第73話 暗雲

 王国歴162年11月4日 朝7時頃 レーエンスベルク領 宿屋にて――


 翌日の朝、朝食は和やかな雰囲気に包まれていた。

 とりあえずドレスが準備でき、パーティーに参加できる目処がたったからだ。

 レオンシュタインはピアノが久しぶりに弾けると浮かれていた。


「で、今日はどうすんだ?」


 バルバトラスは林檎に手を伸ばし、小気味よい音を立てながら咀嚼する。

 レオンシュタインは特に何も決まっていない旨を話す。

 別にパーティーを組んでいるわけでもないのだけれど、いつの間にかレオンシュタインがリーダーのようになっていた。


「私は、旅行の準備や馬の世話をしたいですね。1日中、出かけていると思います」


 フリッツはいつものようにゆったりと話す。

 バルバトラスは林檎の芯を皿に放り投げながら、もう1つに手を伸ばす。


「儂は観光だな。山と湖が綺麗そうだしな」

 

 レオンシュタインはティアナと一緒にバイオリンの練習、イルマとヤスミンは近接戦闘の訓練をすることになった。

 イルマはレオンシュタインの護衛が気になったため、訓練をレオンシュタインの近くで行うと宣言する。


「そんな街中で戦闘訓練なんて、迷惑じゃない?」


 ティアナは主張するがイルマは譲らない。


「この町は見た感じ物騒だぞ、ティアナ。邪魔にならないようにするからさ」


「邪魔なんて……。そ、そ、そんなこと、ないけど」


 結局、イルマの主張が通る。

 その間、ヤスミンはテーブルの上のケーキに興味津々だった。


 フリッツとバルバトラスは食事が済んだ後、すぐに出かけていった。

 レオンシュタインたちも、それに続く形で宿を出る。

 空は曇り空で、11月の肌寒さを感じる。

 秋も深まり、山の木々が黄色に変化してきているのが分かる。


 シュヴァンガウの街並みは、国境に近いため華やかさよりは重厚さを感じさせる。

 城門も高く、バリスタも数多く設置されている。

 ただ、近くにある湖と岩山の景観が有名で観光客も多かった。


 レオンシュタインは景色を眺めながら、近くの湖まで移動する。

 湖の岸には石が並べられており、水辺の境目をはっきりとしたものにしている。

 鴨の親子が緑の芝生を歩いている様子を見て、4人は自然と笑顔になる。

 無言のまま、しばらく湖と山々のコントラストを楽しんでいた。


 観光客がいなくなった辺りで、レオンシュタインはバイオリンを取り出し、湖に向かって弾きだした。

 風が無く鏡のような湖面に白鳥が逆V字の波紋を立てながら泳いでいる。

 ティアナは、その波紋がまるでレオンシュタインのバイオリンによってつくり出されたような気がするのだった。


「それじゃ、どっからでもかかってきて」


 近くでは、イルマとヤスミンの戦闘訓練が始まっていた。

 木剣を使っているのだが、当たれば怪我は免れない。

 それなのに、剣の早さはいつも通りなのだ。

 ティアナが見ている限り、ヤスミンはイルマにあしらわれていた。


「本気、だせ!」


 ヤスミンは憤るがイルマは涼しい顔だ。

 剣の早さはヤスミンの方が早いかもしれないが、イルマはそれを全て払いのけた上で、ヤスミンを攻撃する。

 ぴたっとヤスミンの首にイルマの木剣が当てられる。

 何度やっても、ヤスミンの剣はイルマに届かなかった。


 正攻法ではかなわないと悟ったヤスミンは、投げナイフに見立てた棒をイルマに投げつける。

 喉と腕を狙っていたのだが、こちらもあっさりと防がれてしまう。


「ヤスミン。飛び道具の威力は低いよ。まずはダガーの腕を上げな!」


 こうして、二人はずっと練習(とういうより稽古)を続けたのだった。


 お昼過ぎにはバイオリンの練習も終わり、レオンシュタイン一行は街を見て回ることになった。

 ソーセージとフライドポテトを購入し、湖が綺麗に見える公園まで足を伸ばす。

 遠くの山々の峻厳さと、近くの岩山の対比が美しい。

 緑の木々と湖の青さもそれに彩りを添えるのだった。


「ソーセージはリンベルクの方が美味しいわね」


 ティアナは冷静に味の分析をする。

 元メイドとして、そこは譲れないのだろう。

 イルマとヤスミンはひたすらフライドポテトを口に放り込んでいる。 

 レオンシュタインは特にこだわりも無く、ソーセージにかぶりつく。

 確かに肉汁の量が少なく、ぱさぱさとした食感だった。


 食事の間、周りから聞こえてきたのは、隣国ヘレンシュタイク公国が侵攻してくるとの噂だった。

 しかも、今回は進入の規模がかなり大きいらしい。

 辺境伯はその隣国との戦いに明け暮れ、そのために重税を課している。

 戦は自分たちの生活に悪影響を及ぼすため、街の人々が気にするのも無理はない。

 

 結局、物騒な気配を感じ、観光もそこそこに15時頃には宿に戻る。

 宿ではさらに多くの噂が広がっており、辺境伯自身が前線視察に行くことが決定したというのが最新の情報になっていた。

 17時過ぎにはフリッツとバルバトラスも戻ってきて、すぐに夕食のテーブルにつく。


「いやあ、辺境伯が出陣とは物騒ですね」


 フリッツが掴んできた事実を述べる。

 辺境伯の出陣は事実だが、敵国の侵入は噂に過ぎないようだ。

 フリッツは薄い味のスープをすすり、自分の分析を述べる。


「おそらくゲオルフ卿のパーティーを中止にさせたくなかったのでしょう」


 辺境伯が次男を偏愛しているのは周知の事実である。

 長男は境界の砦に駐屯していることが多く、辺境伯は次男と共にホーエンシュヴァンガウ城にいることが多い。

 ただ、庶民の間では長男の人気が高く、辺境伯家の次期当主になってほしいという声がよく聞かれた。

 どの貴族にも闇はあるものだとレオンシュタインは軽くため息をつく。


「おそらく明日のパーティーはゲオルフ卿の人脈作りのために開かれるのでしょう。ただ、好色で有名なゲオルフ卿には注意した方がいいですね」


 フリッツは注意を促す。

 バルバトラスもそれに同意する。


「メイドとして雇用し、そのまま愛人として囲ってしまう例がありすぎるからな」


 ティアナがそっとレオンシュタインの側に寄る。

 内心の不安は隠しようもない。


「側室という名も都合よく使われ、実際は夜の相手ばかりという方も……」


 そこまで話して、フリッツは女性の前でするべき会話では無かったことに気づき、謝罪する。

 気を取り直すために、固いパンの一切れをつまみ、スープに浸す。

 そこで、レオンシュタインが結論を述べた。


「失礼の無いようにパーティーへは参加するけど、なるべく短時間で帰ってくるようにしよう」


 せっかくのパーティーを楽しめなくなりそうだが、ピアノを弾いたらすぐに帰ろうと決意するレオンシュタインだった。

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