第83話 運命の歯車
王国歴162年11月8日~14日 コムニッツ公爵領 クラウスの宿にて――
三日間の逗留のはずが、どうしてもと支配人に引き留められ、とうとう1週間の滞在となってしまった。
その間、宿泊費は銅貨1枚もかからなかった。
それどころか、公演1回につき銀貨10枚が支払われた。
レオンシュタインにとって本当にありがたいことだった。
部屋には専属のメイドさんまで付けられていた。
レオンシュタインの世話をするよう言いつけられていたのだが、当然、ティアナやイルマの抵抗にあう。
そのため、ティアナたちの世話をしてもらうことになった。
この1週間、フリッツは情報収集に余念がない。
お菓子を買ってきても良いということを条件に、ヤスミンを街に派遣する。
ヤスミンは馬に乗ることもできるため、街の近くまで移動し、行商人のふりをして情報収集に当たっていた。
ヤスミンは男の服装をしていたため、違和感なく街で活動することができた。
ただ、お菓子を買うときだけは、異様に怪しいオーラを出していたのは否めない。
1週間、毎日のように偵察していたが、辺境伯に関連する出来事や人には、ついぞ出会わなくなった。
「幸せ……」
ヤスミンがひたすらケーキを食べまくる1週間となってしまった。
ついに明日は出発となった夜、支配人は全員を応接室に招いた。
応接室は広々としており、全員が座れる革張りの椅子が置いてある。
壁の戸棚には、バイオリンやフルートなどの楽器が置かれ、暖炉は室内に暖かい色を広げている。
パチパチという燃える音が優しく響く。
「レオンシュタイン様、これから修行の旅を続けるということ。その支援として、私どもから銀貨500枚を援助したいのです」
好意も度がすぎる。
フリッツやバルバトラスは訝しげな表情になる。
逆にレオンシュタインは、その金額に言葉が出ない。
支配人はフリッツたちの様子を見て、説明が必要だと判断する。
「別にお金をばらまくわけではありません。私どもには夢があります。それは、高名な演奏家と交流を持ち、この宿で演奏会を開くことです。そこで、年に2回、レオンシュタイン様に私どもの宿で演奏をしてもらえないでしょうか。演奏ができなくなったとしても、お金を返せとは申しません。まずは5年の契約でいかがでしょう」
5年間で銀貨500枚なら、1年間は銀貨100枚。
1回の公演で銀貨50枚とすれば、常識的な範囲かもしれない。
でも、支配人は次の言葉を付け加えるのを忘れなかった。
「レオンシュタイン様は必ず高名な演奏家となり、気軽に演奏活動もできなくなることでしょう。だから今のうちにつながりを作っておきたいのです」
レオンシュタインは笑顔で支配人に手を差し伸べる。
「ありがとうございます。私はその信頼に応えられるように、腕を磨いていきますね」
がっちりと握手をして、契約が結ばれる。
支配人はきちんと契約書を用意していたため、バルバトラスが内容を確認する。
内容が会話の通りだったため、レオンシュタインは契約書にサインをした。
その契約書を確かめると、支配人は引き出しの中から銀貨の入った袋を3つ取り出す。
それを、レオンシュタインの前に置いた。
「どうぞ、中をあらためてください」
代表してフリッツが中を確かめる。
テーブルの上は銀色の硬貨が積まれ、10枚の束が50個も並べられる。
確かに銀貨500枚が入っていた。
「そうそう、今日までお貸ししていたゼムリンガーのバイオリンですが、今までお使いになっていたバイオリンと交換でいかがでしょう?」
これまた値段が釣り合わない取引に思えるが、支配人は平然としていた。
むしろ、レオンシュタインが使っていたバイオリンに価値を見いだしていた。
「どうかサインをお願いします」
今まで使っていたバイオリンにレオンシュタインはサインをすると、支配人は嬉しそうにそれを受け取る。
「これは、きっと家宝になりますよ」
事実、そうなった。
銀貨500枚の何百倍もの値段が、そのバイオリンに付けられるとは、そこにいる誰もが予想できなかった。
支配人の部屋を出て、レオンシュタインの部屋に全員が集まった。
支配人の部屋で起こったことが現実のことなのか、実感がわかなかった。
けれども、ずしっと重い銀貨の袋が事実であることを告げていた。
レオンシュタインは、これまでの立て替えの分をフリッツとバルバトラスに支払うが、袋にはまだ480枚程度の銀貨が入っていた。
「何もしなくても1年は暮らせる額ですね」
フリッツがため息混じりに話す。
あとは自然と明日からの行動について話になる。
「明日からは、王都を目指して進みましょう。雪の具合が心配です」
そのため、防寒具も購入しなくてはならない。
様々な準備が必要となるだろう。
それでも、みんな明日からの旅が少し楽しみになっていた。
そして、この日を境にレオンシュタインの運命が大きく開けていくことになった。
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