楽団を辞める!)


 悲愴な覚悟で演奏していたが、若干走りすぎていたため、レオンシュタインがコンマスに合図をする。

 コンマスはすぐに気付いて、セカンドバイオリン隊にペースを落とすよう合図を出す。


 調和がさらに美しくなる。


 第2楽章は、激戦の末に勝利を勝ち取るアレクサンドロスの場面だ。

 ところがオフィーリアの守る本城に別働隊が攻撃を始め、城が落城寸前となる。

 オフィーリアは軍の先頭に立ち、必死に防衛戦を展開する。

 そして、ついに敵を撃退した瞬間、一本の矢がオフィーリアの胸を貫くのだった。


 凱旋したアレクサンドロスは、妻の死が信じられず、その悲しみと狂気が曲の中にあふれ出る。

 それを聴いていた、戦場では無類の強さを発揮する皇帝シーグルズル七世が気持ちを抑えられずにいた。


(ヴィットリア……)


 昨年亡くなった妻の顔が浮かぶ。


(お前は、幸せだったか?)


 激しい後悔が去来し、椅子の手すりをぎゅっと握りしめる。

 戦ばかりで芸術に関することは妻に任せきりだった。

 ゆっくりと一緒に音楽を楽しむことができなかった。

 レオンシュタインの激しいソロは、観客の全ての感情を支配した。


 アレクサンドロスの激しい悲しさが見事に表現され、耐えられず、うつむいてしまう人たちも数多かった。

 それは楽団員たちも同様で、年若い楽団員達は泣きながら必死に演奏していた。


 けれども、第3楽章に入ると、観客は悲しさの中に別の感情が入り込んでいることに気づき始めた。

 激しい悲しさと慟哭どうこくは続くものの、時折感じるこの演奏はなんだろう。


(愛……)


 シーグルズル七世は墓の前で謝っていた自分を思い出した。

 その前で思い出すのは亡き妻の笑顔だった。


(そう、愛か……)


 悲しみはなくなりはしない。

 けれども、愛もまた、生きている者達の中に残り続けていく。

 それは大いなる喜びなのだと。


 最後のソロパートは後の人たちに伝説と呼ばれる演奏となった(それはずっと後のことだけれど)。

 愛は悲しみではなくせない、愛の思い出は永遠に続くのだと高らかに宣言しているようなレオンシュタインのバイオリンだった。


(カチア、これがにいの答えだよ)


 愛の素晴らしさを弦に乗せた演奏はまさに圧巻だった。

 演奏が終わりそうになるころから、観客が一人また一人と立ち上がっていた。

 アルトナルは生涯、その光景を忘れることができなかった。


 演奏が終わった瞬間、ヴィットリアコンサートホールは不気味なくらい静まりかえった。

 立ち上がっていた人たちも黙ったままだった。


「あ、あの……」


 レオンシュタインは、あまりの静けさに戸惑いながら、とにかく挨拶を済ませようとぺこりと頭を下げた。

 その瞬間、ホール中の様子が一変する。轟くような歓声が響き渡る。

 全員がその場に立ち上がり、拍手を続けている。

 それは貴賓席にいる貴族たちや王族も例外ではなかった。

 そしてシーグルズル七世もゆっくりとその場に立ち上がり、拍手を惜しまないのだった。


 楽団員たちも楽器を叩いてレオンシュタインを称えていた。

 アルトナルは立ち上がると、その場で礼をするのも忘れて、レオンシュタインに抱きついていた。

 レオンシュタインは驚いたものの、笑顔でそれに応じるのだった。


 レオンシュタインがその場から立ち去るまで、ずっと万雷の拍手が鳴り響いていた。

 驚くことだけれども、みんなアンコールをすることすら忘れて拍手をしていた。

 それもまた、後の語りぐさとなるのだった。


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 ついにレオンシュタインが主人公らしい活躍を( ノД`)

 素晴らしい音楽が全てを魅了した瞬間なのです。


 〇その瞬間のレオンシュタインのイラストはこちら

 https://kakuyomu.jp/users/shinnwjp0888/news/16817330660882197793


 最後まで読んでくださり、感謝感謝です。

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