第19話 ティアナと不思議なおばあさん

 王国歴162年9月7日 朝 スコップ亭の2階の部屋にて――


 朝、食事を済ませると、レオンシュタインはすぐに練習に出かける準備をする。


「レオン様。危ないところへ行かないでください。私がいなくて大丈夫ですか?」


 心配そうな態度を隠さないティアナを何とか安心させ、レオンシュタインは宿を出る。

 その途端、牛肉の焼ける香ばしい匂いが鼻に入ってくる。


「お兄さん、この肉食べてみない? 美味しいよ」


「ピルネに来たなら、この酒、飲まなくちゃ」


 露天の店の人から盛んに声をかけられる。

 人の多さに圧倒されながら、昨日、見つけておいた教会を目指す。

 ただ、道の両サイドに、食べ物、部屋に飾る木彫りの人形、珍しい形の石、銀色の刺繍が光る絨毯などが売られていて、興味が尽きない。

 街全体が活気に溢れていた。


 教会は屋根が薄緑色で尖塔が高くそびえ立ち、遠くからでも目立っていた。

 尖塔の下には赤煉瓦と白い漆喰が美しく、歴史を感じさせる。


 その横をレグニッツァ川がゆったりと流れている。

 川幅は20mほどで、水面は黒緑色に光っている。

 水深が深いようで、表面は鏡のように波が立たないでいた。


 教会と川の間に芝生の公園が広がり、ボールで遊ぶ親子やベンチで話すカップルが目に入る。

 レオンシュタインは人があまりいないところで、ケースを開きバイオリンを出す。

 よく見ると、様々な傷が目立つようになってきた。

 メンテナンスの必要性を感じつつ、バイオリンを肩に載せる。


 調弦のために音を出すと、近くを歩いている人たちが驚いたようにこちらを見る。

 少し気にはなったが練習に集中する。


「ものすごい音だな」


「有名な演奏家だろうね」


 練習に集中しているレオンシュタインは、周囲の噂は全く耳に入ってこない。

 時々、水は飲むものの、ひたすら音を鳴らすレオンシュタインだった。

 見ていた人たちもベンチに座り、その音を楽しんでいる。

 

 一方、ティアナはレオンと一緒に行きたい気持ちをぐっとこらえ、宿の仕事に励んでいた。

 朝レオンシュタインと一緒に朝食を食べたきりで、あとは一人で給仕をしなくてはならない。

 ため息をつきながら、嫌そうな態度は見せられないと気を取り直す。


「ティアナちゃん、お疲れ様。大変でしょう?」


「いえ、大丈夫です。お仕事ですから」


 頭の中ではレオンシュタインのことが気になって仕方がない。

 危ない目にあっていないか、考えるだけで不安になる。

 給仕が終わったのは、午後2時を過ぎた頃だった。


「じゃあ、出かけてきます」


 そう言うが早いが、スカーフを顔に巻き直し、食堂を駆け出していった。


「よっぽどレオンくんが心配なんだね」


「近頃まれに見るくらい、いい子だな」


 皿をあらいながら、二人は笑顔で話し合っていた。


 教会に向かって走っていくティアナの耳に、優しいバイオリンの音が微かに聞こえてきた。

 すぐレオンシュタインの音だと分かる。


 更に走っていくと、横の小さな露天商のおばあさんが目に留まる。

 灰色のスカーフを頭に巻き付け、ワンピースの上には茶色のオーバースカートをまとっている。

 年の頃は50歳前後だろうか。


「お嬢さん。林檎はいかが? 3つで銅貨1枚だよ」


 おばあさんの笑顔を見て、レオンシュタインと食べるのも悪くないと思い直す。


「じゃあ6つ、ください」


「はいよ」


 持っていた布に包んでもらい、銅貨2枚を木の机に置く。


「ありがとうね。ん?」


 そう言うとおばあさんの目がきらっと光る。


「あなたの黒い仮面は、魔法で作られたもんだね」


 今まで自分の仮面について、話してくれた人は皆無だった。

 ティアナはおばあさんを見つめ直し、意気込んで尋ねる。


「分かるんですか?」


「昔、私の住んでいた村でも、その呪いをかけていた人がいたのさ」


「呪い?」


 ティアナは少し心配になって手を口に添える。

 おばあさんは手を振って、ティアナの不安を払拭する。


「いや、いや。その人は愛娘を守るために仮面の呪いをかけたのさ」


 おばあさんは遠くを見るような目つきで、さらに話を続ける。


「そのお父さんは愛娘が好色な領主に目をつけられるのを嫌ってね。娘にその呪いをかけてもらったんだよ」


「じゃあ、その子の仮面は?」


 ふふと笑いながらおばあさんは言う。


「結婚が決まる前に、教会で解いてもらったよ。綺麗な花嫁さんだったねえ」


 ティアナは、目の前が明るく輝くような気がした。


「私、ずっとこのままだと思ってました。ありがとう! 嬉しい!」


 ティアナは全身で喜びを表す。

 そんなティアナの様子を見て、さらにおばあさんが話を続ける。


「呪いを消すには、解呪の呪文が必要だよ」


 それを聞いたティアナは、おばあさんの側に素早く移動する。

 消すための呪文まで知っているなんて。


「おばあさん。どこで解呪できるんですか?」


 必死に尋ねるティアナの様子を見て、おばあさんはゆっくりと伝える。


「この周辺だと、リンベルクの教会でできた気がするね。ここから歩いて3、4日のところさ。王都へ行く街道沿いにあるよ」


 役に立てて嬉しいというように、おばあさんが笑う。

 ティアナは、おばあさんの手を両手でそっと握り、目を見ながら感謝を伝える。


「おばあさん、私、ずっとこのままだって思ってました。それが……」


 声が詰まるティアナを見て、おばあさんはティアナの肩に手をかける。


「あなたは素敵な子なんだねえ。じゃあ、これはサービスさ」

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