第29話 嫁 イルマ、警戒中
王国歴162年9月9日 16時頃 キースバッハの門にて――
「良かった。明るいうちに着きました」
ティアナは二人の背中を手で押して、早く入るように急かす。
レオンシュタインが門番にお金を支払い、3人はキースバッハの町に入ることができた。
まず目に入ったのは、教会とその近くにある赤と白で彩られた高さ20mくらいの棒だった。
10個ほどの家紋が並べて掛けられ、青や紫、緑と黄色など、様々な色が美しい。
先端にはキースバッハの旗が掲げられていた。
3人はひとしきりその棒を眺めた後、教会に祈りを捧げにいく。
祭壇の前にひざまづいて祈りを済ませてから、入り口のシスターに宿屋の情報を尋ねる。
シスターは宿の方を指差し、教会近くであれば仔馬亭がお勧めですと教えてくれる。
お礼を言って、教えられた宿に向かって歩いて行くと、3分も歩かないうちに平屋の宿が見えてきた。
緑色の壁の仔馬亭は、窓が多いため明るく過ごしやすそうな佇まいを見せていた。
受付で3人分の宿泊料として、レオンシュタインは銀貨1枚と銅貨50枚を袋から取り出す。
クロートローテンと比べ物価が安いと感じたレオンシュタインは、場所が変わると値段が変わることに興味をもった。
空いている部屋は1つしかないと言われてしまったので、3人が同じ部屋で泊まることに決まる。
「さすが
イルマがモジモジしながら、横を向いて照れているのをきっぱりと否定しつつ、一番奥の部屋へと急ぐ。
部屋に入るとレオンシュタインとティアナは荷物を置き、バイオリンの練習に出かける準備をする。
疲れていたけれど、レオンシュタインには欠かせないことだった。
「ん、あたしはやることがあって。ごめんね」
イルマは残留を希望する。
二人は準備を済ませると、練習場所を探しに宿を出ていった。
それを窓から手を振って見送ると、イルマは部屋の安全を確認し始める。
(魔法のたぐいはないようだね)
次に宿屋の様子や宿泊客の様子に気を配る。
(私たちの他に、泊まっている人は6人。特に怪しい気配なし)
宿の主人と笑顔で話しながら、周囲への警戒は怠らない。
そうして、宿の外に出ると周辺をぶらぶらと歩き始める。
周りの店の品物を見るような振りをして、宿の周辺を確認する。
(どうやら、怪しい気配はなし……か)
ようやく警戒を解くと、部屋に戻り仮眠を取ることにした。
(あの二人より、私は世界を信用してないからね)
鍵を掛け、自分のベットに身体を横たえ、目を閉じる。
目を閉じても完全に眠ることはない。
(因果な癖がついてしまったね)
暗い視界で身体をリラックスさせるだけでも十分に疲れはとれる。
そうして、ベッドの上で仮眠を取り始めた。
2時間ほど経ったろうか。
カタンカタンという音でイルマは目を覚ます。
部屋に誰かが近づいている。
音を立てないようにドアの側まで歩くと、剣を抜き、扉の横に身体を潜ませる。
「コンコンッ」
ノックの音がした。イルマは緊張しながら名前を尋ねる。
「イルマ? 早く開けて」
ティアナの声であることを確認する。
どうやら二人が帰ってきたようだ。
剣を鞘にしまい、二人を出迎えるためにドアを開ける。
「お帰り」
帰ってきた二人は疲れた様子だったが、レオンシュタインの目は輝いていた。
「すぐ、ご飯を食べに行こう」
「何か、いいいことがあったんでしょ。このイルマさんにも教えてもらいたいな」
コツンカツンと足音を立てて、3人は食堂へと向かっていく。
食道には誰もおらず、3人が座れるテーブルを見つけると席に腰掛ける。
すぐに、皿に載せられたチーズが運ばれてきた。
「じゃあ、何があったのか教えて」
イルマは黄色のチーズに手を伸ばしながら尋ねる。
二人は先ほどの出来事を順を追って説明し始めた。
教会の側で練習をしていたレオンシュタインの近くで、ずっと演奏を聴いている老婦人がいたのだそうだ。
練習が終わる頃にレオンシュタインにすっと近づき、
「どうかあなたのバイオリンを、子どもたちに聴かせてくれませんか」
と依頼してきたのだそうだ。
老婦人はアーベルという名前で、教会のシスターだと名乗る。
「シスターの頼みなら喜んで承ります。ただ、どういった事情でしょうか?」
それを聞いたアーベルは、悲しそうにその理由を話し始める。
「うちの教会は孤児院を併設しています。けれども、運営資金が少ないため食べるだけで精一杯なのです」
「ですから、子どもたちが美術や芸術に触れる機会が極端に少ないのです。美術品を見る機会はなく、孤児院で演奏してくださる方もありません。そもそも、お金にならないことをしようとする人が少ないのです」
レオンシュタインはすでに目を赤くしている。
「がっかりして、ここで休んでいたんです。そしたら、この川の側で素晴らしいバイオリンを弾いている方がいるではありませんか。この方なら、きっと子どもたちに音楽を聴かせてくれると思ったのです」
「喜んでいきます!!」
「えっ?」
依頼される前に了承されてしまったため、シスターは二の句が告げない。
レオンシュタインはさらに続ける。
「子どもたちは何人ですか?」
「20人です」
観客の人数を確認したところで、一番気になっていたことを尋ねる。
「でも、シスター。私は全く無名な演奏家ですが、よいのですか?」
「もちろんです。あの音色は高名な音楽家しか出せない音です」
きっぱりとシスターに断言してもらい、レオンシュタインは嬉しくなる。
「では、明日10時に孤児院に行き、演奏しますね」
と約束したことをイルマに聞かせたのだった。
「へえ、楽しそうじゃん。いい演奏会になるといいね」
「うん」
「じゃあ、早く食べないとね」
3人は素早く夕食を済ませると、身体を拭き、すぐに眠りについてしまった。
そうして、胸を高鳴らせながら、キースバッハの夜は過ぎていくのだった。
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