第95話 嘘は言えない
王国歴162年12月15日 夕方 コンサートホールの控室にて―――
「
楽団員に怒気が走る。
「おいおい。優しくすれば、つけ上がって」
「身の程知らずが。今からでも辞退しろ」
怒号が飛び交う中、アルトナルが楽団員を制する。
「レオンシュタインさん」
さすがにアルトナルは感情を抑えていたが、不快は隠しようがない。
「どこが足りなかったのですか?」
そうレオンシュタインに尋ねる。
アルトナルは、その理由が的を射ていない場合、演奏をしないと決めていた。
私たちにもプライドがある。
「ん、口で言うのは難しいですね。演奏しながら伝えてもいいですか?」
レオンシュタインの顔が引き締まる。
アルトナルも劇団員に合図をして、先ほどの演奏をスタートさせた。
指揮者がタクトを振るった瞬間、素晴らしい音色が響いた。
(さすがバルタザル交響楽団)
そう思いながらレオンシュタインは自分の出番を待つ。
姫様のパートはすぐにやってきた。
遅れないようにレオンシュタインはバイオリンをかまえる。
(今だ!)
と、オーケストラに合わせてソロパートを弾き始めた。
その瞬間、アルトナルはその超絶した技巧に驚愕する。
(信じられない。この音は、全てを圧倒している)
アルトナルは次第に焦りを覚え始める。
ファーストバイオリンのメンバー達も少しずつそれに気がつく。
栄えあるバルタザル交響楽団がたった一人の音に押されていった。
「そこです!」
レオンシュタインが演奏をやめ、指摘する。
「先ほどの演奏で気になったのはそこです。オケのパートが少し遅れますよね。テンポを楽譜通りにすれば、もっと美しい音色になります」
指摘されたセカンドバイオリン隊の顔が青ざめる。
先ほどの演奏で、王女に会わせて少しだけリズムを遅らせていたことを見抜かれたからだ。
もっと青ざめたのはコンマス(コンサートマスター)のアルトナルだった。
こんなわずかな時間で自分たちの問題点を指摘するとは……まさか。
「レオンシュタインさん。フルネームは?」
「レオンシュタイン・フォン・シュトラントといいます」
アルトナルの端正な顔がゆがむ。
自分は心のどこかで市井のバイオリン弾きには、それなりの演奏でよいと見下してはいなかったか?
自分の目の前にいる男は、エックハルト一門の兄弟子であり、師匠から100年に一人の天才と称されていた男だった。
アルトナルはすっと立ち、厳しい顔つきになる。
「みんな集中が足りない。もっと一音に集中だ!」
楽団員の顔つきが変わる。
コンマスが集中と言うときは、音が響いていない演奏という意味だ。
全力で演奏しろという叱責に等しい。
「レオンシュタインさん、ご指摘をお願いします」
顔つきの変わったアルトナルたちを横目に見ながら、レオンシュタインは指摘を続ける。
「じゃあ、一緒はオフィーリアをやりましょう」
指揮者がタクトを振るが、10秒もしないうちに、
「ストップです。セカンドバイオリン、16分音符がつぶれてます。もう一度」
レオンシュタインの指摘は正確で、楽団員の顔つきがどんどん変わっていく。
その後も、レオンシュタインに指摘され続け、楽団員たちが汗をぬぐう場面が増えてきた。
それでも楽団員たちは必死にレオンシュタインの演奏についていく。
(さすがだなあ)
感心しながら楽団員の様子を眺めていたレオンシュタインだったが、一つ伝えていないことがあったことを思い出した。
「ごめんなさい。ストップです」
すぐに楽団員が演奏をストップする。
顔は真剣そのものだ。
「皆さん、オフィーリアの演奏で観客に何を伝えようと思っていますか?」
楽団員は互いに顔を見合わせる。
「じゃあ、カウリさん」
コンマスの隣で演奏していた顔見知りのカウリに尋ねる。
「やっぱり悲劇だと思います」
レオンシュタインはうんうんと頷きながら、その隣の人たちにも尋ねていく。
ほとんどが悲劇だと伝えていた。
「そうですね。これはオフィーリアの死を悲しむ曲だとみんな思っています。けれども」
みんなは何を言い出すのか分からずに、固唾を飲んで見つめていた。
「この第3楽章のこれらの部分。ここは悲劇とするのは自分は納得できないんです。この楽譜に書かれた数字の3がずっと気になっていました。別の楽譜を見ていて気がついたんです。ここは音を3つ上げるんじゃないかって」
そういってバイオリンを弾く。
「ほら、いろんな部分に明るさや愛しさが出てきますよね。音が上がるんですから。作曲者のエイゼンスキーは生涯で2作品だけ、音を上げても演奏が成り立つ楽譜を作成しています。その2つにも数字が書かれています」
楽団員は驚愕の表情となる。
あの膨大な楽譜を全て調べたというのか?
しかも、その解釈に矛盾はない。
「これは悲劇の曲じゃないんです。悲劇を乗り越えるほどの愛が曲想の後ろに隠されている曲なんです。エイゼンスキーはその素晴らしさを発見して欲しいという願いを込めて、作曲したと思いますよ」
そういってサビの部分を弾き上げる。
その音色の素晴らしさに楽団員達の顔が緩む。
「そう、その顔です。私は観客に、そんな顔をしてもらいたいと思っています。楽譜の変更は私だけです。リラックスしながら、演奏してみませんか?」
楽団員たちは笑顔で大きく頷いている。
聞いたこともない独創的な考えに楽団員たちは圧倒されたが、レオンシュタインの解釈が間違っているとは誰も思わなかった。
その後にアルトナルは続ける。
「新しい解釈で演奏できるとは。演奏家冥利に尽きるな、みんな」
「おう!」
レオンシュタインはニコニコしながらそれを眺めていた。
ちょうど、その時、出番がやってきたことを告げられる。
「もう時間ですね。みなさん、素晴らしい音楽の時間を過ごしましょうね」
レオンシュタインは声を投げかけた。
「はい!」
と答える楽団員の顔にもう馬鹿にしたような表情はなく、むしろマエストロにが答えるような真剣な表情を浮かべていた。
アルトナルは全員に合図をし、会場へ歩き始めるのだった。
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