第64話 少女に同情して、お金を全部あげちゃった

 王国歴162年10月19日 8時を少し過ぎた頃 教会の宿舎にて―――


 馬たちの休養が終わり、ついにレーエンスベルク辺境伯領に向けて出発する日になった。

 王都までは、レオンシュタイン、ティアナ、イルマ、フリッツ、バルバトラスの5人が一緒に行くことに決まっている。

 ケイトは出発を見送り、一行が見えなくなるまで手を振っているのだった。


 全員が荷台に乗ると馬が長距離を歩けないというフリッツの申し立てにより、交代で馬車に乗ることが決定する。

 フリッツの馬車は人間の歩くスピードとほとんど同じだったから、移動に問題はない。

 一人で歩くのは寂しいという意見が多く、2人で歩くことになった。


 エイムハウゼンの門を通り抜けると、見渡す限り低くなだらかな茶色の丘が広がっていた。

 手前に見える緑の牧草地が、美しいモザイク模様を織りなしていた。

 ただ、レオンシュタインはその景色の中に一抹の寂しさを感じていた。

 壊れた柵や曲がった厩舎の入り口が、ずっと放置されている。


 レーエンスベルク辺境伯領までは3日の行程で、その間には泊まれるような宿がなかった。

 そのため、レーエンスベルク辺境伯領とコムニッツ公爵領の境界にあるディベルツに着くまでは、2日間、野宿となった。

 それでも、フリッツの馬車のおかげで、みんなは快適に過ごすことができたのだった。


 ディベルツの人口は少ないが、旅の必需品を揃えるための店は立ち並んでいた。

 パン屋や居酒屋は店舗で営業していたが、市場は片手で数えるくらいのお店しか開いていなかった。

 レオンシュタイン一行は市場を眺めながら、まだ明るい16時頃に目指していた宿屋にたどり着く。


 フリッツが以前に利用したという宿は、厩舎の設備が整えられていた。

 馬には優しいけれど、人間の料金は一人銀貨3枚と割高な設定だ。

 レオンシュタインが5人分の銀貨15枚を支払おうとすると、フリッツとバルバトラスはそれを押しとどめる。


「兄ちゃん、自分の分は自分で払う」


「レオンさん、私も同様です」


 レオンシュタインはお礼を言い、宿代として銀貨9枚を支払った。

 宿を使うと、お金の減りが早く、二人の気遣いに改めて感謝する


 夕食前に街を詳しく探索しようとレオンシュタインは提案するが、賛同したのはティアナだけだった。

 フリッツとバルバトラスは少し休みたいと部屋に籠もってしまう。

 イルマは部屋の周りを確かめることに余念がなかった。


 レオンシュタインとティアナは、荷物を置くとディベルツの中心街へと急ぐ。

 店は少なかったが、新鮮な果物はいくつか売られていた。

 ディベルツ産の林檎の味を確かめたくなったレオンシュタインは、財布を取り出して2つ購入しようとした。


 その瞬間、街の広場にあった露天商の1つから黒い煙が立ちのぼる。

 ティアナとレオンシュタインがそちらに気を取られていると、誰かがレオンシュタインにぶつかってきた。


「ごめんなさい」


 フードを深くかぶった少女が謝罪し、すぐにその場を立ち去ろうとする。

 レオンシュタインは手元から財布がなくなっていることに気付いた。


「財布がない!」


 その瞬間、ティアナが詠唱を始める。


雷の矢ブリッツ!」


 泥棒の少女めがけて、魔法の矢が飛んでいく。

 少女は足を矢で貫かれ、広場に立ち尽くしている。

 褐色で年の頃は15歳ほどに見えるが、もっと上かもしれない。

 レオンシュタインが少し離れた場所から、少女に語りかける。


「君はお金が欲しいのか?」


 少女は黙って頷く。


「なぜだ? 人から財布を奪い、相手を不幸にしてまで金が欲しいのか?」


 非難するレオンシュタインを少女はじっと見つめていた。

 そして、ぽつりと『薬』と話す。

 弟が病気のため、薬を買うお金が必要なのだと、辿々たどたどしく訳を話し始める。

 それを聞いていたレオンシュタインの表情が険しくなる。


「何! 弟が病気? だったら」


 レオンシュタインは首にぶら下げていた財布を、少女に放り投げた。

 少女の目の前に袋が落ち、ジャラッという音が響く。

 ティアナは信じられない光景に呆然としていた。


「それも使って」


 それを聞いたティアナの怒りが爆発する。


「ちょっと本気? レオン!」


「命がかかってるなら仕方ない」


「仕方なくないよ。私たちだって食べないと!」


 けれども、レオンシュタインは抗議を聞き入れない。


「足りるかい? それは僕が持っている全てだ」


 少女が袋の中を見てびっくりする。

 お金が金色の光を放っていた。


「金貨!?」


 その言葉を聞き、ティアナはレオンシュタインを問い詰める。


「ちょっと。レオン! 金貨なんてどうしたの?」


「いや、あれは」


 言い争いをしている2人をよそに、少女はどうしたら良いのか逡巡している。

 けれども、やがて意を決し、きっぱりと返事をした。


「足りる」


「じゃあ良かった。早く弟を助けてやりなよ」


「そうする」


 そのまま少女は走り去ってしまった。

 レオンシュタインはそれを爽やかな顔で見送っている。

 冷ややかに見つめるティアナとは好対照だ。


「レオン、どういうつもり?」


 ティアナの目に稲妻が走っている。

 所持金はほんのわずかになってしまい、馬車に乗せてもらうこともできない。


「放っておけない」


「いいえ。私たちは人に恵むほどお金はありません」


 きっぱりとティアナは話す。

 明日からの不安が胸の中に広がってきた。

 けれども、レオンシュタインはそれを否定する。


「お金はいつか何とかなる。でも、命は一度失われたらおしまいだ」


「何とかなるわけないでしょ。彼女だって何とかならないから、私たちのお金を盗ったんだし」


 そして、ティアナはさっきから気になっていたことを聞いてみた。


「あの金貨、どうしたの?」


 レオンシュタインはしばらく黙ったままだった。

 けれども、ティアナの様子を見て、小さな声で答える。


「昔、もらったんだ」


 レオンシュタインは黙ってしまった。

 あのような大金を誰にもらったと言うのだろう?

 夕暮れが迫り、辺りは薄暗くなり、夕餉の小麦の匂いがもの悲しい。

 明日からの旅が見通せずティアナはため息をつき、疑問に思っていたことを口に出す。


「どうして、あの子にそこまで肩入れしたんですか? まさか褐色の女の子が好きとか、そんなへきのせいですか?」


 へき


 さりげなくレオンを口撃しながらティアナは問い詰める。

 でも、返ってきた言葉はティアナを大きく後悔させるものだった。


「昔、カチヤにもらったんだ」 

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