第35話 兄の執事
王国歴162年9月12日 17時頃 リンベルク近くの街道上にて―――
自然にイルマはレオンシュタインの前に立つ。
ティアナもレオンシュタインの横で、じっと馬車を見つめる。
何があっても、すぐに対応できるように詠唱も始める。
馬車から2人の男がゆっくりと降りてきた。
一人はマインラートの執事で、いつも灰色のスーツを着ている50歳くらいの男だ。
頭も灰色なため、常に影のような印象を受ける。
もう一人は執事のまわりをちょろちょろしていた男だとティアナは記憶していた。
どちらにも悪い印象しかなかった。
執事はゆっくりと3人に近づくと、優雅に挨拶をする。
すぐに本題に入り、マインラートからの伝言を話し始めた。
「ティアナ様を苦しい旅に出したのは本意ではない。是非、城に戻りマインラート卿付きのメイドとして働いてほしいとのことです」
なぜ急に戻ってほしくなったのか、レオンシュタインはのんびりと尋ねる。
使者はまるで事前に考えてきたというふうに、淀みなくそれに答える。
「ティアナ様がいなくなって、仕事に支障が出てくる部署が出てきたのです。メイド長からも是非、戻ってきてほしいと懇願されています」
それを聞いていたティアナは苦笑を抑えられない。
自分を一番の問題児として、レオンシュタイン付きにしたのはメイド長ではないか。
「ありがたいお話ですが、私はレオンシュタイン様の従者として、旅の終わりまで付き添いたいと思います」
きっぱりと断りの言葉を伝える。
けれども、使者は悠然とレオンシュタインに別の従者をつけることを伝えてきた。
近くに控えていた男を紹介する。
名前をヴェルグルといい、城にいた頃、レオンシュタインを影で散々馬鹿にしていた男だった。
レオンシュタインも困ったような顔で立っている。
「レオンシュタイン様のお世話を、その方ができるとは思えません。どうか、マインラート卿にはご厚意に感謝しますとだけ、お伝えください」
やんわりとティアナが断ると、ヴェルグルがガチャガチャした声を発する。
「ティアナ様、ご心配にはおよびません。レオンシュタイン様の安全は、このヴェルグルにお任せください。食事については宿にきちんと手配させますゆえ」
うやうやしく話すヴェルグルだが、気持ちが全く感じられない。
そこにイルマが口を挟む。
「私はレオンを守ることになってるけど、魔法に関してはどうすんの? ティアナがいないと、魔法への対処が大変なんだけど」
ヴェルグルはニヤリと笑いながら、自分は魔法が使えると得意げに話してくる。
見ていろとばかりに呪文を唱えると、手のひらに小さな火が現れた。
そのまま路地裏に向けて放った火の塊は、それなりに威力がありそうな大きさで道上に燃え盛っていた。
けれども、ティアナと比べると力の差は歴然としていた。
「できることは分かったけど、ティアナの方がいいんじゃない?」
イルマは正直な感想を漏らすが、使者は全く意に介さずに話を進めようとする。
「では、城に戻りましょう。この馬車にお乗りください」
有無を言わせないやり方にティアナは少しずつ苛立ってきた。
再度、レオンシュタインと一緒にいることを伝えると、ヴェルグルが本性を表し、下卑た未来図を語り始めた。
「マインラート様に従えば、第2夫人も夢ではないぞ。そうなったら、何もかもが思い通りになるではないか」
執事もそれに続ける。
「たかがメイドが子爵家のマインラート様に見初められること自体、その御厚恩に伏して感謝すべきではないか。その栄誉、幸運は何事にも変え難いことぞ」
執事は自分の言葉に酔ったように語り続けた。
「レオンシュタイン様のお世話は誰でもできる。けれども、マインラート様のお世話はお前しかできない事なのだ」
勝手に役割を決めるなとティアナは苛立ち、話が終わるのを待って、ティアナはゆっくりと考えを話し始める。
「私はずっとレオンシュタイン様の側におります。それは、誰の命令でも変えるつもりはありません。どうぞ、お引き取りを」
きっぱりとしたティアナの言葉に、ヴェルグルは苛立ちを隠そうともせず、魔法の詠唱を始める。
「所詮は下賤のメイド。マインラート様の情けが分からないとは。何が何でも連れて行くぞ」
その瞬間、ティアナはその場から跳び退き、素早く雷の矢を放つ。
ヴェルグルは目を細め、
「なめんなよ」
と言い放ち、馬鹿にするような笑いを見せる。
ティアナの雷の矢は、ヴェルグルの周りで弾かれてしまったのだ。
見かけによらず、強い魔力を持っているようだ。
その横では使者とイルマが剣を交えていた。
「下賤な剣ながら、なかなかの強さだな」
「剣に下や上があるかよ」
執事は明らかに正統の剣を学んでいる動きで、イルマの剣を圧倒しているように見える。
剣から火花が上がり、ギンギンと鉄がぶつかり合う音が響き渡る。
イルマは、徐々に後ろに一歩また一歩と下がっていった。
「ここまでだ。お前もなかなか強いな。よければ、私の奴隷として仕えないか」
その瞬間、イルマの目が光る。
「誰がお前なんかに仕えるか。私の
ギンという異様な金属音が響き、執事の剣は根元から折れ、少し離れた地面にぼとりと落ちる。
イルマは執事の首に剣を突きつけ、動かないように厳命する。
横では、ティアナもヴェルグルを拘束していた。
二人を紐で結びつけると、レオンシュタインは二人に優しく話す。
「どうか、このまま帰ってもらえませんか。ティアナは私の世話係として、兄上がつけてくださった従者。このまま旅を続けると、兄上にお伝えください」
そう言うと縄を解く。
二人は口を開こうとするが、ティアナやイルマが厳しい目で見つめているため、何も話すことができない。
捨て台詞を吐いて馬車に乗り込み、その場を立ち去ってしまった。
「これで諦めるかな」
レオンシュタインは二人を振り返り、願望を込めてつぶやく。
「いや、人間、色と欲には限りがないですからね。また、来るでしょう」
イルマは何でもなさそうに話す。
ティアナも、
「マインラート卿は執念深いです。気をつけないといけませんね」
やれやれと首をすくめる。
「それより、いいのかい? 子爵家の寵愛を断って?」
レオンシュタインは少し声のトーンを落とす。
ティアナは心外とばかりに、
「私はレオンシュタイン様に使えるために旅をしています。それに……許嫁ですから」
と、声を小さくしながら話してくる。
目の前には、もうリンベルグの門がそびえ立っていた。
3人はそれぞれの思いを抱きつつ、大きな灰色の門をくぐるのだった。
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