第76話 お手柄ヤスミン

「お前のファーストキスは、私の手」


 ヤスミンの手のひらがティアナの口に当てられ、逆の手の甲にはゲオルフの口が押しつけられていた。


「何だ!?」


「汚い」


 そう叫んだヤスミンは、ゲオルフの後頭部をダガーの柄で殴りつける。

 ゲオルフは何も言わずにその場に倒れ込んだ。

 ヤスミンの魔法『影足』は誰にも気付かれなかった。


「レオン!」


 レオンシュタインの側に急いで駆けつけたティアナは、泣きながらレオンシュタインの胸に頭を擦りつけていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。レオン!」

 

 号泣という表現が相応しいくらい、おんおん泣いている。

 無事な右手を使い、レオンシュタインはティアナの頭を優しく撫でていた。


「ぐはははは!」


 その瞬間、どかんという音がホールに響き渡る。

 弓をかまえていた衛兵と執事が、バルバトラスの棍棒でなぎ倒されていた。


「全く野暮な奴らだ。人の恋路を邪魔するとは」


 そう言うとレオンシュタインたちの側に寄り、むんずと二人を両脇に抱えてしまう。

 周囲を警戒しつつ、ヤスミンは「マスター。すぐ逃げた方がいい」と進言する。

 見ると衛兵が集まりつつあった。


「その通りだ。行くぞ!」


 バルバトラスの言葉と同時に、レオンシュタイン一行は中ホールを駆け抜け、大ホールの出口に向かって走る。


「逃がすな! 4人とも捕まえろ!」


 衛兵たちが口々に叫び、4人に近寄ってくる。


「嬢ちゃん。頼むぞ!」


 ヤスミンは無言で、先ほど集めておいた果物ナイフを投げつける。

 そのナイフは正確に衛兵の手に当たり、持っていた武器が落ちる音が響く。


「前に3人!」


 バルバトラスが走りながら告げる。


「分かってる」


 ヤスミンの影が揺らめいたと思った瞬間、2人の肩が切られていた。

 そして、残る1人が剣を振り上げた瞬間、バルバトラスが右足で男を蹴り飛ばした。

 鈍い音がして、3mほど後ろにふっ飛ぶ。


 そのとき、大ホールの端から大きな声が響き渡った。


「みんな、逃げろ! ヘレンシュタイクが攻めてきたぞ!」


「きゃああああ!」


「出口はどこだ?」


 大ホールは一瞬でパニックとなり、みんな、出口に向かって殺到する。


「皆様! 落ち着いてください!」


 目を覚ました執事が声を張り上げるが、もはや誰の耳にも届かない。

 みんな出口に向かって殺到している。

 執事は落ち着かせることを諦め、別の指示を出す。  


「衛兵! 招待客に怪我がないよう誘導せよ!」


「はっ!!」


 バルバトラスがあっけにとられて室内を眺めていると、後ろから服の裾を引っ張られる。


「フリッツ!」


 フリッツは口に指を当てたまま、皆が殺到している入口とは反対の窓に誘導する。

 レオンシュタインとティアナを降ろしたバルバトラスは、自分で歩けと言い放つ。

 ティアナはずっと泣きっぱなしのままだ。


「いやあ、肩がこったな!」


 肩をぐるぐると回すと、ゴキゴキと音がした。

 柱の後ろに隠れているヤスミンは、警戒を緩めない。

 抱えられていたため、レオンシュタインは言葉をすぐに発することができなかったが、何度も深く呼吸をし、ようやくお礼の言葉を口にする。

 ようやく泣き止んだティアナは、ぐったりとその場に座り込んでいた。


「ま、良かった。良かった。ぐはははは」


 いつものように豪快な笑いを響かせるバルバトラスを、フリッツは慌てたように黙らせる。

 そして、声を出さないまま、ここから外に出られると指で示す。

 その窓を乗り越えて庭に走り出ると、目の前にイルマが立っていた。


「主、こっちだ」


 馬車の待機場所は、人々の怒鳴り声が響き、収拾がつかないほど混乱していた。

 イルマはそれを避け、ひっそりとした林に誘導する。

 茂みの奥にフリッツの馬車が待機していた。


 フリッツはすぐに全員の無事を確認する。

 レオンシュタインが負傷しているため、レオンシュタインとティアナを馬車に乗せ、他の者は馬車の近くを走るよう提案した。


「現在、城は大混乱です。それに乗じて辺境伯領から脱出しましょう」


 ガラガラと音を立てて馬車は夜道を疾走し、その横をイルマ、ヤスミン、バルバトラスが走りながらついてくる。


「暗くて道がわかりにくい。嬢ちゃん、灯りは無いか」


 軽口を叩くバルバトラスだが、大立ち回りの上に深夜の逃走劇は、高齢のバルバトラスには酷過ぎた。

 その様子を冷静に眺めながらも、フリッツは馬車を止めることはできなかった。


(ここで馬車を止めると、衛兵に発見される可能性がある)


 祈るようにバルバトラスを見つめるフリッツは、そのまま馬車を走らせ続けた。


 荷台の中でティアナは再び泣き始め、レオンシュタインが何を言っても顔を振るだけだった。

 レオンシュタインは右手で落ち着かせるように、ティアナの頬を触る。


「ティア。その衣装、すごく似合ってた。本当だよ」


 揺れる馬車の中で、レオンシュタインはずっとティアナの頬を撫で、涙が止まるようにずっと話しかけていた。

 そのレオンシュタインの左手を、ティアナはずっとさすっていた。


「レオン、私のせいで……」


 泣きながらティアナは答えると、レオンシュタインは少し怒ったような声を出す。


「肩は大丈夫。ティアのせいじゃない!」


 はっとティアナはレオンシュタインを見つめ直す。


「やっと、こっちを見てくれたね。ティア、大丈夫!」


 すると,ティアナは思い詰めたように


「私、レオンに何かあったら……。怖くて怖くて……」


 と、抱きついてきた。

 ずっと頬を撫で続けていたレオンシュタインに、ティアナが顔を近づけてくる。

 ティアナの唇がレオンシュタインの唇に近づく様子を、誰かがじっと見つめていた。


 ヤスミンだ。

 ヤスミンはイルマに中の様子を見てこいと厳命されたらしい。


「……続きをどうぞ」


「できるか!!」


 すると馬車の後ろから大きな声が聞こえてくる。


「こんな重大事に何をしてんの? 余裕だねえ」


 ニヤニヤしながら尋ねてくるイルマに向かって、ティアナは真っ赤になりながら、何でもないとプンプンしながら答える。

 フリッツとバルバトラスは苦笑しながらも、優しい目で二人を見つめていた。


 そうこうしているうちに、ディベルツへ抜ける城門が見えてきたのだった。

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