第38話 嫁 イルマの香水

 王国歴162年9月13日 朝10時頃 リンベルクの施療院にて―――


 強引に二人を離すように、ティアナは二人の間に割り込むと、レオンシュタインの顔の近くでささやく。


「大丈夫? レオン」


 一難去ってまた一難だ。

 さらに驚愕するような美がレオンシュタインの前に迫ってきた。

 レオンシュタインはその美しさに大分慣れてきたけれども、ティアナの美しさは並外れていた。


 話すにしても側にいるにしても腰が引ける。

 でも、そんな様子を見せたらティアナが悲しむことをレオンシュタインはよく理解していた。

 そのため、美を跳ね返すように腹に力を入れ、何でもなさそうに手を振る。


「大丈夫、大丈夫」


 同時にイルマに鏡を見てくるように促した。


「はい、はあい」


 壁に掛けられた鏡に近づいていったイルマが大声を上げる。


「ええ? これ私?」


 手で盛んに顔を触る。


「昔の私に戻ったみたいだ」


 イルマの目から涙がこぼれ落ちる。

 驚きと嬉しさが混じり合い、どうにも止まらなかった。

 虎狼の口と散々、馬鹿にされてきた口が綺麗に治っていた。

 ずっと見えなかった左目の傷が消え、壁にかけられたポスターの小さな字まで読むことができる。


 しばらく、レオンシュタインはイルマをそっとしておいた。

 ティアナもレオンシュタインの側でおとなしく座り続け、沈黙を守っていた。


「主、本当にありがとう」


 イルマは鏡から離れ、ゆっくりとレオンシュタインの側に寄ってくる。

 そして、ティアナの目の前で、レオンシュタインに抱きつき、強引に唇を重ね合わせていた。


「んん」


 びっくりしたレオンシュタインは動けないまま固まってしまう。

 ティアナも不意を突かれて、目を見開いたままその様子を眺めていたが、すぐに我に返る。


「イルマ! 神聖な教会で何てことを!!」

 

 すぐに二人を引き離そうとするが、イルマはますますレオンシュタインを強く抱きしめて放さない。

 あまりのことに司祭も目を他の場所に移す。

 イルマは口を離したものの、改めてレオンシュタインの腰に手を回し、胸に顔を埋めていた。

 修羅場が近いことをレオンシュタインは察したが、その時、全く別のことを考えていた。


(イルマさん、いい匂いがするなあ)


 イルマはライラックを主とした香水をつけており、優しく甘い香りが漂っている。


 ティアナの目がすっと細くなり、その美が引き立つような感じがしたが、その髪の毛が少しずつ逆立っていくのが分かる。

 レオンシュタインはそのただならぬ気配にはっと我に返る。


「イルマさん、離れてください」


 けれども、イルマは全く動かない。

 レオンシュタインは引き離そうとするが、がっちりと腰をホールドされていて、全く動けない。


(神様)


 詠唱が終わり、二人は黄色い光に包まれ、教会の中はパリパリとした乾燥した空気に支配される。

 ズドンという重低音とともにレオンシュタインとイルマは感電して、その場に倒れてしまった。

 

(今日はいつもより……きつい)


 しばらく意識を失い、教会内で眠っていたらしい。

 気が付いた時、その原因を作ったティアナは、心配のために二人の近くを歩き回っていた。


「ティアナ。ごめんね」


 むくりと起きたレオンシュタインは、まず謝った。

 むしろレオンシュタインは被害者なのだが。


「いいえ、私こそ、ごめんなさい」


 ティアナはレオンシュタインが目を覚ましてほっとしたらしい。

 同時にイルマも目を覚ます。


「主はティアナに、いつもこんなことをされてるんだな。きついねえ」


「そんな……。いつもじゃないし、レオンが変なことしたときだけ」


 ティアナはもじもじしながら抗弁する。

 レオンシュタインは、もうこの話は終了とばかりに、


「もう大丈夫。さあ、今日はこれくらいで帰ろうか」


 と会話を終了させる。


(さすが主。回復力が半端ないな)


 イルマは、そのことに驚きを隠せない。

 会計に行き、支払いの合計を尋ねると、銀貨220枚(約220万円)と告げられる。

 レオンシュタインはすぐに袋から銀貨を取り出し、全額を支払った。


「だいぶ減りましたね」


 財布の重さが気になるティアナだったが、レオンシュタインは気にしない。


「必要なお金だから。いいよ」


 何度もお礼を言うイルマとティアナを引き連れ、3人は教会を出ていった。


「何だか、いつもと景色が違いますね」


 外の光が眩しいので、手で光を遮りながらティアナが話す。


「そうだな。自分は今でも信じられない」


 自分の顔を触りながらイルマも話す。

 周囲の視線が二人に集まっていることを嫌でも感じるレオンシュタインだった。

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