第31話 ブラボー!!

王国歴162年9月10日 11時頃 孤児院にて――


「じゃあ、ちょっと休憩。みんなお菓子を食べながら待っててね」


 次は本格的な演奏のため調弦をしておきたいのだが、子どもたちはそれを許さない。


「お兄ちゃん、どうしてそんなに上手なの?」


「いつからバイオリンを弾いてるんですか?」


 レオンシュタインはニコニコしながら、全ての質問に答えている。

 小さな子はその膝の上でくつろいでいる。

 それが全然苦にならないレオンシュタインだった。


「ねえ、お兄ちゃんは少し休みたいと思うよ。みんな、向こうで待ってて」


 優しくイルマが話すけれども、みんなは知らないふりをする。

 こんなに褒められたり、話を聞いてもらったりすることは滅多にないのだ。

 膝にかじり付いて甘えるなんて、初めての子もいるだろう。


「いいよ、イルマ。大丈夫」


 汗をかきながら、それでも一生懸命答えたり、頭を撫でたりしている。

 ただ、さすがに長すぎたと思ったのか、シスターが子どもたちを連れていってくれた。


「後半は、讃美歌320番『主よ御許に近づかん』と、ケッセルリンクのバイオリン協奏曲をやろうと思う」


 ケッセルリンクは難しい曲が多く、特にこの曲は難曲として有名だ。

 けれども、曲の美しさもまた比類がないのだ。


「レオン、素晴らしい演奏を期待してる」


 明るい声でティアナが激励する。


「分かった、最後まで全力で演奏するよ」


 ティアナとイルマに向かって宣言し、ゆっくりと会場に歩いていく。

 そこでは、観客が始まるのを今か今かと楽しみに待っていた。


「あっ、お兄ちゃん」


「頑張れえ」


 孤児院に子どもたちの声援が響き渡る。

 笑顔でそれに答えたレオンシュタインは、ゆっくりとステージの真ん中に立った。


「ここからは第2部となります。演目は賛美歌320番とケッセルリンクのバイオリン協奏曲です。楽しんでお聞きください」


 そういうとレオンシュタインは賛美歌320番を弾き始めた。


(本気だ)


 先ほどの演奏とは、音の美しさが違うとティアナはすぐに気付く。

 今は演奏家として、そして神への祈りのために真剣な顔で弾いている。

 たどたどしく子どもたちが歌っている時だけは笑顔になる。


 少しずつ熱を帯びてきたレオンシュタインの演奏は、賛美歌を歌う人たちの心を打った。

 盛り上がる部分ではビブラートが心地よく孤児院の壁に響き、神へ近づこうとする気持ちがよく表現されていた。


 いつも孤児院に来ている年配の方は、子供たちの歌とレオンシュタインの演奏で、すぐに涙を拭き始める。

 また、若い人たちはぎゅっと目を瞑り、神への祈りを真剣に捧げていた。


 レオンシュタインの本気の演奏を初めて聴いたイルマは、その音に圧倒されてしまった。


(自分が好きになった人は、こんなにも素晴らしい才能を)


 演奏しているレオンシュタインはいつもよりも大きく見える。

 それどころか、堂々として一流の演奏家のようだ。

 レオンシュタインへの憧憬をますます深めるイルマだった。


 子供たちも最初は大きな声で歌っていたものの、次第に美しい声で歌おうとする。

 そのため、合唱がますます美しく盛り上がる。

 子どもたちの歌声の素晴らしさに、大人たちは顔を輝かせていた。


 最後の「アーメン」の部分は全員の声が一つとなって孤児院内に響き、とても感動的な空間が広がっていた。


「とても素敵な歌でしたね」


 レオンシュタインが賞賛の拍手を送る。

 ティアナやイルマも赤い目をしながら、やはり拍手を続けていた。

 教会内の拍手は山々に木霊するかのように、ずっと鳴り続く。


「最後にバイオリン協奏曲を弾きます。ちょっと長いけど、お付き合いください。子供たち。気持ちよかったら目をつぶってね」


 すぐに講堂内に美しい音色が響き渡る。

 オーケストラでやる音楽をたった一人でやろうとしているため、レオンシュタインの顔も厳しくなる。

 そこに別のバイオリンの音が聞こえてきた。


(これは、オーケストラの部分)


 その音の方を見ると、シスターがバイオリンを弾いている。

 なかなかの腕前に、子どもたちは大きく口を開けている。


(よし! これで)


 もっと素晴らしい演奏にできることに喜びを隠せない。

 やがて、バイオリンの独奏部分がやってきた。


(全力で弾く!)


 最初の一音で講堂内に緊張が走る。

 静かな曲想で演奏は難しいはずなのだが、レオンシュタインは涼しい顔で演奏していた。

 とても2人で弾いているとは思えない重厚な音が教会に響き渡る。


 子供たちはお腹が一杯になったのと、美しい音楽で頭をがくんと下に落としては、はっと気がつき前を向く。

 その様子が可愛らしいのか、レオンシュタインの演奏がますます心に響くような音色になっていく。


(さあ、つぎは一番、美しく)


 叙情的なバイオリンの音が心の中で響いているかのようだ。

 シスターは合わせようと一生懸命弾き、掛け合いがますます美しくなる。

 口を押さえたティアナは嗚咽を防ごうと格闘していた。

 観衆の三分の一は涙を拭おうともせずに、レオンシュタインの演奏を食い入るように見つめていた。


(世の中にはこんなに美しい音があるのか)


 驚きを隠せないイルマは、自分が初めて感じる感情に戸惑っていた。


(生きていて良かった。……本当に良かった)


 生きる喜びが美しい音色で表現されている。

 子どもたちへのメッセージも込めたのだろう。

 いつも間にか子どもたちも演奏に聴き入っていた。


 演奏はすでに30分を越え、最後の掛け合いの部分に入る。

 レオンシュタインの音はシスターの音を遙かに凌駕していた。

 けれども、シスターのおかげでレオンシュタインの音がさらに美しくなっているのは確かだった。


(これで終わりか……残念。でも、いい音が出せたなあ)


 最後のパッセージは、高音から低音までの移り変わりが特徴的で、超絶技巧を必要とするのだが、レオンシュタインは軽々と弾いてしまう。


 最後の音が消えた瞬間、「ブラボー!」の声が孤児院に響き渡った。


 全員が椅子から立って、大きな拍手をする。

 涙を隠そうともせず、ひたすら手を叩き続けている。

 子どもたちもその様子を見て、たどたどしく、


「ブラボー」


 と、大きな声を上げているのが微笑ましい。

 レオンシュタインはその様子が何よりも気に入ったようで、ずっと子どもたちに目線を注いでいた。

 鳴り止まない大きな拍手が、小さな孤児院にいつまでもいつまでも響くのだった。

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