第82話 支配人からの提案
王国歴162年11月7日 夜 宿泊先の食事会場にて――
「レオンシュタイン様、私はこの宿の支配人をしています。クラウスと申します。お目にかかれて光栄です」
身長が高く、聡明な顔つきをした老紳士が手を差し伸べてくる。
レオンシュタインもそれに合わせて、固い握手を交わす。
クラウスは続けて横の老夫人を紹介した。
上品な顔立ちと金髪をもつ、小柄な女性だ。
「これは私の家内ヨハンナです。どうぞ、お見知りおきを」
夫人は風雅に挨拶をし、レオンシュタインもそれを返す。
挨拶がすむとクラウスは早速本題に入る。
「素晴らしいバイオリンの音色ですね。みなさま演奏に夢中で、食事の手が止まっておりましたよ」
「いえ、そんな」
「実は今日、私と妻の結婚記念日なのです。何か1曲弾いてくださいませんか?」
レオンシュタインは笑顔のまま、祝いの言葉を二人に述べる。
そして、バイオリンを構え、音を響かせ始めた。
クラウスにはその曲が何かすぐに分かった。
(これは、愛の隣)
演奏家泣かせの難しい曲だが、レオンシュタインは楽々と弾いている。
二人のために愛を込めて演奏し、幸せな気持ちが会場を包んでいた。
老婦人はハンカチを取り出し、そっと目頭を拭いている。
(間違いない。この方は100年に一人の天才……)
そう確信したクラウスは全てを賭けることを決意する。
ただ、性急にことを運んでは失敗しかねない。
演奏が終わり拍手が響き渡ると、クラウスはレオンシュタインにある提案をした。
「レオンシュタイン様、明日から3日間、ディナーの時に演奏をお願いできますか?勿論、出演代をお支払いしますし、その間の滞在費は全て無料とさせていただきます」
あまりの高待遇にレオンシュタインは恐縮する。
恐縮は消極的なYESだと支配人は自分に言い聞かせ、ここぞとばかりにレオンシュタインに迫る。
「やっていただけるのですね。光栄です。これはうちの宿にとって、とてつもない誉れとなりましょう」
「そんな大げさな」
支配人は興奮で声が大きくなる。
そして、すぐに例のものを持ってくるようにメイドに命じた。
「ところで、レオンシュタイン様は誰かのお弟子さんでしょうか? 演奏にエックハルト様の音色を感じましたが」
エックハルトは支配人と同じコムニッツ出身のバイオリン演奏家でマエストロと呼ばれている。
支配人はかなりの音楽通で、特にエックハルトの大ファンだった。
「はい、エックハルト様は私の師匠です」
「やはり、そうでしたか」
そこにメイドがバイオリンケースを持って現れる。
支配人は笑顔でそれを受け取り、テーブルの上に置く。
年代を感じさせる使い込まれたバイオリンだった。
ただ、塗られているニスは透明感があり、丁寧に作り込まれていることが分かる。
「レオンシュタイン様。明日からの演奏は、このバイオリンをお使いください。ゼムリンガーです」
ゼムリンガーのバイオリンは、かなりの高級品といってよかった。
演奏家の中でも高名なプレイヤーしか持つことができないくらい高価である。
レオンシュタインの目が輝く。
「これがゼムリンガーのバイオリンですか。弾いてみてもいいですか?」
「はは、勿論ですよ」
レオンシュタインは早速、調音し、弓をかまえる。
一音鳴らした瞬間、周りにいた全ての人が音の違いを感じることができた。
先ほどのバイオリンですら素晴らしい音色だったのに、今持っているバイオリンで弾いたら、どれだけの音が奏でられるのだろうか。
是非、聞きたいと会場にいた多くの人が感じていた。
レオンシュタインが曲を弾こうとすると、支配人は恐縮そうにそれを押しとどめた。
「レオンシュタイン様。それは明日の楽しみにしておきませんか?」
レオンシュタインは首肯し、練習しておくことを約束した。
「それでは、またお目にかかりましょう」
そういうと支配人夫婦は去って行った。
その後、すぐに6人は顔を見合わせる。
「すごいね、レオン。いつの間にか、ファンができちゃったね」
ティアナが屈託無く褒める。
フリッツやバルバトラスも祝福の言葉を述べる。
レオンシュタインは恐縮しながらも、思っていることをみんなに伝えた。
「認めてくれる人がいるのは嬉しい。それ以上に嬉しいのは、自分がお金を稼げるようになったってこと。それができれば、誰かを助けることができるからね。今までは、助けられてばかりだったから」
イルマはその言葉を否定する。
「主、悪い癖だ! 自分が悪いみたいに言うなよ」
イルマの不器用な優しさに、レオンシュタインは感謝する。
フリッツは、食後の飲み物を注文し、とりあえず今の段階で決まっていることをまとめてみた。
「まずは、3日間は料金が発生しないこと、レオンさんが夕食後にバイオリンを弾くこと、出発が少し遅れそうだということ、ですね」
ヤスミンは続けて、
「偵察は毎日必要!」
と言葉少なに述べる。
フリッツはそれに同意する。
「にしても、兄ちゃんのバイオリンは凄えって、気付いていた俺も凄いよな」
バルバトラスが妙な褒め方をする。
でも、レオンシュタインのバイオリンが褒められて嬉しいのは伝わってくる。
「それに、3日間もお風呂入り放題!」
「サウナ!!」
全員が右手を挙げて雄叫びを上げる。
「お静かに!」
給仕がテーブルに駆けつけてくる。
それに笑顔で謝罪しながら、みんな自分の部屋に戻るのだった。
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