第13話 心のあなたの空遠く

 王国歴162年9月3日 沼の近くでレオンシュタインは混乱していた――


「ティア。何で仮面がないの?」


 ティアナは顔を何度もペタペタと触る。

 確かにない。


「ね、レオン。私の顔……見た?」


「見たっていうか、自然に見えちゃうね」


「どんな感じ?」


 ティアナはレオンシュタインにぐっと顔を近づける。


「自分で見るといいよ」


 ティアナから顔を逸らしながら、レオンシュタインは少し早口で話す。

 ティアナは沼の近くに行き、自分の顔を水に映す。

 レオンシュタインに松明を近づけてもらい、水面を眺める。


「母様?」


 マグダレーナに似た顔を触りながらティアナは涙目になる。

 レオンシュタインは松明を近くに置いた後、バイオリンをしまいながら横目でティアナを観察する。

 しばらくすると、ティアナは不服そうにレオンシュタインの方に近づいてきた。


「レオン。さっきから返事がないけど、どうかしたの?」

 

 レオンシュタインはティアナが近くに来ると動揺を隠せない。

 いつものティアナだと思っても、こんな美少女に近寄られると平静ではいられない。

 城でさんざん嫌な目に遭ってきたトラウマが辛い。


 目を合わせようとしないレオンシュタインを見て、ティアナは、


「……この顔、あんまり好みじゃなかった?」


 悲しそうにレオンシュタインに尋ねる。

 レオンシュタインは正直に答える。


「すごく綺麗だと思う」

 

 それを聞き、安心するティアナだが、レオンシュタインの様子が腑に落ちない。


「じゃあ、私の何があなたを困らせてるの?」


 ティアナは顔を近づける。

 レオンシュタインは反射的に顔をそらしながら、ティアナから離れる。


「やっぱり嫌なんだ」


 悲しそうに眉を下げ、うなだれてしまう。


「嫌じゃない。何だか照れるんだ」


「照れる?」


 意を決したように、レオンシュタインは話し始める。


「すごく綺麗だよ。でも、そんな綺麗な子と一緒にいるのは、何だか自分に合わないなと思っただけなんだ」


「えっ、何で?」


「何でって。その、ぼくはこんな体型だし、顔だって……醜いから」


 その瞬間、ティアナの声が1オクターブ跳ね上がる。


「何言ってんの!? レオン。それ本気?」


 ティアナの瞳に怒りの色が点り、本気で怒っていることがわかる。

 でも、レオンシュタインにも言いたいことはあるのだ。

 ずっと我慢してきたのだから。


「ティアだって、自分が見合い相手になんと言われてきたか知ってるだろ。白豚、醜い。もう、散々だったよ」


「レオン! それは、出会ったお姫様たちに見る目がないのよ。その言葉を真に受けるなんて、あんた馬鹿なの?」


 レオンシュタインは珍しく気色ばんで、大きな声を出す。


「ティアには分からないよ。俺だって別に普通にしていたいさ。でも、俺は伯爵家の一員なのに、誰からも選ばれない不細工で役立たずの男なんだ」


 ティアナの目から怒りの色が消える。

 逆にレオンシュタインの目に怒りと哀しみの色が強くなる。


「父も母も、俺に期待なんかしなかった。兄だって馬鹿にしてた。あの城で、俺を好きだったのはカチヤだ。カチヤだけだった」


 一度溢れた感情はとどまることを知らずに、どんどん流れ出す。

 ティアナに背を向け、拳を振り上げながら、自分の気持ちを叩きつける。


「お妃候補の美しい姫が何回も城にやってきた。その誰もが自分に侮蔑の目を向けてたよ。最後は、お決まりの断りの言葉が繰り返されたんだ」


 口元をきゅっと結び、目には深い悲しみが宿る。


「俺はあの目が、今でも怖いんだ」


 振り上げた手をティアナはゆっくりと下ろす。


「誰も俺を好きにならないんだなって……思ったよ」


 誰にでも優しいレオンが、こんなに深い悲しみを抱えていたことにティアナは全く気がつかなかった。

 レオンシュタインのことを全然、理解していなかった事実に胸が痛む。


「俺は音楽が好きだ。でも、どんなに演奏しても、師匠とカチヤ以外、誰も褒めたことがない」


 バイオリンをなでながら、話し続ける。


「でもバイオリンは、俺の生きる意味だ。これは誰にも求められない、誰にも相手にされない、そんな人間に残された、たった一つの光なんだ」


 もう誰に向かって話しているのか、何を話しているのかさえ、レオンシュタインには分からなくなっていた。


「俺はずっと生きる意味を探してた。城の屋上から、いつも遠くの山を眺め、あの山の向こうに、もしかしたら素晴らしい世界が広がっているんじゃないか? そこには、自分らしく生きていける場所が、自由に息をして暮らしていける場所があるんじゃないかって思ってたんだ」


 しばらく肩で息をしながら、


「それを探すのが、自分の旅の理由だよ」


 ぽつりと言葉を落とす。

 ティアナはもう何も言えず、目からはずっと涙がこぼれ落ちていた。


「音楽豚、取り柄がない、役立たず、不細工。太っていて、顔が醜い男は生きていく価値がないのか?」


 ティアナは、ただ黙ってレオンシュタインの話を聞いていた。

 でも、自分は言わないといけない。


「でも、レオン。悲しみや苦しみをいつまでも胸の中にしまっておくのは、素敵なことじゃないと思う」


「俺は素敵じゃないよ」


 小さな声でレオンシュタインは答える。

 ティアナはすぐに否定する。


「そんなことない! カチヤ様がよく言ってたわ。この城の中で一番素敵なのはレオン兄様だって。私だってそう思ってる。嘘じゃない」


 黙ったままのレオンシュタインを見つめながら、ティアナは言葉を続ける。


「今まで気づかなくてごめんなさい。レオンがそんなに悲しんでいたなんて、本当に私は駄目ね。メイド失格だよ」


 レオンシュタインから目をそらさずにティアナは言葉を続ける。

 言葉に感情がこもり、目に怒りと哀しみの色が強くなる。


「でも、あなたには光り輝く才能がある。バイオリンの腕前と誰にでも優しいこと。この2つは神様に感謝するくらい素敵なことよ。なぜそれに目を瞑ってしまうの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る