第23話 私のこと好き?

 口元の右側は、傷によって歯茎がむき出しになっており、まるで狼の口ように見える。

 慌ててイルマは口を隠す。

 それを見た群衆は、


「気味が悪いな」


「片目で狼口か。女の幸せは望めそうに無いな」


「そういえば、イルマって『狼口の傭兵』のことじゃない?」


 と、ひそひそと噂し合う。

 イルマはボッズからスカーフを奪い返し、すぐに口の周りに巻き付けた。


「なんでえ。こんな化け物みたいな女、いらねえよ」


 ボッズはイルマに吐き捨てるように言葉を投げつける。

 群衆や参加待ちをしていた男達も足早にその場を去ってしまった。

 広場には、イルマとレオンシュタインだけがぽつんと残されていた。


 イルマはその場に立ち尽くしたまま、空を眺めていた。

 その姿がとても悲しく、レオンシュタインは立ち去ることができなかった。


「大丈夫?」


 はっとしたようにイルマはレオンシュタインの方を振り返る。 

 奇妙な生きものを見るように、まじまじとレオンシュタインを見つめていた。


「ん、大丈夫。いつものことさ」


 笑おうとするイルマだったが、目は笑うことができなかった。

 スカーフは巻いているというのに、手で口元をさっと隠してしまう。

 レオンシュタインは気がつかないふりをして、その場を立ち去ることを提案する。


「少し歩こうか」


 イルマも黙って頷き、荷物を担ぎ上げると、レオンシュタインについてきた。

 レグニッツァ川沿いの小道を歩き、木組みの用水風車の側を通る。

 街の名物であるこの水車は、ゴットンゴトンと無機質な音を響かせている。


 水車の両側には2つの輪があり、その間に四角い柱が何本も接続されている。

 輪の外側には木の桶が取り付けられており、水をくみ上げている。 

 桶が頂点までくると、ザアと下の水路に水が落ち、それが近くの畑を潤していた。


 ピルネも中心を離れると、すぐにこのような農地が広がっていた。

 水の音は心地よく周辺にはベンチが設けられ、市民の憩いの場となっている。

 その水車がよく見えるベンチの一つに、二人は黙って腰掛けた。

 しばらく沈黙した後、レオンシュタインは疑問に思っていたことを口に出す。


「あのさ。どうして見ず知らずの自分についていこうと思ったの?」


 けれども答えは返ってこなかった。

 レオンシュタインは特に答えを急かすことなく水車を眺め、その場にゆったりとした時間が流れていった。

 眼前の二機の水車は、休まずに水を汲み上げている。


「私、知り合いがいないからさ。帰るところもないしね」


「えっ?」


 突然、答えが返ってきて、レオンシュタインは返答に窮する。

 しばらく無言が続いたあと、ぽつりとイルマが語り出した。


「両親の顔も分からないんだ」


 ゆっくりとイルマの方に顔を向けたレオンシュタインの目に、優しい色が宿っていた。

 イルマは近くにあった小石を拾い、右手で弄ぶ。


「物心ついた時から孤児院に入ってたよ。よくいじめられたな」


 イルマは思い出したくもないように水路を見つめていた。


「でさ、だんだん大きくなってくると、男達がさ、私の身体にちょっかい出してくるの。それが嫌でね。そこを逃げ出したってわけ」


 手に持っていた石を水路めがけて投げつける。

 石はトボンという音を立てて、水面に波紋を作る。

 イルマはその波紋と川の側に生えているシダレヤナギを見つめている。

 ヤナギは少しの風でも優雅に揺れ、涼を増すように動いていた。


「でも、誰も私を雇ってくれないの。そりゃそうだよね。身元がはっきりしないんだもの。で、最初は女ってことを隠して傭兵団に入団」


「女って分かってから敵と味方の両方から狙われて。そのとき、片目を切られて、散々だったよ」


 イルマは左目をそっと触る。


「女の子なのに、目以外にもこんなに傷を作ってしまってさ」


 髪の毛をかき上げ、頬を見せる。

 顔の所々にある傷跡が痛々しい。


「ある戦いで、口の右側を裂かれる傷をつけられて。それから、狼口の傭兵って言われるようになったよ。さすがにへこんだね。22歳の乙女がさ。その日から、私にちょっかいを出す奴は少なくなったけどね」


 鏡を見るたびに、どんなに辛かったろうとレオンシュタインは自分のことのように胸が痛む。


「じゃあ騎士団って思ったけど、男しかなれないんだよね。あとは貴族だけかな。いい思い出ないけど」


 レオンシュタインはずっと黙ったままだ。

 きっと誰もが、こんなどうにもならないことを抱えて生きている。

 人間のやりきれない哀しさに、何もできない自分がもどかしい。


「嫌気がさして傭兵団から逃げて、大道芸をして食べてきたけど、それも疲れちゃった」


 二機の水車は、ごとんごとんと粉をつく音を立てていた。

 水の音とは違い、郷愁を誘う音だった。


「私の願いなんてちっぽけなことなんだよね。家に帰ってきた人にお帰りなさいって言うとか、灯りをつけて誰かを待っているとか。誰かを好きになって、ずっと一緒にいて。子供が3人くらい居て、毎日、笑って暮らしてて……」


 それをずっと追い求めてきたのだろう。

 その憧れの気持ちは、レオンシュタインの中にすっと染みこんでくる。


「さすがに大それた夢だったかな」


 口調が寂しく、諦めているという気持ちが伝わってくる。

 ピルネの空が少しずつ黄色に染まり始め、あちこちの家から炊煙が上がり始めていた。

 麦をかしぐ匂いが漂ってくる。


「ごめんね。急にこんなこと言っちゃって」


 木のベンチに両手をつき、両足を前に投げ出し、小さな笑みと謝罪の表情が入り交じった顔をレオンシュタインに向ける。

 その表情を見たレオンシュタインは、その謝罪を打ち払うように、


「大それてなんかいない! いい夢だ。イルマさんは一生懸命生きてる。それだけでも素晴らしいことなんだ。きっと夢は叶うよ」


 思わず力強い声が出る。

 イルマはレオンシュタインをまっすぐ見つめ直した。


「あんた、いい人なんだね。でも、こんな顔の女は……。夢なんて叶わないよ」


 ふいっと目をそらし、イルマはまた水面に視線を移す。

 その悲しそうな横顔を見て、レオンシュタインは強い口調でさらに否定する。


「そんなことない。イルマさんは綺麗ですよ。あんなにたくさんの挑戦者がいたじゃないですか」


「そう?」


「そうですよ! イルマさんに側にいてほしい人、いっぱいいますよ」


 するとイルマはレオンシュタインの腕にしがみつく。


「あなたも側にいてほしい? 私のこと嫌いじゃないんだね。というか好き?」


 そのとたん、レオンシュタインの顔が真っ青になる。


「えっ?」


 けれども否定することはできないため、考えを逡巡させていた。

 いい考えは浮かんでこない。


「ねえ、私、あなたのこと何て呼んだらいいかな。あるじさま、それともレオン?」


 イルマは、ふわっとした笑顔になる。

 レオンシュタインはイルマが、やたらと身体を密着させてくることが気になっていた。

 特に右腕に胸をぎゅうぎゅうと押しつけてくる。


「私、尽くすよ。レオンがして欲しいことなら、何でもしちゃうから、ね」


 いたずらっぽくイルマは話す。


「ね、じゃないよ」


 それを跳ね返すようにイルマから離れ、レオンシュタインはその場に立ち上がった。

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