第65話 レクイエムそして再会

 カチヤとはレオンシュタインの妹の名前だ。

 栗色の髪に黒い瞳をもつ可愛らしさが評判の女の子で、伯爵家で唯一、レオンシュタインの味方だった。


 伯爵家で大切に育てられていたと過去形で話すのは、2年前に流行はやり病で亡くなってしまったからだ。

 その時のレオンシュタインの悲しみ方は尋常ではなく、しばらく側に寄るのも怖いくらいだったとティアナは記憶していた。

 カチヤが生前、レオンシュタインのそばを離れなかったように、レオンシュタインもずっとカチヤのそばを離れなかった。

 レオンシュタインのバイオリンの才能に気づいていた1人だった。


 女の子が走り去っていった街の広場で、レオンシュタインは黙ってバイオリンを取り出すと、静かに優しく弾きだした。

 カチヤが亡くなったあとに作曲したレクイエムだった。

 木組みの家の壁に音が沁み込んでいくように、悲しく、優しく音が流れていく。


 夕暮れの街の空に輝く星が少しずつ増え、1日が終わる寂しさがより強く胸に迫る


 ディベルツの街の人たちは、その美しい調べに惹かれ、レオンシュタインを遠巻きに眺めている。

 それを全く気にすることなく、レオンシュタインの演奏は続いていく。

 喪失の悲しみの中に、天国で安らかにという祈りを込めている。


「しょうがないな。また、宿屋か食堂で働こうかな」


 曲を弾き終えたとき、ティアナがレオンシュタインに提案する。

 バイオリンを丁寧にしまい込みながら、レオンシュタインは感謝の意を伝える。

 と、何かに気づいたレオンシュタインが大きな声を出す。


「ティア! ケースに銀貨が1枚入ってました!」


「え! ラッキーだね」


 するとレオンシュタインがまじめな顔で、


「ほら。何とか、なったね」


 と言ってきた。

 いやいや、それは違うと言いたかったティアナだが、本当にそうかもと思い直す。

 天国からカチヤ様が届けてくれたと考えることで、すべて丸く収まりそうだった。


「フリッツさんの支払いをどうしよう」


「ひたすら頼み込んだら?」


 そんな二人を遠くで見守る小さな影があった。

 でも、二人はそれに気がつかず、影は石畳の上を走っていった。

 いい考えは浮かんでこないが、まずは休みたい。

 宿屋に戻り、夕食もそこそこにすぐに寝てしまう2人だった。


 翌朝、いい考えは浮かんでこなかった。

 正直者のレオンシュタインは、フリッツになかなか言い出せない。

 食堂では、いつもと違いしんとした朝食になる。


「レオンさん、昨日、何かあったのですか?」


 レオンシュタインはティアナと目を合わせるものの、何と答えて良いのか分からない。

 口の中で言葉を濁し、そのまま食事を終わらせてしまった。

 フリッツは訝しげにレオンシュタインを見つめていたが、あえて理由を聞かずに雑談へと会話を切り替える。


 結局、今日1日はそれぞれが自由に過ごすことに決まり、レオンシュタインとティアナは連れだって街に行くことにした。

 護衛役のイルマは同行を提案したが、レオンシュタインがやんわりと断る。


「イルマ、ごめん。今日はティアナに護衛をしてもらうから」


 イルマは寂しそうな表情でレオンシュタインに訴える。


「主。私は主の力になれないか?」


「いや! そんなことない! ……ただ、今日はごめん」


 イルマは薄く笑うと、レオンシュタインを後ろから抱きしめ、


「主、相談してくれるのを待ってるよ」


 と優しく話す。

 レオンシュタインは抱かれたまま、ただ繰り返し謝っていた。

 ティアナはイルマのスキンシップにイラっとしたが、心の中の心配が大きく、黙って立っていた。

 イルマはその様子を不思議そうに見つめるのだった。


 レオンシュタインとティアナは宿を逃げるように走り出る。

 街の中央市場に来ると、昨日の銀貨で林檎を2つ買う。

 互いに1つずつ手に持ちながら、空いているベンチを見つけ座り込む。


「ティア。やっぱり言えなかったよ」


「うん」


 ティアナも何と答えたらいいのか分からない。

 しばらく林檎を囓りながら二人はぼんやりと市場を見ていた。

 何分たったろうか。

 突然、昨日の少女が目の前に現れる。

 頭から顔にかけて薄い青のターバンを巻き、薄い茶色の旅装を身につけている。

 

「お前を追ってきた。心配」


 ティアナとレオンシュタインは顔を見つめる。

 レオンシュタインは気になっていた弟の病状について尋ねる。

 少女は峠を越えたことを説明し、感謝の意を伝えてきた。

 レオンシュタインは微笑み、心から喜ぶ。


 また、少女はもらった金貨で、弟を救護院に入れたと話してくれた。

 今まで住んでいた場所では、清潔さが足りないと言われていたらしい。

 そのため、3年間、療養することに決め、貰った金貨を全て渡したとのことだった。


 その後、盗んだ袋を背中のザックから取り出し、黙ってレオンシュタインに差し出した。

 レオンシュタインは頷きながらそれを受け取り、優しい眼差しで少女を見つめる。

 すると、少女は頭のターバンを後ろにはね除けて、姿勢を正す。


「本当に、ごめんなさい」

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