第62話 レオンの試練

 王国歴162年10月18日 19時頃 教会近くの酒場にて―――


「うるせえぞ!!」


 立ち上がった男が拳を振り上げて怒り出し、慌てたレオンシュタインは演奏を止める。


「酒がまずくなる!」


 テーブルの上を手で払い、落ちたグラスが砕ける音が響く。

 辺りはその男の噂で騒然となる。

 常連らしき人たちは、また始まったかという顔つきをして酒を飲んでいた。


「眠たい音楽を流すんじゃねえ。俺は寝るために、ここに来てんじゃねえぞ」


 男は更に大きな声で怒鳴り出す。


「元気出すためだ。虫の奴、今年は多く出やがって。明日も畑で格闘だ」


 レオンシュタインは呆然と立ち尽くし、男を見つめていた。

 バルバトラスは椅子に腰掛け、黙って腕を組んだままだ。


「聴きたいのは、そんな上品な音楽じゃねえ。おい、ルトガー。いつもの音楽を頼む」


「あいよ」


 ルトガーと呼ばれた男はステージに上がると、レオンシュタインに近寄り、肩に手を掛けながら、


「あんたの演奏、すげえよ。でも、ここには合わないな」


 と、レオンシュタインの耳元で囁き、顎で退場を促した。

 レオンシュタインがステージを降りると、入れ替わるように2人の男たちがステージに上がる。


「はっ!」


 その瞬間、軽快な音楽が流れ出す。

 心が沸き立つようなダンスのリズムだ。

 自分のバイオリンとは違う、早い指使いとテンポがリュートとよく合っている。

 また、太鼓のリズムが心地よい。

 聞いている人たちが自然に笑顔になる。


「ホー!」


「ヤーハー!」


 体を揺らし、店の乗客たちが歓声を上げる。

 4人の男女が立ち上がり、その場でステップを踏んでいる。

 女性とペアになって、ぐるぐる回っているのは怒鳴っていたイザークだ。

 さっき罵倒したときとは顔つきが違っている。

 心からの笑顔というやつだ。


「レオン」


 ティアナが心配して腕を引き、話しかける。

 レオンシュタインはそれに気付かず、手を目の前で組んだまま、じっと舞台を眺めていた。


「放っておいてやれ」


 バルバトラスは首を横に振り、ビールをぐっと飲み込む。


「これは、いい経験だよ」


 ティアナは、むっとしてバルバトラスを睨み付ける。

 バルバトラスはやれやれといった表情で肩をすくめ、舞台の方を眺めていた。

 音楽は佳境に差し掛かり、酒場はダンスホールのように、たくさんのペアが幸せのダンスを踊っていた。

 レオンシュタインの一行だけが椅子に座り、動かずに踊りを眺めていた。


 踊っていたイザークがレオンシュタインに目を向けると、何かぶつぶつと言いながらリズムを取っている。

 音楽が終わり店内が熱気に包まれる中、イザークはレオンシュタインに近寄り、勝ち誇ったように言葉を投げかける。


「兄ちゃん、分かったか? お前の出る幕じゃないってことが」


 レオンシュタインは黙って立つと、


「よく分かりました」


 とはっきりと返事をする。

 ただ、目には不思議な色が宿っていた。


「分かったんなら、お帰りはあちらだ」


 ドアを指差される。

 けれども、レオンシュタインは動かなかった。


「明日!」


「あん? 明日?」


 レオンシュタインは意を決したようにイザークに近づき、その目を見ながら、


「明日、もう一度、演奏させてください」


 と懇願する。

 イザークは驚いたが、


「あ? もう用はねえよ」


 と、にべもなく断った。

 レオンシュタインは、さらにイザークに近づき、今度は笑顔になる。


「今の演奏より、いい演奏をお聴かせしますよ」


 それを聞いてイザークはあっけにとられて言葉もなかった。

 けれども、後ろにいた演奏者は、


「俺たちよりもいい演奏ときたか。マスター、やらせてみなよ」


 と大きな声で盛り上がる。

 奥で演奏を聴いていたマスターは、


「楽しそうじゃないか。ぜひ頼むよ」


 とニコニコしながら了解した。

 それを聞き、イザークは渋々といった感じで、レオンシュタインに演奏を依頼する。


「まあ、マスターがいいって言うからな。けど、つまらねえ演奏だったら、叩き出すぞ」


 レオンシュタインは感謝を述べ、明日の同じ時間に来ることを話し、すぐに酒場を出るのだった。


「レオン。どうするの?」


 後ろを追いかけてきたティアナが、慌てて聞いてくる。

 バルバトラスは酔ったのか、ふらふらしながら歩いてくる。


「うん。実はいい曲が思いついてさ。是非やってみたいんだ」


 あの場所で、作曲していたとは、ティアナは驚くと同時に呆れてしまう。

 レオンシュタインは、一人でぶつぶつ言い出し始めた。


「あのフレーズをさらに盛り上げるためには……」


 こうなると、レオンシュタインは誰の話も聞こえない。

 そのまま、教会の宿舎まで考え事をしながら歩く。

 宿舎についた3人はそれぞれ眠る場所に案内されたが、レオンシュタインは練習をするために、教会の礼拝堂を借りることに成功していた。


「二人とも、また明日」


 バルバトラスは、ふらふらしながら部屋に戻っていく。

 ティアナは練習に付き合うために、一緒に礼拝堂へ歩いていく。


「こちらが礼拝堂です。神様も許してくださることでしょう」


 ケイトが楽しそうに伝え、お休みの挨拶をする。

 ケイトが出て行くと、とたんに礼拝堂が静けさに包まれる。

 レオンシュタインは早速、調弦を始め、音が教会の隅々まで響き渡る。

 ティアナは礼拝堂の椅子に腰掛け、レオンシュタインの様子を見守ることにした。


「ティア。眠くなったら遠慮しないで寝ていいよ」


「私を気にしなくていいから」


 レオンシュタインはすぐに弾き始める。

 ずいぶん優しいメロディーだ。

 これではイザークさんは納得しない。


「ちょっとレオン。これじゃ、まずいんじゃない?」


 レオンは首をかしげながら、


「そうかな? これは、踊りの後で聞かせたい曲なんだけど」


「えっ? あんた、まさか……」


 すると、レオンシュタインは笑顔で答える。


「1曲目はマズルカのアレンジ。それは、そんなに時間はかからない。2曲目は少し時間がかかりそうなんだ」


「2曲!?」


 ティアナはため息をつく。

 忘れてた、こいつは天才だった。


 作曲しながら弾いているのにフレーズが途切れない。

 集中しながら、朝方近くまでバイオリンを弾き続けるレオンシュタインだった。

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