第18話 働くティアナと施療院
王国歴162年9月6日 朝 スコップ亭の2階の部屋にて――
屋根に雨の打ち付ける音で目を覚ましたレオンシュタインは、久々に雨の匂いを嗅いだ。
子供の頃を思い出すような、懐かしい匂い。
「おはよう、レオン。脚の具合はどう?」
窓を開けながらティアナが明るい声で尋ねてくる。
「ああ、大分いいよ」
「そう? 良かった」
そう答えるティアナが、エプロンをしていることに気付く。
今日から宿屋で働くのだ。
「レオンは脚を治すことだけ考えて」
そう言うとティアナは、すぐ下に降りていった。
(ありがとう、ティア)
着替えを済ませたレオンシュタインは、顔を洗うと下の階に降りていく。
トントントンという木の階段の音が心地よい。
食堂につくと、ティアナが厨房の中でスカーフをしたまま働いている。
「あっ! レオン。こっちこっち!」
お客がいないのを見計らうと、レオンシュタインを窓際の一番いい席に案内する。
「どうぞ」と椅子を引き、恭しく給仕する。
「ティア、ご飯は何かな」
「今日はスープがおススメ! 今、持ってくね」
そう言って厨房へ行くと、二人分の食事を運んでくる。
丁寧に机の上に置くと、一緒に食べると宣言し、向かいの席に座ってしまった。
「さあ、食べましょ。実は、このベーコンのスープ。私が煮込んだんだよ」
スプーンを口元に運んだレオンシュタインは、ベーコンとタマネギが塩と胡椒で味付けされていることに気付く。
「懐かしいな」
「城で作っていたものと同じ味付けだからね」
そう言いながら、ティアナもスープを口に含む。
「うん、まあまあかな。城から少ししか離れていないのに、野菜の味が違う気がするなあ」
そう言うと立ち上がり、レオンシュタインの側に寄ると、その口元をナプキンで拭く。
「相変わらず、口の周りにつけるのがお上手ですね」
可愛らしい皮肉を言いながら、レオンシュタインの顔をじっとのぞき込む。
服の上からでも身体のラインが美しいのがよく分かる。
そういえば城でも、抜群のプロポーションと言われていたことをレオンシュタインは思い出していた。
そのおかげでマインラート兄上に目を付けられてしまったわけだ。
「じゃあレオン。仕事が終わったら町を見学に行きましょ」
そう言ってティアナは仕事場に戻っていった。
(ティアも大変だな)
食事を終え、ゆっくりと階段を上り、部屋で休息をとることにする。
窓を開けると外の喧騒が耳に入ってくる。
市場の賑わいが凄い。
足に少し痛みを感じたため、近くにある木のたらいを引き寄せ、水を注ぎ込む。
室内に吊してあった布をジャブジャブと水に浸し、痛い部分を冷やす。
冷やすことで、確かに痛みも和らぐ気がする。
小一時間たった頃、足音を立ててティアナが仕事から戻ってきた。
「レオン。まず施療院に行かないとね」
ティアナは朝のうちに準備を済ませていたようで、すぐに出発しようと意気込んでいる。
レオンシュタインはすぐに服を着替え始め、雨が降りそうなので外套を引っ張り出す。
準備が整い、レオンシュタインは階段を下り、宿屋を出ようとすると一粒の雨が首もとに落ちてきた。
思わず首をすくめる。
外は生憎の雨模様で、空は灰色の雲で覆われている。
顔を見合わせた二人は、意を決したように雨の中へ跳びだした。
「冷たい」
あまり濡れた体験がないレオンシュタインは、この経験すら楽しい。
周辺の市場は閉まっているところが多く、街が寂しいように見える。
ただ、煉瓦造りの商店には灯りがともっており、小さな人形やおもちゃ、本などが綺麗に飾られていた。
「確か、ここを曲がったところ……あった!」
ティアナが指さした場所に、教会附属の施療院がひっそりと建っていた。
平屋建てで、あまり大きくはないものの、屋根には四角い模様の浮き出た瓦が使われており、華やかな印象を受ける。
教会の入口で施療院のことを尋ねると、受付の男が向こうだと教えてくれる。
部屋の天井を見上げると木が十字に組み合わされており、屋根はドーム型になっていた。
部屋には煤けたえんじ色のカーテンで仕切られたベッドが8つほどあり、白い枕も置かれていた。
壁を見ると、薄暗い中、ステンドグラスに天使が浮かび上がっている。
床には木が敷き詰められており、歩く度にギシギシと木がしなる音がした。
奥の部屋に入ると中に2つの長いベッドがあり、その近くの椅子に一人の修道士が座っていた。
「こんにちは。どこが悪いのですか?」
年の頃は40歳くらいだろうか。
銀色の髪と少し青ざめたような頬が治療師っぽさを感じさせる。
足が痛いことをレオンシュタインは詳しく話す。
「分かりました。それでは、ここに横になってください」
ゆっくりとベッドに横たわり、ズボンをまくり上げて、痛い部分を示す。
白く、ぷよんとした脚が運動不足を感じさせる。
納得したように患部を触りながら、修道士は詳しく調べ始めた。
小さな痛みを感じたレオンシュタインだったが、同時に安心感も広がってきた。
「安静にしていれば3日くらいで治ります。運動をしていない人が急に運動をすると、このような症状になります」
まるで、見てきたかのように正確に言い当てた。
レオンシュタインが驚愕していると、
「全て神の思し召しです」
と胸の前で十字を切った。
胸の銀のロザリオが薄暗い室内の中、やけに明るく見える。
「少しだけ、ヒールをかけておきましょう」
そう言うと口の中でぶつぶつと唱えだすと、少しずつ手に緑色の光が宿り始め、やがて両手がその光に包まれる。
修道士はレオンシュタインの脚にゆっくりと手を寄せ、患部を包み込むように覆う。
緑の光で包まれた足はほんのりと温かく、やがて光はゆっくりと消えていった。
それに伴い、痛みもゆっくりと消えていった。
「さあ、立って歩いてみてください」
促されるままレオンシュタインはその場に立つち、先ほどまで感じていた痛みをほとんど感じない。
嬉しそうに室内を歩き回るレオンシュタインを見て、修道士は微笑みながら話す。
「とにかく動かないことです。患部を冷やすのも効果的です」
ほっとした二人は、修道士に心からのお礼を伝えた。
修道士は微笑しながら、「お役に立てたなら幸いです」とお辞儀をし、次の患者がいるからと立ち去っていった。
二人は喜びながら診察室を後にする。
来るときの足取りと表情が、全く違っていた。
特にティアナは跳び跳ねんばかりの足取りだった。
入り口まで来ると、受付の修道女に料金がいくらか尋ねる。
「無料ですよ」
にっこりしながら修道女が教えてくれた。
ますます感じ入った二人は、心ばかりのお布施をすると施療院を後にした。
いつの間にか雨は止み、太陽の光が雲の切れ間から少しだけ見えている。
地面の石畳が雨に濡れ、紺色のキラキラとした光を放つ。
「とにかく動かないようにしなきゃね」
「それは得意だよ」
「それも、ちょっと……」
二人の口調が自然と明るくなる。
また歩いて旅を続けられるのが、何よりもうれしい二人だった。
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